永源 遙(えいげん はるか)プロフィール
リングネーム 永源 遙・永源 勝・グレート・トーゴー
身長 178cm
体重 110kg
誕生日 1946年1月11日
死亡日 2016年11月28日(70歳没)
出身地 石川県鹿島郡鹿西町(現在の中能登町)
所属 プロレスリング・ノア
デビュー 1966年10月12日
引退 2006年3月26日
大相撲出身
『大相撲』1963年10月号より、十両以下の各段優勝力士の写真。「序二段・永源」って、これ力士時代の永源遙…?(Wikipediaにも『1963年9月場所には序二段で優勝』とある) #sumo pic.twitter.com/uyUoNpWkIb
— ハナモ (@HANAMORO) August 20, 2015
元々は、立浪部屋に入門し、永源の四股名で1961年7月場所に15歳で初土俵を踏んだ大相撲出身の方です。
1963年9月場所には序二段で優勝されていますが、その後伸び悩み1965年5月場所限りで廃業。最高位は幕下71枚目。
東京プロレス
1966年10月に永源勝(えいげん まさる)のリングネームで木村政雄選手戦でデビューされています。
日本プロレス
当時は高千穂明久選手との試合はの若手の黄金カードとされていました。
というわけで、アメリカで「グレート・トーゴー」を名乗っていた時代の永源の画像をオマケで貼っておくよ。オリジナルのグレート東郷のイメージとはかなりかけ離れた山伏風スタイルがとっても可愛らしいんだ。 pic.twitter.com/DU3hzKky2w
— ラッシャー (@Rusher_415) May 31, 2020
グレート・トーゴーのリングネームでカンザスのNWAセントラル・ステーツ地区を主戦場に、日本人ヒールとしてトーキョー・ジョーこと安達勝治選手(後のミスター・ヒト)とのタッグチームで活動されています。
この年3月にはボブ・ガイゲル&ルーファス・R・ジョーンズを破り、セントラル・ステーツ版の北米タッグ王座を獲得し、同王座は後に世界タッグ王座として認定され、8月にロジャー・カービー&ロード・アル・ヘイズに奪取されるまで保持されています。
新日本プロレス
永源さんは、1973年10月に帰国後、新日本プロレスへ移籍され、以降、前座・中堅の要となって長年に渡り活躍されています。
特に大会場で組まれていた荒川真選手とのシングルマッチは後の百田さんとの抗争の源流で、両者の対戦はファンだけでなく新日本プロレスの社長だったアントニオ猪木氏自身も楽しみな試合だったと後に語っています。