ほゞ半年ぶりだろうか?「仙人部落満月会」の面々が 

妻の祥月命日4月1日に集まった。あれから5回忌になるのか。

 

ブログアップが連休中になってしまった。

 

皆、相変わらず元気だ。体調を壊して長かったのは僕だけだった。…と言いたいが、

道路面から一段高い歩道につまずいて、大腿骨を骨折した「歴環研」の所長がいた。

しかも満月会の翌々日の事だ。

下の写真では、極めてにこやかな笑顔なのになぁ。

 

 

      

                    【石井さんの奥さんより手製】

   

大腿骨骨折 今は…、なツ何と、驚くなかれ若者の如き回復力の早さ、元気そのもの!

この連休中に外を歩き回ったらイカンので、戒めを込めてここにアップ!!

「判ったね、仙人どもが心配するぞ」

と、迷惑かけた自分が言えた柄ではないが(笑)

 

ついでにその後のおやつと飯も載せておこう。

  

        【紅茶とミカン缶詰】  【モズク・サンマの開き・豆ごはん・ラッキョウ】

 

【ネギ・アスパラ・椎茸・牛肉、残りの豆ごはん】

撮った筈の晩飯をウッカリ消してしまった。今日十六夜の月と共にお詫びです。

所用で静岡に行く途中 夕刻だが車窓から富士山を撮った。やはり 日本一の山だ。

 

うなぎ蒲焼を手に入れたので酒の肴にした。俺の分はちゃんと有りますので心配無用です。温め直して荏胡麻に載せたので旨いですよ。しッ 山椒を忘れた あっバレた(笑)

 

【僕の分です(笑)】

 

それから大サービスに お二人の「歓びの酒 松竹梅」で~す。

悪いですが お先にチョッと味見 キレ有りコク有り やや甘口、旨さは格別。

 

「ラベルは同じですが 中身は松竹梅の〝白壁蔵 生酛吟醸〟絶対に旨いです」

「ホイ 苅谷君きたねえぞ お前、なぁ哲よ」

「まぁまぁ社長、歓びの酒ってとこで 山椒も大目に観ましょうや ハッハッハ」

「テへへ、久しぶりの松竹梅だ 許してやっか へッへッへ」

「苅、ホラ 気が利かんなぁお前、3人で乾杯だ」

「カンパ~イ!!!」

 

「えッ 家内ですか?ハッハ 大好きな苺とマカダミアがいってますよ」

  

 

社長も兄イもニンマリ笑った。

 

「酒宴はこれで決まりだ。苅 お前もほゞ完全に戻って元気になったし、ねぇ社長」

「オーヨ、辛かったぜ2度も酒を抜いたのは。苅谷君 俺を我慢させたのはお前だけだ」

「はい はい、万事いつもの通り 一件落着 ガハハハ」

 

どちらかというと 俺は泣き笑いに近かった。3人の絆はこんなにも。

吞む度に大声の笑いが響いた。夜空には十六夜(いざよい)の月が見守っていた。

 

 

兄イ、4/10日。境内の海棠 綺麗に咲きましたね。

「お前は花を愛でる顔じゃないけどな 苅」

と言って笑いながら良くからかいましたね。今は懐かしいです。

兄イの笑顔で 境内がパッと明るくなってますよ。春 いいですねぇ。

 

 

社長、4/17日。晴れ男宣言してから 一度も雨に遭ってません。

「兄イと自分の晴れ男ぶり やっと御自分のものにされましたね 社長」

ここまで37年間かかりましたよ。兄イも苦笑いです。今日からブランデーをどうぞ。

 

「兄イ・社長。実はですね、晩飯と晩酌の写真 撮ったんですが、誤って消してしまっ  たんです。すみません」

「えっ!‥‥笑いで済ませて戴けるんですか⁈」

 

あんなに楽しみにされていた社長が‥自分のミスを笑って許す。

そんなに気遣って‥‥。嬉しさで もう平伏以外になかった。

 

「社長、兄イ」

 

にこやかな お二人の笑いだけが、青空に浮かんでいる。

お二人の月命日、こんな日はかって一度たりともなかった。

 

晴れたこの時期はホントに気持ちがいい。

拙宅の枝垂れ桜・花桃・海棠等々、次から次に咲き誇る。

  

          【枝垂れ桜】               【花桃】

 

  

           【海棠】          【青空に向かって伸びる海棠の枝】

 

【公園の八重桜はこれから本番】

 

そして表丹沢の新緑、水無川(みなせ=みずなしがわ)を散歩する人、風の吊り橋。

 

【一見、秋のように見える若葉の木々】

 

もう夕刻の6時に近い、陽が高くなったものだ。暮れなずむ群青の空に傾く月。

そして山の端に沈みゆく太陽が 平穏な一日の終わりを告げる。

 

【14日17時59分】

 

1時間半ほどブラリブラリと当てもなく歩いた。家に着いて 物置小屋兼書斎の壁を

見上げた。海棠の枝先に えッ、スズメバチの巣がぶら下がっているではないか!!

