自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」
2016年11月25日 更新

自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」

アイドルホース「ハイセイコー」の初仔として誕生しながらも、苦しい新馬の時代を経験し、長い闘病生活を乗り越え、復活を果たしたサラブレッド「カツラノハイセコ」を振り返る

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なるか、グランプリ制覇

ファン投票1位で向かえた有馬記念ですが、単勝は3番人気。天皇賞の惨敗が影響したようです。
ライバルは前走でも戦った、ホウヨウボーイ、メジロファントム、そしてプリティキャストもいます。人気に応え、カツラノハイセイコはグランプリ馬となりえるか!?

有馬記念 中山芝2500m 12月21日

サクラシンゲキを先頭に、ホウヨウボーイはそのすぐ後ろの先行集団。カツラノハイセイコは後方待機。3コーナー付近でカツラノハイセイコが上がって行き、4コーナー付近では先行集団に位置します。直線に入り、先頭に立ったカツラノハイセイコをホウヨウボーイが抜いてトップに立ちます。しかし、カツラノハイセイコは二の足を使ってホウヨウボーイを懸命に追い、並んでゴール。
ハナの差でカツラノハイセイコは敗れたのでした。
直線で一旦はトップに立ったものの、抜き返すことができず2着に敗れた陣営は、すでに先を見ていました。6歳となる来シーズンは、カツラノハイセイコにとって、おそらくラストシーズンになるでしょう。有終の花を咲かすべく、静かに起動していたのでした。

「盾」取りに向けて

1981年(昭和56年)、陣営は照準を春の天皇賞に定めます。
6歳となったカツラノハイセイコの初戦は、3月8日阪神マイラーズカップ。1600mが不利と見られ、人気は3番目。前年のダービー馬・オペックホースとの対決かと思われたが、ウエスタンジョージ・ニチドウアラシ等との叩き合いを見事制し、1着でゴール。
続く第2戦は、4月4日阪神大阪杯。馬場は不良。斤量は59キロ。様々なハンディが重なったとはいえ、6着惨敗。いいところのなかったカツラノハイセイコは不安視されました。

天皇賞(春) 京都芝3200m 4月29日

体調がイマイチすぐれず、馬体重が昨年ダービー以来の440キロ台にまで落ち込んでいました。完全復調とまでいかないまま、レースを迎えます。
ライバルはリンドプルバン、カツアール、メジロファントムと強豪がひしめきます。
「盾」取り2度目の挑戦、父の思いを背負って、ターフに向かいます。
 (1703029)

先頭はサンシードール。カツラノハイセイコは中団。すぐ後ろにカツアール、リンドプルバンと続きます。4コーナーで団子状態となり、直線に入ると、集団のど真ん中からカツラノハイセイコが飛び出してきます。外から追ってきたのはカツアール。馬体をピッタリ合わせ、壮絶な叩き合い!でも、並んだら抜かせないのがカツラノハイセイコ。
クビの差を守って1着でゴール!!
via jra.jp
直線最後のカツァールとの壮絶な叩き合いを制し、並んだら抜かせない、強い競走馬根性を見せつけられたレースでした。
杉本清アナウンサーの「見てくれこの脚、見てくれこの根性!!」は名セリフとなりました。
こうして、父もなしえなかった天馬へと上り詰めたのでした。

ラストラン

宝塚記念 阪神芝2200m 6月7日

ファン投票1位。そして、単勝480円で1位。ラストランを飾るにふさわしい、1番人気での出走となりました。

レースは、ハギノトップレディが先頭。カツラノハイセイコは後方待機。
4コーナーから直線を向いても、先頭はまだハギノトップレディ。
カツアールが懸命に追いトップに立つと、馬群を割ってカツラノハイセイコが猛襲、その外からメジロファントムも突っ込んでくる。カツアールを急追しますが、あと1馬身届かず、2着。
陣営は、宝塚記念の前に引退声明を出していませんでした。なぜなら、日本で初めて行われる、外国招待馬とのレース、第1回ジャパンカップに参戦を予定していたからです。しかし、宝塚記念のレース後、脚部損傷が判明しそのまま引退となってしまったのでした。
引退式は、出走が叶わなかったジャパンカップ開催日、1981年11月22日でした。
その約1か月後、4歳時の1年間をともに戦ったパートナー松本善登騎手が、カツラノハイセイコの最後の雄姿を見届けたかのように、12月14日、癌によりこの世を去りました。
48歳という若さでした。

ターフを離れて

 (1703594)

カツラノハイセイコの種牡馬生活は、青森県でスタートしました。
重賞馬こそいましたが、あまり目立った産駒を輩出できませんでした。
その後、栃木県の那須で余生を送り、2009年10月8日、33歳の長寿を全うし、この世を去りました。
父の無念、人々の様々な思いを背負いつつも、自身の体を限界にまで追い込み、それらを見事にやってのけた、根性の馬・カツラノハイセイコ。
お疲れさまでした。そして、感動をありがとう。
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