ケンちゃんラーメン 1988年
80年代後半、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)といった冠番組が軒並み好調で、絶頂期ともいえる人気を誇っていた志村けん。その人気にあやかろうとして生産されたのが、ケンちゃんラーメンでした。
「ケンちゃんボールペン」「ケンちゃんケシゴム」「ケンちゃんびっくりカードペン」などが当たるクジ付きのケンちゃんシールが同封されたこのラーメンは、子供たちのおやつとして長らく親しまれたものです。
「ケンちゃんボールペン」「ケンちゃんケシゴム」「ケンちゃんびっくりカードペン」などが当たるクジ付きのケンちゃんシールが同封されたこのラーメンは、子供たちのおやつとして長らく親しまれたものです。
ケンちゃんラーメン CM
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日清食品 カップヌードル MISO 1992年
カップラーメンの元祖・カップヌードル。2016年時点で世界累計売数・400億食を突破している同商品は、日本が誇るグローバルブランド食品の一つとして、国際的にも認知されています。
そんなカップヌードルのコマーシャルには印象的なものが多く、1992年は、特にその当たり年であり、後述するミニ原始人がマンモスを追いかけるCMと共に話題を呼んだのが、ブラックミュージック界の大御所・ジェームス・ブラウンを起用した「カップヌードル MISO」のテレビCMでした。
その内容はというと、JBの代表曲『Get Up(I Feel Like Being Like A)Sex Machine』のフレーズ「Get Up!」が「ゲロッパ」と聴こえることにひっかけて、「ミソンパ!」と歌わせるというセルフパロディ的なもの。そのため一時期ジェームス・ブラウンは、彼の凄さを知らない子供たちから「ミソンパのおじさん」と認識されていたものです。
その内容はというと、JBの代表曲『Get Up(I Feel Like Being Like A)Sex Machine』のフレーズ「Get Up!」が「ゲロッパ」と聴こえることにひっかけて、「ミソンパ!」と歌わせるというセルフパロディ的なもの。そのため一時期ジェームス・ブラウンは、彼の凄さを知らない子供たちから「ミソンパのおじさん」と認識されていたものです。
日清食品 カップヌードル MISO James Brown 15" 1992
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日清食品 カップヌードル 1992
人気の俳優、タレント、アイドルを起用したり、J-POPの流行歌を流したりと、日本のテレビCMというのは、イメージ戦略を重視する傾向にあります。そのドメスティックさゆえに、国際的なCMのコンペティションで評価されることは極めて稀です。
しかし、1992年に放送されたカップヌードルのテレビCMは例外であり、世界でも高く買われ、カンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞しています。なんでもこのCM、日清社員が「自分たちのほうが面白いCMを作れる。失敗したら全員坊主になるからやらせてくれ」と、上層部へ直訴して実現したのだとか。結果として、CMは大好評につきシリーズ化。作り手の強烈な熱意が込められていたからこそ、歴史に残る名CMになったのかも知れません。
しかし、1992年に放送されたカップヌードルのテレビCMは例外であり、世界でも高く買われ、カンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞しています。なんでもこのCM、日清社員が「自分たちのほうが面白いCMを作れる。失敗したら全員坊主になるからやらせてくれ」と、上層部へ直訴して実現したのだとか。結果として、CMは大好評につきシリーズ化。作り手の強烈な熱意が込められていたからこそ、歴史に残る名CMになったのかも知れません。
日清カップヌードル CM 1992年 「マンモス」篇
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日清食品 ラ王 1996年
現在、前園真聖といえば、フジテレビ系の情報番組『ワイドナショー』で、松本人志や東野幸治にいじられている、天然系のおじさんタレントとしてお馴染みです。しかし、90年代中ごろまでは、将来を嘱望されるサッカー界の若きスターとして君臨していました。
そんな選手として絶頂期の前園を迎えて制作されたのが、日清『ラ王』のCMです。彼の相棒役をつとめたのが、当時無名の中田英寿。「ヒデ、ラーメン食いたくね?」「いくか、ゾノ!」という、コミカルな掛け合いは、1998年に日本が初のワールドカップ出場を決めて中田が時代の寵児となるほどに、格好のネタとして語られていたものです。
そんな選手として絶頂期の前園を迎えて制作されたのが、日清『ラ王』のCMです。彼の相棒役をつとめたのが、当時無名の中田英寿。「ヒデ、ラーメン食いたくね?」「いくか、ゾノ!」という、コミカルな掛け合いは、1998年に日本が初のワールドカップ出場を決めて中田が時代の寵児となるほどに、格好のネタとして語られていたものです。
日清食品 袋のラ王 前園真聖 中田英寿
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サンヨー食品 「サッポロ一番」カップスター 1999年
カップスタ~♪
食べたその日から~♪
味の虜に~♪
虜になりました♪
「サッポロ一番」カップスターのCMソングとしてお馴染みのこの歌。商品の発売年である1976年ごろより既に歌われていたという同曲は、一度聴いたら、耳から離れないキャッチーさがあります。
1999年には、吉田拓郎がこの曲を歌唱するバージョンが放送開始。当時、KinKi KidsがMCをつとめたフジテレビ系の音楽番組『LOVE LOVEあいしてる』への出演により、若年層にも知られる存在になったことが、起用の理由であったと考えられます。
1999年には、吉田拓郎がこの曲を歌唱するバージョンが放送開始。当時、KinKi KidsがMCをつとめたフジテレビ系の音楽番組『LOVE LOVEあいしてる』への出演により、若年層にも知られる存在になったことが、起用の理由であったと考えられます。
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「サッポロ一番」カップスター 吉田拓郎
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エースコック スーパーカップ 1990年代後半
現在、コンビニやスーパーの即席麺コーナーを賑わす「ガッツリ系カップラーメン」の数々。その元祖とでもいうべき商品が、1988年から発売されているエースコックの「スーパーカップ」です。