90年代の『女子アナブーム』を牽引したアイドル的アナウンサー
2016年2月28日 更新

90年代の『女子アナブーム』を牽引したアイドル的アナウンサー

アイドルアナウンサーというのは言いすぎかもしれませんが、女子アナウンサーのアイドル化・タレント化傾向が特に強く見られた1990年代の女子アナブームの火付け役となった元フジテレビのアイドル並に人気のあったアナウンサーほか、その人気に便乗してアイドル化・タレント化していった他局の人気アナウンサーを振り返ってみましょう。単なるアナウンス以外の大きな役割、人気のバラエティ番組などで共感される人気者になることが特に重要でしたね。2000年以降は、アナウンサーにアイドル・タレント的要素が求められるのは当たり前になった感があります。

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薮本雅子(1991年日本テレビに入社)

薮本雅子(1991年日本テレビに入社)

京都府生まれ。父、祖父ともに医師。

1981年(昭和56年)、芸能事務所・株式会社アミューズ(東京・渋谷)に所属、上京してタレント活動を始めた。麹町学園女子中学校・高等学校(東京)に学び[1]、1982年(昭和57年)頃には音楽バンド 『ジューシィ・フルーツ』に、キーボード担当として参加するなどしていた。その後は京都に戻り、平安女学院高等学校に編入した。

早稲田大学教育学部を卒業した1991年(平成3年)、日本テレビに入社、アナウンス部に所属した。同期のアナウンサーには、笛吹雅子がいた。アナウンサーとしてバラエティー番組等に出演したほか、1993年(平成5年)には同局のアナウンサー、米森麻美、永井美奈子とともに、アイドルグループ 『ドラ(DORA)』を結成、CDアルバムも発売するなど、タレント化する女子アナウンサーの一翼を担った。
(出典:Wikipedia「薮本雅子」)
米森麻美(1989年日本テレビ入社)

米森麻美(1989年日本テレビ入社)

愛知県名古屋市生まれ。小学生から高校にかけ父親の米国赴任によりシアトルやロサンゼルスで暮らす。帰国後は国際基督教大学高等学校を経て上智大学外国語学部英語学科を卒業。

上智大学時代に、女子大生キャスターとして日本テレビの「ルンルンあさ6生情報」に週一回レギュラー出演していたことがあった。在学中にミスソフィアに輝いている。

1989年、日本テレビに入社。
「NNNきょうの出来事」でお天気コーナーを担当していた。英語で書かれたファンレターに感激し英語で返事を出したこともある。

バラエティー番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でアシスタント役を務め、人番組内では進行役の福澤朗から「よねっぺ」と呼ばれていた。

1992年~1993年、永井美奈子と薮本雅子(共に現在はフリー)両アナウンサーと結成したユニット「DORA」で活動。
(出典:Wikipedia「米森麻美」)

90年代に活躍したTBSのアイドル的アナウンサー

渡辺真理(1990年4月TBS入社)

渡辺真理(1990年4月TBS入社)

TBSアナウンサー時代
横浜雙葉中学校・高等学校を経て国際基督教大学教養学部人文学科卒業後、1990年4月にTBSにアナウンサー26期生として入社(同期は岩井健浩、有村美香、田中宏明)。

1991年4月に朝のワイドショー『モーニングEye』のキャスターに抜擢される。このほか、最後の出題アシスタントとなった『クイズダービー』をはじめ『そこが知りたい』『スーパーサッカー』など多方面で活躍し、TBSを代表するアナウンサーとなる。

しかし1996年秋、坂本堤弁護士一家殺害事件に関連して以前『3時にあいましょう』のスタッフが起こした「坂本弁護士のインタビューテープ問題」の影響で『モーニングEye』は打ち切られる。

直後に『筑紫哲也 NEWS23』の第2部のキャスターに就任、「若き巨匠ヨー・ヨー・マー」における第22回'96アノンシスト賞 グランダ・プレミオ賞を受賞するが、1997年秋、放送時間短縮を含む抜本的なリニューアルを実施するのを機に、降板となった。

