俺たちの旅!最終回からその後まで~キャスト達の現在も<70年代  永遠の青春ドラマ>
2021年9月26日 更新

俺たちの旅!最終回からその後まで~キャスト達の現在も<70年代 永遠の青春ドラマ>

70年代の名作ドラマ「俺たちの旅」覚えてますか?カースケ、オメダ、グズ六 3人の男達を中心に描かれた青春物語。「俺たちシリーズ」の第1作として放送され、高視聴率だったことから放映期間が延長された大人気のドラマでした。悩みながらも自由奔放で、ダサいけれど何故か生き方に憧れも。男達の旅を振り返ってみました。

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三十年目は、すっかり初老の風貌となったグズ六が懐かしい井の頭公園をブラブラしている所から始まります。

カースケ:マジョリカ島のホテルがバブル崩壊のあおりで倒産した後、イタリアへ渡り消息不明になっていたが、徳島県の海部町で船の修理工をしている。

グズ六:手がけていた事業は妻に任せ仕事もなくフラフラしている。

オメダ:市長を続け、すっかり政治家らしくなっている。

ワカメ:東京で仕事をしているが、更年期障害で体調が良くない。

洋子:亡くなっていた。

マジョリカ島→イタリア 夢破れ日本に戻ってきたカースケですが、徳島の漁港で地元の人とも馴染みかつてのカースケらしい生活をしていました。

カースケの居場所を知ったグズ六とオメダが徳島へ。50代になった3人の再会です。

ある日、カースケのところに妻と息子が訪ねてくる。
息子は学校でイジメにあっているが母親には一切話しをせず、困り果てた妻が海部のフリースクールに息子を入学させに来たという。
息子の教育に全エネルギーを注いできた妻だが、カースケに息子を託し去って行く。
カースケは、一人家から出て自由気ままな生活をしてきた事を後悔する。
息子の心を開く為に手を尽くすカースケだが、息子を心がわからず悩む。

一方、政治家として着々とキャリアを積んでいるオメダにも暗雲が・・・
オメダは「10年目の運命」で失踪し身を寄せていた女性と偶然再会。息子が難病にあい入院している事を知り治療費を支援している。
埋め立て工事を中止したことで反対勢力が増えている中、マスコミに治療費を支援している事を報じられ苦しい中での選挙となっている。

「洋子の死」
オメダから洋子が死んだ事を告げられる。
カースケは洋子の家を訪ね、主人に遺品の中の「砂時計」を見せられる。洋子が大切にしていた物だ。
それは、カースケが鳥取に洋子の南米行きを止めようと追いかけて行った時に洋子に買ってあげた物だった。

カースケは10年前に洋子から「子供ができたの」と言われた事を思い出し、主人に子供の年齢を尋ねると「子供はいない」と言われる。
なんでそんなことを言ったのか?不思議そうな主人。
病床で「私は幸せだったのよ」と語っていた洋子。

カースケはグズ六に、10年前の仙台での洋子の話をする。
カースケ「子供ができた。私はしあわせになったのよって泣きながら言ってた。なんでそんな嘘をついたんだ?洋子」
グズ六「洋子さんはきっと、お前を心置きなく送り出したかったんだ。
気にかけなくていいのって。お前が洋子さんを不幸にしてるんじゃないか?って気にしているの、わかってたんだ。そんなことないの、って彼女はお前に言いたかったんだ。」

一方、息子との関係を築けないでいるカースケは息子に
「お前は両親を恨んでいるのか?親を恨んでいたら親から自由になれない。世の中を恨んでいたら、世の中から自由になれない。
俺は自由になろうと思って一生懸命生きてきた。そのために人を傷つけてきた。でもその人は俺に、”人生は楽しんだと思え“そう言って死んでいってくれたんだ。人生を人のせいにするな。人生を楽しいものにするのは自分の力なんだ。」
熱い気持ちを伝えるが、息子には響かず雨の中 海に飛び込んでしまう。

溺れかかっている息子にカースケは
「世の中を恨んでおぼれて死ぬ。そんなつまらない人生を送るのか?泳いで来い!」と叫ぶ。
必死に泳ぎ岸にたどり着く息子にカースケの思い、カースケの生き方が伝わっていた。

カースケは息子を井の頭公園に連れて行き、
「俺はここで必死で生きてきた。人生は楽しいものだと思うと必死で生きてきた。
世の中のしきたりや常識や未来への不安や、そういうものと闘って生きてきたんだ。
そんなものに負けたら、人生を楽しいと思えない。」
自分の人生を伝える。

又、オメダのいる米子へも連れて行きオメダや真弓(オメダの妹)から父・カースケの生き様を聞いた息子は父へ心を開いていく。
感極まって涙ぐむカースケ、
「俺はあいつに自分とおなじ人生を生きてほしいわけじゃないんです。
あいつだけの人生を生きていってほしい。」

スキャンダルを乗り越え市長に当選したオメダ。
会えるまで会おう。命のある限り
​そう誓い合って物語は幕を閉じます。

自由奔放で眉を細める行動も多いカースケ、でも心のどこかにチョッピリあんな風に生きられたらという思いが湧き上がりませんでしたか?
スペシャル版では、風貌も性格までもガラリと変わったカースケになっていて、時の流れと人生という大海原での苦悩が描かれていて妙に納得できる所もありました。

さて、40年後、50年後と期待されていた「俺たちの旅」ですが、30年後以降は音沙汰がないです。
きっと、命のある限り集まっている事でしょうね。

カースケ、グズ六、オメダの現在はわかりませんので、演じられたキャストの現在をご紹介しておきます!