まだ作り始めて間もない「逆徳利形」の巣だ。

4月下旬から5月にかけて 内部を塗り固める時期の出来立てのスズメバチの巣だ。

このままいけばトンデモなくデッカイ巣が出来て危険は明らか。

夜 暗くなってから スズメバチ専用のスプレーで始末するしかない、心を鬼にして。

 

晩飯は ピーマンが無いのでアスパラを代わりにした青椒肉絲にした。イケるイケる。

食後の果物にはイチゴを。

 

 

何だか贅沢な気分だが、夜、スズメバチ退治をするので‥褒美の苺にしておこう。

 

[祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり。              

             沙羅雙樹の花の色 盛者必衰のことはりをあらはす~]
 

有名な冒頭ではじまる古典『平家物語』がある。岩波書店「日本古典文学大系」上下32 33
ここに 文武両道に勝れた人物、平忠度(たいらのただのり)の「忠度都落」と「忠度最期」が記されている。
2022年03月27日の拙ブログに紹介したことがある。

 

僕はこの「平忠度」という人物の生き方に かねてから惹き付けられてきた。

武将とは・歌人とは・士道とは・学問とは、人の道は 如何に迷いの根源なのか……

忠度の堂々たる雄姿に潜む 繊細なまでの優しさ、死の覚悟も 闇ならず明々。

僕の心に深く刻まれた忠度の人生観に、老子と己の最期を重ねて念ずることも多し。

                【我が街 桜通り

 

風に舞う櫻花の季節に、平忠度は 辞世の和歌と 懐かしき故郷の山桜を愛でた。

「旅宿の花」「故郷の花」2首をこゝに紹介したい。櫻花を詠んだ忠度の秀歌である

 

1つに、

平家物語の「忠度の最期」の場面で、一の谷の西手の大将軍であった忠度が、

唯一人 多勢の源氏と闘った折、箙(えびら➡矢を入れて肩や腰に掛け携帯する容器)

に結びつけていた辞世の和歌旅宿の花である

2つに、

敵と味方に別れた歌の師匠 藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が、

平氏滅亡後に 勅撰集(ちょくせんしゅう➡天皇や上皇の命により編纂された歌集)として編纂した「千載集」に、「詠み人知らず」として忠度の姓名を伏せて載せた「故郷の花」

である。

 

   

1、旅宿の花 (平家物語「忠度の最期」より) 

 【行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花やこよひの 主ならまし】
   [行(ゆき)くれて 木(こ)の下かげを宿とせば 花や今宵の主(あるじ)ならまし]
  ※歌意(苅谷)➡都落ちするなかに日が暮れて泊まる家もない。そうだ、 

                         この山桜の木の下を宿とすれば 桜の花が今宵の主人としてもてなしてくれるだろう。
   

【行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし
 

2、故郷の花 (千載集より「詠み人知らず」➜藤原俊成が忠度の姓名を伏せて選んだ)

   【さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな】
   [さざ波や 滋賀の都(大津京)は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな]
  ※歌意(苅谷)➡さざ波の打ち寄する志賀の都(大津京)は、もはや荒れ果てゝしまったが、

                     長等山の山桜は、昔と同じように咲いていることだ。

         「昔ながら」と「長等山(ながら山)」を懸けている。

琵琶湖にお住いのブロガーさんよりお借りした

 

平忠度、凛々しく逞しき若者だったと伝えられる。西相模の早川の合戦に出陣し、

その姿に敵方の源氏も圧倒されたという。平清盛の腹違いの6男で 貧しくも苦難の

中から頭角を現した。平氏の貴公子と云われた「青葉の笛」の敦盛とは生き方が違う。

 

忠度の壮絶な最期は、敵も味方もこぞって涙を流し、惜しむべき大将軍を と言って

涙で袖を濡らさぬ人はなかった と記されている。

                 平忠度 生誕 天養元年(1144)~死没 元暦元年(1184/3/20) 

 