1998年3月に退社するまでの半年間は、唯一のレギュラー番組・ラジオ『MELODY MARKET』のほかは世界フィギュアスケート選手権中継のナビゲーターを務める程度だった。
(出典:Wikipedia「渡辺真理」)
雨宮塔子(1993年4月TBS入社)

雨宮塔子(1993年4月TBS入社)

TBSアナウンサー時代
『どうぶつ奇想天外!』『チューボーですよ!』などのバラエティ番組を中心に担当した。また、早朝情報番組の司会やお昼の生番組でアシスタントをこなし、ラジオではレギュラー番組を複数担当した。当時のアナウンス室内では、3年先輩の渡辺真理、1年後輩の進藤晶子と公私共に親しい仲だった。
1995年の阪神・淡路大震災発生時には、担当していた朝の情報番組『ザ・フレッシュ!』で、大阪の毎日放送に出向き原稿を読むなど、報道関連の活動もあった。
当時のアナウンス室内では、3年先輩の渡辺真理、1年後輩の進藤晶子と公私共に親しい仲だった。
雨宮塔子

雨宮塔子

進藤晶子(1994年4月TBS入社)

進藤晶子(1994年4月TBS入社)

進藤 晶子(しんどう まさこ、1971年9月10日 - )は、日本のアナウンサー。本名、深堀 晶子(ふかぼり まさこ)。旧姓、進藤(しんどう)。

大阪府出身。1994年4月にTBSアナウンサー29期生として入社。2001年3月にTBSを退社、フリーに。

1995年放送開始の『ランク王国』では初代司会を務め、アニメーションのキャラクターなどに扮する「コスプレ」を披露して人気を得た。

『ランク王国』と並行して、週末の『JNNスポーツ&ニュース』のキャスターを務め、さまざまなバラエティ番組にも出演する。

1997年秋『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツキャスターに起用されると、たちまちアイドル的な人気を得るようになる。そのため週刊誌などの活字メディアの格好の取材対象にもなり、毎週のように彼女に関する真偽いろいろの記事(「社内いじめがあったのではないか」等)が掲載された。
(出典:Wikipedia「進藤晶子」)
『セーラームーン』の姿をした進藤晶子アナの番組特製テレ...

『セーラームーン』の姿をした進藤晶子アナの番組特製テレホンカードを製作したところ、応募が殺到し、非売品にもかかわらずカードにプレミアがついた時期もあった。

90年代に活躍したNHKのアイドル的アナウンサー

久保純子(1994年NHK入局)

久保純子(1994年NHK入局)

実父は元日本テレビアナウンサー(元アナウンス部長)および日本テレビアナウンスカレッジ初代学長の久保晴生。実母は元日本テレビアナウンサーの久保淑子(旧姓:加藤)。

両親ともにアナウンサー経験者である。小学校4年間をイギリス、高校時代をアメリカで過ごした。東京都立調布北高等学校入学後、ウィスコンシンの高校を経てニューヨークパイオニア・セントラル高校→上智大学比較文化学部比較文化学科を経て、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。

1994年にNHK入局(最初の勤務地は大阪放送局)。2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動となる。NHKでは珍しく「アイドルアナウンサー」と称され、受信料制度周知キャンペーンなどに起用された。
(出典:Wikipedia「久保純子」)
久保純子(1994年NHK入局)

久保純子(1994年NHK入局)

NHK時代の出演番組

ちょっといい旅(大阪放送局所属時代。レポーター)
NHKニュース11・NHKニュース おはよう日本(スポーツコーナー担当)
ポップジャム(司会)
連続テレビ小説『私の青空』(ナレーター)
プロジェクトX〜挑戦者たち〜(司会)
お宝映像クイズ 見ればナットク!(司会)
地球!ふしぎ大自然(ナレーター、武内陶子・松本和也とのローテーション)
NHK紅白歌合戦(紅組司会、1998年 - 2000年)
夢見るタマゴ!熱血浜田塾 若き卵たち
てれび絵本・ハリネズミのくるりん(朗読。2003年以後にリニューアル後、NHK所属アナウンサーが朗読したのはこれが現状唯一)

90年代に活躍したテレビ朝日のアイドル的アナウンサー

下平さやか(1995年テレビ朝日入社)