カースケ・中村雅俊の現在

本名 :中村 雅俊(なかむら まさとし)

生年月日 1951年2月1日

出生地:宮城県牡鹿郡女川町

身長:182 cm

血液型:O型

活動期間:1973年~

活動内容:1973年 文学座研究所入所
1985年 文学座より独立

配偶者:五十嵐淳子

所属事務所:ノースプロダクション
「俺たちの旅」以降も俺たちシリーズや「ゆうひが丘の総理大臣」など、青春物、学園物・・・数々のドラマに出演しヒット作多数。
最近では、「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」に特別出演されていました。
大河ドラマにも5作品出演。
テレビのみならず、映画・舞台にも出演、歌手活動も精力的に行われています。

芸能生活は47年 主演した連続ドラマの数は34本 コンサートの数は1500回を超える。

中村雅俊シンフォニックライブ

今年70歳で古希を迎えた”中村雅俊”さん。

8月28日の兵庫県西宮市から始まった「billboard classics 中村雅俊 Symphonic Live 2021~Before DAWN~」と題した自身初の全編フルオーケストラとの共演コンサートが全国4都市で開催。
「1日1日を大事にしようという意識は強くなった」と日々をかみしめる中で、デビュー50年も見えてきた。仕事への渇望はまだまだある。慶大時代を述懐し「俺の原点、出発点は英語。英会話クラブに入って初めて英語でお芝居をして、それを繰り返していくうちに興味を持って劇団に入ったんですよ。だから最初の出発点である英語劇をもう一回やりたい」と力を込めた。

 今欲しいものを「加齢のスピードを緩めてほしいな」と笑うが、仕事への熱量はみじんも衰えていない。未体験が詰まった今回コンサートに向けて「100%以上の気持ちでやる。久々に頑張ろうという気持ちでいっぱいでいます」。思いを、歌声に乗せる。
古希を迎え白髪も増え、先輩から引退の話をされる機会も増えたという中村さんですが、限られた時間を感じるからこそ、仕事と真摯に向き合い時間を大切に過ごされているようです。

カースケのように自由奔放ではないですが、中村さんらしく人生を楽しんで生きられているようです。

グズ六・秋野太作の現在

本名:津坂 匡章(つさか まさあき)

生年月日:1943年2月14日

出生地:東京市台東区

身長:170 cm

血液型:O型

活動期間:1967年~

活動内容:1963年 俳優座養成所入所
1966年 俳優座入団

配偶者:太地喜和子(1974年)温碧蓮(1975年~ )

所属事務所:グランパパプロダクション
女性からモテるキャラだった俺たちの旅の「グズ六」同様、女性ファンが多かったという”秋野太作”さん。
主役は張られませんが、ドラマ・映画に引っ張りだこの名脇役です。

あの可愛らしい独特のキャラでバラエティ番組や「いい旅・夢気分」「土曜スペシャル」など旅番組にも出演され人気でした。
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2017年10月 光文社 刊行
「男はつらいよ」シリーズなどで数多く共演し秋野さんの役者人生に大きな意味をもたらした”渥美清”さんについて綴ったエッセイ「私が愛した渥美清」

初共演した際に、「適度のセンスと理解力を持って 流れるように流れるように」と唄って?アドバイスして下さった言葉が響いたそうです。

”渥美清”さんは、「三枚目とか面白いとかじゃなくてぼくが思ってた通りの、昔見た下町にいる変なおじさんですよ」
秋野さんはデビュー前から”渥美清”さんのファンだったそうです。

そして、近年は「講演活動」もされています。
「酒や女遊びは“芸の肥やし”じゃなくて病気のもと」と語っておられる秋野さんは、年に1回は健康診断を受け、30代には酒たばこをやめ健康に気をつけておらるそうです。
近所を2~5キロゆっくり走ったり、ヨガをやったり体を鍛え、読書と瞑想で頭のコンディションも整えておられます。

「本来の舞台俳優に戻って100歳まで舞台に立ちたい」これが秋野さんの目標です!

オメダ・田中健の現在

本名:田中 研一(たなか けんいち)

生年月日 1951年3月6日

出生地:福岡県筑後市

身長:173cm

血液型:O型

活動期間:1972年~

配偶者:古手川祐子(1986年~1999年)加賀千景(2000年~)

所属事務所:オスカープロモーション
1972年に”あおい健”名義で歌手デビューされ、その後、俳優の道へ進まれています。

青春ドラマになくてはならない存在として活躍された後、存在感あるバイプレイヤーとして数々の映画やドラマに出演されています。
大河ドラマにも6作品出演。

最新では、「科捜研の女 -劇場版-」に出演。

1990年から南米に取材に出かけて出会ったケーナの奏者としても活動されています。
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