【日本シリーズ】口は災いの元!? シリーズの流れを変えた!? ヒーローインタビュー3選
2023年5月30日 更新

【日本シリーズ】口は災いの元!? シリーズの流れを変えた!? ヒーローインタビュー3選

長丁場のペナントレースと違って、日本シリーズは短期決戦。シリーズの行方は予断を許しません。過去には、いきなり3連勝して圧倒的優位に立つも、ヒーローインタビューでの発言を機に、形勢が逆転した(ように見えた)シリーズがありました。1975年、1986年、1989年の3回です。各シリーズを振り返ります。

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流れを変えたヒーローインタビュー

先に4勝した方が日本一となる日本シリーズで、いきなり3連勝すれば大きなアドバンテージとなります。しかし、短期決戦には流れがあり、一度負けてしまうと、その後もずるずる負けてしまうケースもしばしば。過去には、3連勝をした試合のヒーローインタビューで、相手チームを挑発するような発言をして、それを機に形勢が逆転してしまった(ように見えた)シリーズがありました。無論、発言だけが原因ではないでしょうが、挑発的な表現が相手チームを発奮させた可能性があります。今回は、以下の3つのシリーズのヒーローインタビューと最終結果を振り返ります。
年度 対戦 ヒーローインタビュー 最終結果
1976 阪急 vs. 巨人 第3戦:福本豊(阪急) 阪急4勝3敗
1986 広島 vs. 西武 第4戦:津田恒実(広島) 広島3勝4敗1分
1989 近鉄 vs. 巨人 第3戦:加藤哲郎(近鉄) 近鉄3勝4敗

1976年日本シリーズ

阪急が3連勝で王手

阪急にとって "巨人を破っての日本一" は、長年の悲願でした。西本幸雄監督時代は、通算5度のリーグ優勝を果たすも、日本シリーズではV9時代の巨人と対戦し敗退。その悲願は後任の上田利治監督に託され、1976年、その時が訪れます。阪急は、前期・後期1位となる完全優勝。日本シリーズの相手は、長嶋茂雄監督率いる巨人です。1972年以来、4年ぶりの対決となりました。

シリーズでは、リベンジに燃える阪急が、それまでの鬱憤を晴らすかのように、投打ともに好調。第1戦、第2戦は、敵地の後楽園球場ながら2連勝すると、ホームの西宮球場で迎えた第3戦は、10対3と巨人を圧倒します。いきなりの3連勝で、巨人撃破まであと一歩です。

第3戦で、マルチ安打で勝利に貢献したのは福本豊。調子に乗ったのか、試合後のインタビューでは、巨人を挑発するような発言をしてしまいます。映像は残っておらず、内容的には「近鉄やロッテでも、3試合やれば一度ぐらいは阪急に勝つ」といった意味合いの発言をしたとか。ここから、まさかの展開が待っていました。(因みにその年、近鉄は4位、ロッテは3位です。)

巨人が3連勝で逆王手、結果は・・・

これに発奮した巨人は、第4戦で接戦をものにすると、第5戦、第6戦はいずれもエース山田久志に土をつける快勝。特に、第6戦は試合前半で阪急が7対0とリードするも、巨人が7対7に追いつき延長戦へ。そして、10回裏に高田繁が巧打を決め、劇的なサヨナラ勝ちを収めました。

ついに逆王手流れは、完全に巨人です。

しかし、第7戦は、1点を争う好ゲームで、逆転に次ぐ逆転。8回の福本のダメ押しホームランが大きく、最後はエース足立光宏が完投で締め、4対2で阪急が勝利しました。ついに、悲願の "巨人を破っての日本一" 達成MVPは、舌禍の張本人・福本豊でした。

1976年日本シリーズ

阪急ブレーブス 二連覇

1986年日本シリーズ

広島が3連勝で王手

1986年の日本シリーズは、就任1年目の監督同士の対決となりました。古葉竹識監督の後を継いだ阿南準郎監督率いる広島、広岡達朗監督の後を継いだ森祗晶監督率いる西武2023年現在唯一、第8戦まで戦った歴史的シリーズです。

シリーズは第1戦から白熱し、西武が2対0でリードの9回裏、小早川、山本浩二が連発で同点に追いつき延長戦へ。しかし、延長14回でも決着がつかず、2対2の引き分けに終わります。第2戦は、西武・工藤、広島・大野の投手戦を広島が制して勝利、第3戦、第4戦も広島が連勝。特に、第4戦は、9回表土壇場で広島が2点を勝ち越し、最後は抑えの切り札・津田恒実が無失点に抑える快勝でした。これで、広島が3連勝。敵地・西武ライオンズ球場で王手をかけ、広島が断然有利です。

第4戦のヒーローインタビューは、津田恒実。ここで、あの挑発的発言が登場します。
−西武打線に対して一言だけ。

津田「そうですねぇ。なんかあんまり迫力がないような気もしましたねぇ。」

−大丈夫かな。西武を怒らせませんかね。

津田「あ、大丈夫です。」
via 1986年日本シリーズ第4戦ヒーローインタビュー

西武が3連勝で逆王手、結果は・・・

しかし、これで西武の選手が発奮したのか、その後はまさかの展開となります。第5戦は、1対1のまま延長戦へ。広島は、北別府が11回1/3を1点に抑える好投で、その後を津田がリリーフする万全の態勢を取ります。バッターは、投手の工藤。津田が難なく抑えるかと思った矢先、工藤は内角のストレートをミートし、ライト線2塁打サヨナラ勝ちで、ついに西武が一矢を報います。しかも打った相手は、前日あの発言をした津田で、西武としては溜飲を下げる結果となりました。

この勝利で波に乗った西武は、第6線を清原の本塁打などで勝利、第7線も勝利し、ついに逆王手をかけます。迎えた第8戦。このシリーズを象徴するような接戦で、広島が2点を先制するも、西武が6回に秋山の2ランホームラン&バック宙ホームインで同点に追いつきます。西武はさらに8回に追加点を挙げ、最後は工藤が締めて3対2。奇跡の大逆転で日本一を勝ち取りました。

3連勝の後の4連勝。これは、西武の前身である、1958年の西鉄以来の快挙でした。MVPは、工藤公康舌禍の張本人・津田恒実も1勝1S自責点0の好投で、優秀選手賞を受賞しています。

津田恒実 - 1986年日本シリーズ第4戦ヒーローインタビュー

1986日本シリーズハイライト西武VS広島 西武ライオンズ1分3連敗4連勝史上初8戦 GAME4広島津田恒実ヒーローインタビュー一言

1989年日本シリーズ

近鉄が3連勝で王手

1989年、平成初の日本シリーズは、藤田元司監督率いる巨人と、仰木彬監督率いる近鉄の初対決でした。「藤田マジック」「仰木マジック」と呼ばれた二人の名将の対決で、戦前の予想では、実績に勝る巨人有利の声が多かったようです。ところが、シリーズが始まると、近鉄が、第1戦、第2戦とホームの藤井寺球場で連勝。敵地・東京ドームで迎えた第3戦は、近鉄が早々に先制し、投げては加藤→村田→吉井の完封リレーで、3対0と巨人を圧倒します。近鉄がまさかの3連勝で、初の日本一に王手をかけました。そして、物議を醸したのが、第3戦の主役・加藤哲郎のヒーローインタビューです。次のような挑発的な発言をしています。
加藤「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね。まあ打たれそうな気しなかったんで。ええ、まあ、大したことなかったですね。」

(中略)

加藤「もちろんシーズンの方がよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし。」
via 1989年日本シリーズ第3戦ヒーローインタビュー
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