桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース
2019年10月4日 更新

桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース

本来、「すみませんでした」という謝罪は「澄みませんでした」 ということ。そういう意味で桑田真澄はほんとうに澄んだ男なのかもしれない。数字や勝ち負けなどの結果や巨額の年俸がクローズアップされやすいプロ野球において、「結果はクソ」とプロセス主義を貫き、「試練や困難は自分を磨くための砥石」「努力している自分が好き 」と自分を磨くこと「人間力」を上げることを人生の価値とした。そしてライバル清原和博同様、スケールの大きな、そして好対照な野球道を歩んだ。

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2003年は、前年のような投球ができず5勝3敗、防御率5.93。
2004年は、3勝5敗、防御率6.47。
2005年は、0勝7敗、防御率7.14。
2006年4月13日、走塁中に右足首を捻挫。
2006年4月27日、広島戦では3回途中6失点でKOされ、2日後に1軍から登録が抹消された。
2006年9月23日、自身のホームページでジャイアンツ退団を示唆。
引退か、他球団で現役を続行するのか、注目された。
2006年11月2日、2007年シーズンよりメジャーリーグに挑戦することを表明。
2006年12月20日、ピッツバーグ・パイレーツと契約。
そして春季キャンプに参加した。
桑田真澄は、開幕メジャー入りを目指していた。
2007年、3月26日、オープン戦で登板した際、
センター前ヒットを打たれ、三塁ベースカバーに入ったとき、球審と激突し、右足首の靭帯を断裂してしまう。
パイレーツは桑田を解雇せず、故障者リストに入れて、リハビリをサポートした。
そして2007年6月2日、3Aのインディアナポリス・インディアンズで、公式戦初登板を果たした。
この投球が評価され、2007年6月9日にメジャー昇格。
2007年6月10日、39歳70日でヤンキースタジアムのマウンドに立ち、メジャー初登板を果たす。
しかし2007年8月14日、1勝も挙げられないまま(日本時間では15日)にピッツバーグより戦力外通告を受けた。
19試合登板し、0勝1敗、防御率9.43。
2008年、再びパイレーツとマイナー契約を結び、春季キャンプに参加。
オープン戦では好投をみせた。
2008年3月26日、野球選手として現役引退を発表した。

最後のKK対決

 (2143865)

2008年7月29日、桑田は、巨人を退団、オリックスバッファローズに入団し、大ケガと大手術、長期のリハビリとトレーニングを経て数日後に1軍復帰を決めている清原のバッティングピッチャーを買って出た。
パイレーツのユニフォームを着てスカイマークスタジアムのマウンドに立った桑田は、引退後もこの日のために毎日、ピッチング練習を続けてきた。
オリックスのユニフォームでバッターボックスに立った清原も、大きな手術とリハビリと練習を経てつくってきた体で渾身の力でバットを振った。
何球目かに清原が打ち返したライナーが桑田の左足を直撃。
応急処置を受けた桑田はポーカーフェイスで投げ続けた。
31球のバッティング練習の後、2人は真剣勝負を行った。
初球はボール。
2球目、ファール。
3球目、空振り。
4球目、ファール。
5球目、ファール。
6球目、桑田の真ん中高のストレートを清原は空振り三振。
2人は歩み寄り、マウンドとバッターボックスの真ん中で抱き合った。

野球道

 (2143490)

2009年1月28日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに合格。
2010年3月25日、首席で修了。
修士論文、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は最優秀論文賞を受賞した。
スポーツ解説者として、
質より量の長時間練習、
グラウンドで飲酒喫煙をする野球指導者、
年長者や指導者に絶対服従、体罰など、
日本の野球の指導の仕方について問題点を挙げている。

【第100回甲子園】桑田真澄始球式!めちゃくちゃ速い!【レジェンド始球式】2018年8月20日

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