【PCエンジン】ハドソンとNECが任天堂ファミコンの牙城に挑んだ意欲的なゲームマシン!!
2017年1月24日 更新

【PCエンジン】ハドソンとNECが任天堂ファミコンの牙城に挑んだ意欲的なゲームマシン!!

当時は素晴らしい高性能を誇った「PCエンジン」持っていた人も多いのではないでしょうか。ファミコンの牙城を崩そうとした意欲的なゲーム機でした。結果としてファミコンには及ばなかったものの、その開発思想などは優れていました。そんなPCエンジンを振り返ってみましょう。

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PCエンジン

元々、ファミコン初期のサードパーティーとしてノウハウを築いたハドソンの構想

ファミコン登場から4年後でした

ファミコン登場から4年後でした

PCエンジン(PC Engine)とは、1987年10月30日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)から発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。

当時のメーカー希望小売価格は24,800円。
1983年のファミコン登場から4年。
8BITゲーム機はまさにファミコン一強だった時代に、ファミコンへの最初のソフト供給会社だったハドソンがNECと組んで挑んだのが「PCエンジン」でした。

商品名のPCからは、当時8BITパソコンの雄であったNECのイメージが伝わってきます。
87年当時、申し分のないスペックを引っ提げて登場したPCエンジンは、ファミコンに慣れ親しんだ子供たちの目に鮮やかに飛び込んできました。

「Huカード」という点もファミコンと違って目を惹きました

PCエンジン CM - YouTube

ファミコン陣営と戦い、次なる16BITの戦いにも挑むことになったPCエンジン

任天堂のファミリーコンピュータが発売から4年経過し、その市場を受け継ぐポストファミコンとして開発、市場に投入され、ファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合。後にスーパーファミコンやメガドライブと競合した。

NECグループとしてはコンシューマ初参入ハードで、ハードウェアとソフトウェアの開発はハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)が担当していた。

発売当時としては常識を覆す高速・高性能であり、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。

コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売され、光学ドライブ・CD-ROM・マルチタップなどの機器はライバル機種や次世代機でも採用されており進歩的な設計であった。 同時にゲームとアニメが融合した文化を作り上げたゲーム機である。これは次世代機PC-FXの設計思想の土台にもなっている。

16BIT時代まで、セガとは長くライバル関係となりました

開発経緯と優れた設計思想

ハドソンが開発を企画

ハドソンが開発を企画

1985年にハドソンで「プログラマーにとって、もっとゲームが作りやすいハードができないか」というコンセプトでPCエンジンの開発が企画され、チップ開発が始まった。PCエンジンのハード開発企画はシャープやソニーに持ち込んだが折り合わず、NECホームエレクトロニクスと共同開発する事となった。

ポストファミリーコンピュータとして作られたPCエンジンは、以下の特徴がある。

ゲームソフトにHuCARDというICカード型のROMカートリッジを採用した。後に、そのコンパクトな形状を活かしたPCエンジンGTという携帯型ゲーム機も開発された。

PCエンジン本体をコア(核)とし、様々な周辺機器を拡充していく「コア構想」を展開した。

家庭用ゲーム機としては世界初となる光学ドライブを搭載し、CD-ROMをゲームソフトとして採用した。

本体と同時発売のマルチタップを用いることで、最大5人までの同時プレイを可能にした。

ファミコン最初のサードパーティーだったハドソンは、ファミコンで十分な利益と経験を積んだことでしょう

初作でいきなりミリオンヒットを達成した「ロードランナー」はじめ、ハドソンはファミコンで次々に大ヒット作品をリリースしていきました。

コア構想とは

8BIT機戦争から16BIT機戦争まで、PCエンジンが長く戦える根拠となったコア構想

PCエンジンの大きな特徴でした

PCエンジンの大きな特徴でした

PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータのようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。

いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来。周辺機器による拡張が前提であり、本体にはゲーム機として最小限の機能しか無い。多人数での同時プレイにはマルチタップを必要とし、ゲームデータのバックアップには外部記憶ユニットを用いる。

一部機種を除いた本体の後部には拡張バスが標準装備されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、ハードの組み合わせによっては接続・使用できない商品があるといった問題点もあった。

構想の要であった拡張バスは、CD-ROM2本体により占有されるか一体化されたDuoの登場により消滅した。その後の周辺機器の接続には残ったHuCARDスロットやコントローラーポートを用いた。

【打倒ファミコン】NEC&ハドソンの戦略

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