T.M.Revolutionの誕生からデビュー
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まずはT.M.Revolutionの誕生から見ていきましょう。
T.M.Revolutionこと西川貴教さんは1991年にバンドLuis-Maryのボーカルとしてデビューしていました。ですが、方向性の違いで1993年に脱退しています。
プロデューサーの浅倉大介さんが参加していたユニット、accessが活動休止になり、ソロ活動を始めました。浅倉さんはソロ活動の他に他のアーティストのプロデュースも始めました。
そしてヘアメイクさんの紹介で西川さんに出会い、「BLACK OR WHITE?」というソロシングルにゲストボーカルとして出演してもらいました。名義は浅倉大介 expd. 西川貴教でオリコン20位に入っています。
その後浅倉さんと葛城哲哉さん・木根尚登さんのイベントにゲスト出演し、TM NETWORKやaccessの曲を歌いました。
その後、浅倉大介さんプロデュースの元、「T.M.Revolution」というソロプロジェクトが発足したのです。意味は"Takanori Makes Revolution"(貴教が革命を起こす)ですが、TMネットワークに似ているということは後から気が付いたそうですが、小室さんには了承を取ったのだとか。
そして、翌年の1996年に1stシングル「独裁 -monopolize-」でデビューします。
T.M.Revolutionこと西川貴教さんは1991年にバンドLuis-Maryのボーカルとしてデビューしていました。ですが、方向性の違いで1993年に脱退しています。
プロデューサーの浅倉大介さんが参加していたユニット、accessが活動休止になり、ソロ活動を始めました。浅倉さんはソロ活動の他に他のアーティストのプロデュースも始めました。
そしてヘアメイクさんの紹介で西川さんに出会い、「BLACK OR WHITE?」というソロシングルにゲストボーカルとして出演してもらいました。名義は浅倉大介 expd. 西川貴教でオリコン20位に入っています。
その後浅倉さんと葛城哲哉さん・木根尚登さんのイベントにゲスト出演し、TM NETWORKやaccessの曲を歌いました。
その後、浅倉大介さんプロデュースの元、「T.M.Revolution」というソロプロジェクトが発足したのです。意味は"Takanori Makes Revolution"(貴教が革命を起こす)ですが、TMネットワークに似ているということは後から気が付いたそうですが、小室さんには了承を取ったのだとか。
そして、翌年の1996年に1stシングル「独裁 -monopolize-」でデビューします。
「LEVEL 4」
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1996年に3枚のシングルをリリースし、1997年1月からは「西川貴教のオールナイトニッポン」が放送スタート。これで徐々に知名度がアップしていきます。オールナイトニッポンは8年以上に渡ってパーソナリティを務めました。
1997年4月には「LEVEL 4」をリリース。4は4枚目のシングルという意味もあり、その前に発売されたアルバム『restoration LEVEL→3』の続編、という意味も込められています。
PlayStation用ゲームソフト『モータートゥーン・グランプリUSAエディション』のCMソングで、オリコン初登場では30位でしたが35週に渡ってランクインし、最高位は18位までになりました。
1997年4月には「LEVEL 4」をリリース。4は4枚目のシングルという意味もあり、その前に発売されたアルバム『restoration LEVEL→3』の続編、という意味も込められています。
PlayStation用ゲームソフト『モータートゥーン・グランプリUSAエディション』のCMソングで、オリコン初登場では30位でしたが35週に渡ってランクインし、最高位は18位までになりました。
「HIGH PRESSURE」
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1997年7月にリリースされた5枚目のシングルは「HIGH PRESSURE」。ロッテ「Sweetieアイス」CMソングに起用され、オリコン最高位は4位でした。T.M.Revolutionの楽曲の中で歴代2位の売り上げを記録しています。
白い衣装を着て、暴風の吹く中、西川さんが歌って踊っているPVが印象的でした。豊洲で大掛かりなセットを組んで撮影されたそうです。
この曲でミュージックステーションに初出演し、知名度も一気に上がりました。
白い衣装を着て、暴風の吹く中、西川さんが歌って踊っているPVが印象的でした。豊洲で大掛かりなセットを組んで撮影されたそうです。
この曲でミュージックステーションに初出演し、知名度も一気に上がりました。