下平さやか(1995年テレビ朝日入社)

両親が放送局に勤める家庭に育つ。カリタス女子高校、早稲田大学法学部卒業後、1995年、アナウンサーとしてテレビ朝日入社。1996年から2000年まで『ミュージックステーション』のタモリとともに司会を担当した。
(出典:Wikipedia「下平さやか」)
高橋真紀子(1995年テレビ朝日入社)

高橋真紀子(1995年テレビ朝日入社)

湘南白百合学園高等学校、慶應義塾大学理工学部管理工学科(川瀬武志ゼミ(テーマは「価値観」))卒業後、1995年にテレビ朝日へ入社。

愛称はマッキー。女性アナウンサーとしては珍しい理系出身である。同期に下平さやか、西脇亨輔(現:法務部)、田村直己(制作2部ディレクター)がいる。

1997年3月より『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを務める。1998年3月いっぱいでメインから関東ローカルパートのサブキャスターとなる。この『スーパーJチャンネル』共演がきっかけで、同僚でアナウンサーの坪井直樹と結婚。その後、1度目の産休。
(出典:Wikipedia「高橋真紀子」)

90年代に活躍したテレビ東京のアイドル的アナウンサー

八塩圭子(1993年テレビ東京入社)

八塩圭子(1993年テレビ東京入社)

1969年(昭和44年)生まれ。東京都渋谷区出身、東京都立青山高等学校を経て、上智大学法学部法律学科卒業。学位は、法学士。法政大学大学院社会科学研究科経営学専攻修士課程修了。身長163cm。夫は、スポーツジャーナリストの金子達仁。

テレビ東京でアナウンサーを務め、バラエティー番組、『出没!アド街ック天国』での、タレント・愛川欽也との共演などで知られる。また、同局では『ニュース日経夕刊』や『株式ワイドオープニングベル』など、ニュース・経済番組も担当していた。

経歴
大学卒業後の1993年(平成5年)4月、テレビ東京に入社、報道局経済部記者となった。同期入社には、アナウンサーの大浜平太郎がいた。入社翌年、同局アナウンス室に異動となり、以後多くの番組に出演した。

2003年(平成15年)6月にテレビ東京を退社、フリーとなる。同年10月から2008年(平成20年)3月まで、『めざましどようび』(フジテレビ)のメインキャスターを務めた。
(出典:Wikipedia「八塩圭子」)
田口惠美子(1991年テレビ東京入社)

田口惠美子(1991年テレビ東京入社)

テレビ東京での出演番組

田口 惠美子(たぐち えみこ、結婚後の本名: 松岡 惠美子、まつおか えみこ、1966年2月2日 - )は、日本のアナウンサーである。かつてテレビ東京に勤め、ニュース番組 『ワールドビジネスサテライト』などに出演していた。また、プロテニス選手出身のタレント、松岡修造の妻としても知られる。

東京・新富町の出身。日本女子大学附属高等学校を経て、日本女子大学文学部英文学科卒業。ハーバード大学教育大学院メディア専攻修士課程修了。

1991年、テレビ東京に報道局報道局経済報道部記者として入社し、後にアナウンサーとなる。同局勤務中の1995年には、書籍 『TVニュース七つの大罪 -なぜ、見れば見るほど罠にはまるのか』(クレスト社)を翻訳出版している。
その後、2002年4月より2005年3月までの間には、国際基督教大学客員教授も務めていた。

タモリの音楽は世界だ!(1993年10月 - 1994年9月)
TXNニュース THIS EVENING(1992年4月 - 1996年9月)
ワールドビジネスサテライト (1996年9月 - 1997年12月)
(出典:Wikipedia「田口惠美子」)

90年代のワールドビジネスサテライトの司会の印象が強いです。賢そうで、きれいだった。
私の中では、アイドルでしたね。
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  • 📺 joshi-@na 2021/11/19 04:07

    逆に「ミーハーちゃん」でもなれるという誤解みたいなものも発信してしまったかも?

    💛 2020/1/5 15:05

    野球拳で下着になったひとはさすが
    いない

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