沖雅也のノイローゼ
沖雅也は麻生探偵事務所のCAP(キャプテン)麻生雅人を演じている。ドラマの中で着用した衣装は「イヴ・サン=ローラン」。沖雅也の私服のほとんどはサン=ローランのものだったという。
幸い軽い怪我ですんだものの躁鬱病と診断され入院する。
また、この自動車事故については自殺未遂ともいわれている。
※この時の沖雅也は28歳、愛車キャディラックに乗っていた。
1981年6月1日に復帰したが、肝臓や薬の副作用で3ヶ月後には体調不良で長期の休養に入る。
1983年にはテレビドラマ版『蒲田行進曲』(TBS)収録を行い銀四郎を演じた。
沖雅也の歌手としてリリースしたレコード
1972年8月13日、ファースト・ライブ・アルバム。大分文化会館で開催されたワンマンショー「沖雅也 故郷に帰る」の実況録音されたLPレコード。
沖雅也の自殺・31歳で生涯を閉じる
非常口のドアから、屋上に出た沖は煙草を吸い、バルコニーの縁に座っていたという。
1.5メートルの柵を右足でまたぐ沖に気がついた警備員が「何やってんだ」と声を掛ける、驚いたように振り向き、バランスを崩して47階より150メートル下の7階の屋根に落ちた。と警備員は日景忠男氏に説明したという。
家光役を演じている生前の沖雅也の姿がそこにあった。
沖雅也が亡くなった翌日の6月29日には、テレビドラマ版『蒲田行進曲』後編が放送された。
当時の死因にまつわるスキャンダルのなか、最後の沖雅也の映像は話題となった。
沖は自殺直前に部屋にホテトル嬢を呼んでいた事が発覚、日景氏との同性愛疑惑なども取り沙汰され、マスコミの格好の餌食となった。
沖雅也が残した 遺書
ホテルに遺された沖雅也の遺書
ホテルに遺された遺書
今・・・・
プラザホテルさまへ 大変申し
分けなく、おゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名
つかを使いし僕を ゆるせるもの
ならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。
若さも、健康も生きていることも
どんな意味があうるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを
求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた人間の苦悩の
すべてを離れた境地を求めることが
正しいものを求めることと思うが、
今の私は、誤ったものの方を求めている者
(裏面下)
おやじ 涅槃でまってる
沖雅也
*管理人注)『人は病む』以降の文は、ホテル備え付けの仏教聖典からの引
自宅に残された沖雅也の遺書
自宅に残された遺書(記入時期不明、密葬の二日後に遺品の中から発見される)
遺書
私は生きる気力を失い 苦しさに負け
死を選びます。
私の死は、私自身の人間としての問題で
有り、沖雅也としてでなく 日景城児と
して、死んでいきます。
日景家一同様、名を汚して申しわけ
ありません。許してください。
日景忠男殿 あなたにうけたあたたかい思い
やり、身にしみて感じておりました
十五年 大変お世話になりました
楽しい日々でした。お元気で 有りがとう
(改行そのまま)
半年後の10月28日『帰ってきたスコッチ刑事』、1年後の1978年4月28日300回記念『男たちの詩』の「太陽にほえろ!」に沖雅也はゲストとして出演した。