マイケル・ジャクソン起用にまつわるエピソード
既に全米1位を何度も獲得し、スターであったマイケルだが、この頃はまだ日本での知名度はそこまで高くは無かったという。
当時、スズキのスクーター『LOVE』のCM制作を担当した元博報堂・重成寛宣氏(当時部長)の談話を掲載。
当時、スズキのスクーター『LOVE』のCM制作を担当した元博報堂・重成寛宣氏(当時部長)の談話を掲載。
あれは1982年の夏、彼がアルバム『スリラー』を出して全米1位を獲得した頃でした。
当時僕はスズキの担当になって、モペット型の原付「LOVE」のCMをどう作ろうか悩んでいました。
あの頃モペット型の原付は、ホンダが独走していてスズキはなんとかそれに追いつこうと、画期的なCMを、と要請がきており、僕は『LAタイムズ』で知ったマイケルを主役に立てる事を思いついたんです。
契約の時に彼の家まで行きましたよ。
最近TVに出ているお兄さんもいたし、妹のジャネットも、お父さんもいました。
マイケルは利発で礼儀正しい青年だったけれども、彼等が立てた代理人が嫌なヤツでね。
撮影の時の送迎はリムジンでないとダメだ、契約金の他に大型バイクをよこせと、とにかくうるさいヤツでした。
その要求を全部のんで無事契約となったんだけれども、その後が良くなかった。
なにぶんにも30年近い前の話、スズキ社内で何故CMの主演に黒人を使うんだという意見が沸き上がり、「今になってそんな…」という場面がありました。
しかし、当時の営業部長である河合勉常務及び鈴木修専務(現会長)が、まだ日本では訳も分からぬ黒人タレント、マイケルでいこうという決断を下されました。
その偉大さと先見性は、今振り返っても「この人たちはスゲエナア」と思いますね
たった数百万円!?破格のギャラで出演したマイケル。
このスズキCMに掛かった制作費は、契約料込みの総額で1000万円以内。
マイケルに渡るギャラは数百万円だったとの関係者の証言もある。
世界的な大スターのCM出演ギャラがたった数百万だったとは…。
数億円どころか、数十億円でも不思議はないのに。
当時まだアメリカでは根強い人種差別が残っており、人気があったマイケルであってもCM出演などは厳しい状況で、そうした環境と日本ではまだ高くなかった知名度が影響して、このような破格のギャラで出演してもらえることになったらしい。
1987年に初来日した際には空前のマイケル・フィーバー。
コンサートチケットとグッズだけで33億円の収益をあげました。
もし、その頃にCM出演を持ちかけたら、いったい幾ら必要だったのでしょう…。
当時の時代背景により実現したスズキのスクーター『LOVE』へのマイケル・ジャクソン出演。
あの映像をリアルタイムで見られたことに感謝!
マイケルに渡るギャラは数百万円だったとの関係者の証言もある。
世界的な大スターのCM出演ギャラがたった数百万だったとは…。
数億円どころか、数十億円でも不思議はないのに。
当時まだアメリカでは根強い人種差別が残っており、人気があったマイケルであってもCM出演などは厳しい状況で、そうした環境と日本ではまだ高くなかった知名度が影響して、このような破格のギャラで出演してもらえることになったらしい。
1987年に初来日した際には空前のマイケル・フィーバー。
コンサートチケットとグッズだけで33億円の収益をあげました。
もし、その頃にCM出演を持ちかけたら、いったい幾ら必要だったのでしょう…。
当時の時代背景により実現したスズキのスクーター『LOVE』へのマイケル・ジャクソン出演。
あの映像をリアルタイムで見られたことに感謝!
しかし、スリラーも知らない年配のおじさま方にとってはそうだったのでしょう。
まだ幼かった私もこの時点ではマイケルをあまり知りませんでしたが…