「WHITE BREATH」
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1997年10月に発売された6枚目のシングルは「WHITE BREATH」です。オリコン最高位は1位。累計売上は102.9万枚でT.M.Revolutionの楽曲の中で売上1位です。1997年の年間売上チャートでも39位に入り、この曲で紅白歌合戦にも出場しました。
NHK「ポップジャム」OPテーマソング、およびニッポン放送の長野オリンピックテーマソングでした。
今度は吹雪の中、スーツ(だけどシャツはなし)にネクタイというこのジャケットと同じ姿で歌っているというPVでした。
T.M.Revolutionといえば、無茶なシチュエーションで歌う人、という印象になりましたよね。
NHK「ポップジャム」OPテーマソング、およびニッポン放送の長野オリンピックテーマソングでした。
今度は吹雪の中、スーツ(だけどシャツはなし)にネクタイというこのジャケットと同じ姿で歌っているというPVでした。
T.M.Revolutionといえば、無茶なシチュエーションで歌う人、という印象になりましたよね。
「HOT LIMIT」
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1998年6月にリリースされたのは「HOT LIMIT」こちらもオリコン最高位1位で、90万枚ほど売り上げたそうです。T.M.Revolutionのシングルの中では歴代3位でした。
今度は黒い帯のような、このジャケットの衣装を着て海の上に作ったステージで風を受けながら歌って踊るというPV。こちらの撮影をするのに日本では許可が下りず、フロリダで撮影をしています。
すごいですね。それでも人々の心に残るPVになったので正しい選択だったんでしょうね。
今度は黒い帯のような、このジャケットの衣装を着て海の上に作ったステージで風を受けながら歌って踊るというPV。こちらの撮影をするのに日本では許可が下りず、フロリダで撮影をしています。
すごいですね。それでも人々の心に残るPVになったので正しい選択だったんでしょうね。
「WILD RUSH」
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1999年2月には11枚目のシングル「WILD RUSH」をリリース。オリコン最高位は2位でした。
こちらは資生堂のシャンプー『ティセラ ジャングルジャングル』のCMソングに起用され、本人出演しています。CMやPV,ジャケットはジャングルをイメージした野性的な猿のような衣装で登場。こちらもインパクトがありますね。
この曲のリリース後、アルバムリリース、そして東京ドームでコンサートを行い、T.M.Revolutionの活動は封印されました。
そして「the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D」として浅倉大介さんとユニット活動をします。T.M.Revolutionの創成期は終わり、進化させるという意味が含まれています。
このユニットで1年間活動したのち、2000年からはT.M.Revolutionが再始動します。そして、2002年以降は西川さんのセルフプロデュースに変わります。
といっても、楽曲は浅倉さんが提供しているので不仲になったとかではないようです。現在もT.M.Revolutionとして活動をされていますが、デビューから25年経ったとは思えないほど今でもあまり変わらないですよね。いつまでもそのままのT.M.Revolutionでいてほしいです。
こちらは資生堂のシャンプー『ティセラ ジャングルジャングル』のCMソングに起用され、本人出演しています。CMやPV,ジャケットはジャングルをイメージした野性的な猿のような衣装で登場。こちらもインパクトがありますね。
この曲のリリース後、アルバムリリース、そして東京ドームでコンサートを行い、T.M.Revolutionの活動は封印されました。
そして「the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D」として浅倉大介さんとユニット活動をします。T.M.Revolutionの創成期は終わり、進化させるという意味が含まれています。
このユニットで1年間活動したのち、2000年からはT.M.Revolutionが再始動します。そして、2002年以降は西川さんのセルフプロデュースに変わります。
といっても、楽曲は浅倉さんが提供しているので不仲になったとかではないようです。現在もT.M.Revolutionとして活動をされていますが、デビューから25年経ったとは思えないほど今でもあまり変わらないですよね。いつまでもそのままのT.M.Revolutionでいてほしいです。
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