数々の偉業を成した黒柳徹子さん
黒柳徹子さんの略歴
そのうえ、伯父には、松竹蒲田撮影所の初代所長である田口桜村さん、日本ニュースのニューヨーク支社長のアメリカ・メトロニュース極東代表だった田口修治さんといった著名人・有名人揃いの家系といえます。
黒柳徹子さんは芸名でなく本名で、両親はこれから生まれてくる徹子さんを男子だと思っていたことから「徹」の字を入れることを決めていたそうです。実際に生まれたのは女子だったため、「徹」の字に「子」をつけて「徹子」と命名されたみたいです。
幼少期は問題児扱いされ、尋常小学校では一年生のときに退学処分になってしまいます。その後はトモエ学園に転校というかたちで移り、第二次世界大戦の東京大空襲を機に東北地方で疎開生活を送ることになります。
若かれし黒柳徹子さん
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黒柳徹子さんの成熟期
現地ではスタニスラフスキー・システムという理論に基づいて、プロの俳優に演技指導をするメアリーターサイ演劇学校に入学をして、東洋人初の生徒になります。アフターファイブには、振り袖姿で積極的にカクテル・ディナーを楽しむ社交場に出向いて、着物と洋服のどちらにも似合う髪型を開発していたというエピソードもあります。徹子さんの『タマネギヘア』はこの時に生み出されてアイデアであり、帰国後にはトレードマークとして日本国内でも広く知られるようになりました。
現在でも続く『徹子の部屋』、その前身となる『13時ショー』の司会が決まると、ニューヨークの留学生活を打ち切って日本に帰国します。『徹子の部屋』の放送が開始されると、役を演じながら司会は視聴者のイメージの混乱を招くという理由から女優活動を控えるようになっていきました。
マルチタレントとしての活躍
放送回数は10000回を超え、他にもこれまで数々の名誉賞を受賞しています。
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ミドルエッジには『ザ・ベストテン』が復活を果たした特番を紹介する記事がありましたので、そちらのリンクも掲載させていただきます。
生年月日:1933年8月9日
出生地 :東京都赤坂区
職業 :女優
タレント
エッセイスト
所属 :吉田名保美事務所
活動期間:1953年~