櫻花、独り者なればこそ 舞い散る花の優美な愛しさは、身に沁みて胸を打つ。
僕は日本男児として
忠度の如く無限に静穏な感謝を奉げる 櫻花よ永遠不滅であれ
 

                               無為自然 苅谷俊介

              ~~~~~~~~~~~~
   
      
          【とろろ昆布汁・豆腐・肉・スナップエンドウ・海老・珈琲】

 

 

中京からの道中 SAでカケ蕎麦でもと思ったが、苫屋でも我が家で晩飯を作ることにした。少しでも筋力不足を補おうと努力したつもりだが(笑)

 

3年程前から数少なく なかなか手に入らなかった。もう来年は手に入らなくなる。

兄イの故郷「淡路のコウナゴノくぎ煮」、こればかりは一味違う。

 

新茶ではないが 萩焼の湯飲に美味しい茶を立てゝ、兄イ・社長と3人で箸をつけた。

 

 

 

「苅 お前だけは現役だ、しっかり喰え」

「オウ 哲の言う通りだ 炊き立ての飯にコウナゴノくぎ煮、こりゃ旨いぞ苅谷君」

「はい、こればかりは遠慮なくいただきます」

「次回からは 酒は解禁だ、なぁ哲 ハハハ」

「社長、吞み過ぎないように。兄イからもきつく言ってください」

「苅 社長が言うこと聴く訳ねえだろ」

「ですね、あれだけ我慢してたんですしねハハ」

 

少しの時間だったが、お二人の言葉が嬉しい。俺はまだまだ頑張らないと。

 

表に出て拙庭を巡ると 花盛りを目指す草木の姿に 思わず目が優しくなった。

 

  

   【オカメ桜はソメイヨシノを繋ぐために散り際】  【白蓮が咲き 花桃が開く】

 

  

       【築山のニラ花も今や盛ん】        【赤い木瓜が鮮やか】

 

  

       【サクランボの花のつぼみ】         【白い馬酔木】

 

  

       【フキはまだまだこれから】     【岩つつじの赤紫も競うように】

 

青空は広がり 風静かにして、「お二人の春の彼岸」詣でには この上ない日になった。

 

東名高速の上りはこの日も渋滞、一般道の抜け道を總持寺に向けて走った。

陽気のいいこんな日は 誰もが外の春の香に触れてみたぃものだ。

 

総持寺の駐車場から階段を上ることにした。

   

 

【抜けるような青空 社長も晴れ男に改心しましたね 37年かかりましたよ ハハハ】

 

「イヨーッお前 最高だなぁ苅谷君、言う事なしだ」

「来ましたよ~ 花咲き乱れる春の彼岸ですねぇ 気持ちがいいです」

「4月からは新出発だ。ありがとヨ」

「ハハハ、どういたしまして 兄イと一緒にガッチリ組みましたよ」

「オウ そうだ 苅谷君、今日もビールだけでいいぞ」

「エッ エエー!!社長 、イケますよ今夜からブランデー」

「文句言うな 俺が決めたんだ、その代わり4月の月命日は思い切り飲ませてくれ」

 

俺は何と倖せ者だ、大スターの大兄イがここまで俺を。

 

「社長…」

「ホイ 苅谷君 イイってことよ、哲のところ行く前に 三松閣で珈琲飲ませてくれ」

「はい社長 何杯でも」

「バ~カ そんな何杯も飲めるか。ヨット仲間の早川さんとこ顔出してくれよな、

 彼ももういい年だ」

「はい 兄イのところ少し遅くなりますが必ず」

 

一般道を走って 兄いの墓所の近くに差しかかると、暮れ泥む空に 月が高く見えた。

  

 

花桶に水を入れ手を合わせる、月が白く輝いて見下ろす。

  

 

「兄イ 今日の空 静かですね」

「うん、見詰めてたよ群青に浮かぶ月を。いいもんだな苅」

「はい」

「苅 かなり戻ったなお前 後10キロ肉をつけろよ」

「兄イ そんなにジロジロ見ないこと、今は相撲取ったら負けますが後2週間 投げ飛ば   しますよハハハ」

「馬~鹿、俺たちの事は泣かすくせに お前は負けず嫌いだ。まッそれで続いて来たん   だから不思議なもんだが… 苅 この4月からはビシビシやるぞ」

「兄イ嬉しいですねぇ、その言葉待ってました!」

「フフッ、苅 お前は何処まで馬鹿なんだ」

「生まれつきで~すハハハハハ」

「苅 俺も今夜の酒宴はビールだけだ、社長 判るヨな」

「言いっこなし!腹に納めています」

 

