日景氏に対する差別
沖雅也が亡くなった80年代はじめ。
養父の日景氏はゲイ(同性愛者)であり、当時の彼に対する差別は酷いものだった。
涙で語る日景忠男の映像を見て笑うスタジオの観客、それを放送したテレビ局
日景忠男氏は、高学歴!超裕福な家庭に育っていた
台湾の大学を卒業後、日本の東京大学大学院に進学している。
経営する新宿2丁目のゲイバーは実家からの仕送りで開店した。
実家は台湾で大きな病院を経営、裕福な少年時代を送っている。
沖雅也の祖父も病院を経営しており二人は意外にも似た境遇で育っている。それで気が合ったのかもしれない。
2008年秋、同じ容疑で逮捕される。懲役1年2月の判決が確定した。
勾留中の、日景忠男は患っていたC型肝炎から肝硬変になり入院したという。
寝たきりで、車椅子を使い刑務所内を移動していた。
2015年2月に78年の生涯を閉じた。
沖雅也のエピソード「パリ」
イヴ・サン=ローランの服とフランス旅行を好み、年末年始はパリで過ごしていた。
また、沖雅也は同性愛者(ホモ)ではなく、異性愛者(ノンケ)だったという。
女優や外国人女性と恋愛のウワサもあった。
(二人でパリを旅行中だったのだろうか。)
沖雅也が死んだ後、「数百年後の恋人達に拾ってもらえるように」と願いを込め、沖が愛したパリを流れるセーヌ川にその指輪を投げ入れたという。
さらに問題は、テレビ局はスタジオの蔑みの笑いを当然のように放送していたことだ。