アイドル歌手・野口五郎と女性の噂
野口五郎は、1956年2月23日岐阜県美濃市出身。14歳の時に歌手を目指して母親と上京、1971年に15歳で芸能界にデビューしました。西城秀樹、郷ひろみと並ぶ「新御三家」の一人と言われ、70年代に活躍した男性アイドルです。
野口五郎の高音で愛の歌を絶唱する歌唱。
漫画のヒロインのような外見はすごい人気でした。
漫画のヒロインのような外見はすごい人気でした。
#野口五郎
— asachan (@b8jA9u8hH19cbJC) June 19, 2018
ゴローさん、可愛い〜です(*´∇`*)🌻🌺 pic.twitter.com/eABR3TK5f3
70年代のアイドルはアイドルとしての虚像を守るために、プライベートや実像の姿を見せることはなかった。写真雑誌などもない時代で、現在のようにデートを撮影されたり、熱愛をスクープされることもなかった。
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当時のアイドルにたいするは芸能事務所の管理は厳しく、夜遊びどころか、簡単に外出することすらできなかったという。
そんな中でも、週刊誌や女性誌で人気アイドルの交際が報道された。
そんな中でも、週刊誌や女性誌で人気アイドルの交際が報道された。
交際していた!ピンク・レディーのケイ(増田恵子)
1978年に発売した28枚目のシングル「グッド・ラック」はオリコン4位にランクオンするヒットとなった。そして、翌年の1979年2月、22歳の野口五郎に初めて恋の噂が流れた。
野口五郎 グッド・ラック
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お相手は21歳のピンク・レディーのケイ(増田恵子)、二人の交際が新聞や週刊誌で報じられた。婚約間近でホテルで密会しているという噂まで流れていた。
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毎週木曜日の夜に生放送されていたTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」に熱愛報道の渦中の二人が出演。テレビ局には100人ほどの報道陣が集まった。
この騒ぎがきっかけとなり、二人はそれぞれ記者会見を開いた。
この騒ぎがきっかけとなり、二人はそれぞれ記者会見を開いた。
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野口五郎は、「歌手仲間であり、友達」。ケイ(増田恵子)は「電話で相談に乗ってもらった」と友達関係を強調、男女の交際について触れることはなかった。
翌年の1980年頃には、野口五郎とケイの噂は聞かれなくなった。
翌年の1980年頃には、野口五郎とケイの噂は聞かれなくなった。
2002年に増田恵子は、音響会社「ギルド・ジャパン」社長の桑木知二(くわき・ともじ)氏と結婚した。
ケイは2010年に週刊誌上で当時の野口五郎との交際について、真相を語った。事務所からの圧力がかかっていたことや結婚より仕事を選んでも、彼とは別れない。と断言していたことを告白した。
ケイは2010年に週刊誌上で当時の野口五郎との交際について、真相を語った。事務所からの圧力がかかっていたことや結婚より仕事を選んでも、彼とは別れない。と断言していたことを告白した。
結婚寸前までいってプロポーズしなかった…斉藤慶子
1983年に連続ドラマ『誰かが私を愛してる』の主題歌「19:00の街」がヒットした。
翌年の1984年3月、当時22歳の斉藤慶子と野口五郎の熱愛が報じられた。
翌年の1984年3月、当時22歳の斉藤慶子と野口五郎の熱愛が報じられた。