兄いの笑い声が誰もいない墓所に響き渡った。

 

急いだのだが大磯の肉屋の灯りが消えていた。しょうがない適当な肉をスーパーで。

 

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「ホントにビールだけです。後はサバの開き もしくは長崎皿うどん ジャンケンです」   

 

       

 

それでも3人だけの笑い声は 絶えることなく続いた。

 

17日が日曜日と重なって東名高速がまた渋滞。いつものように抜け道を走る。

暖かく20℃近くある、開けた窓の風が気持ちいい。

 

總持寺の境内は以外にも静かだった。春の彼岸が近いのでその精もありそうだ。

今回は休むことなく 一気に登り坂を上った。筋力が戻ってきたようだ。

   

 

水屋のおばさんに茶をご馳走になって墓所へと。

 

   

 

「よう、待ちくたびれたぞ。苅谷君 体調戻ったか?」

「はい。10日は兄イにこっぴどく叱られましたハハハ」

「バ~カ お前の嘘は俺達には直ぐバレるさ」

「社長 いい天気で暖かい日ですよ、雨男卒業しましたね」

「コラ 話を逸らすなお前。まッいいか 哲が怒ったんだしな」

 

少年のように目をクルクルっとまわして 俺をいたずらっぽく見る社長の顔は、

昔とチットモ変わっていない。

こんな時 俺は子供のように社長の胸に 思い切り飛び込んだものだ。

 

「大友と合ったんだって?」

「ええ そうなんです。約40年ぶりです 話が弾んで7時間近くしゃべってましたよ」

「そうか…アイツは 最高のカースタントマンだったよなぁ 日本じゃ珍しい」

「ええ、お互いに齢を取りました」

 

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「社長、言い難いんですが…、今日の晩飯 断酒です」

「ええ—!!!、そりゃないだろうお前!」

「最初のビールだけはいいです、後は僕の事を考えてですね…」

「………よっしゃー!わかった。それ以上言うな」

 

兄イも社長も、一言も云わなかった。お二人の気持ちが 絞めつけられる程 胸に伝わって来る。〝涙は嬉しい時に流してください〟遠い日 自分が言った言葉が甦ってくる。

俺は最高のお二人の下にいて良かった。

 

今度の満月は何時だろうか

 

   

 

目指し・お多福豆・トースト・ご近所さんに頂いた桜おこわ・そして少しのビール。

 

社長、兄イ、今度3人で満開の夜桜見物しましょう。

第一四半期 忍耐。 きっと春は笑う。

2月15日は大きな節目だった。

3月9(師との永訣) 10(兄イ月命日) 11(東日本大震災・多くの友も逝く)

 

幾春別必ず咲く花の春は笑う

 

真白き富士の根 美空に輝く 丹沢の散歩道 櫻花も美し。 

    

 

東名高速上り7キロ渋滞、一般道を走り 兄イの墓所へ、15時を過ぎた。

 

    

 

「オゥ 苅、どうだ体調は?」

「もう大丈夫です 兄イ。いやぁ鬼の霍乱です」

「バカ野郎!俺の目はごまかせんぞ!!」

 

まじな目で 瞬きもせず 真直ぐ俺を見詰めていた。何十年ぶりだろう真剣な眼差しは。

 

「…兄イ、済みませんでした。元気な姿を見せるのが辛くて… 謝ります」

「ウン…心配した。苅 お前、今の目の輝きに嘘はない 安心した」

「はい。夜 来ようかと思ったんですが 実はその元気もなくて…」

「なぁ 苅、もう若くない いつもの気持ち これが一番だ。俺はそれが嬉しいんだ」

「はい。淡墨桜です」

 

そっと火をつけて 香りを楽しんでもらった。

兄いは何処か遠くを見ていた。そして何か決意めいたものを感じた 何故か泣ける。

 

「娘、来てるのか

「はぁ…

「なんか喰わせてくれ、たまにはな 苅 ハハハ」

「えっ?、分かりました早速何か作らせます

 

兄イにしては極めて珍しい。そうだ サラダごぼうがある、娘に頼むか。

 

「苅 茶漬けでもいい、昔のように喰おうや」

「よーし、やりますか兄イ」

 

自分にはそれでも嬉しかった。あの時のまゝだ。

 

   

 

 

《年の経ば 着つつ偲へと 妹が言ひし 衣の縫い目 見れば哀しも》

 

賀川光夫(かがわみつお=1923年・大正12-1月5日~2001年・平成13-3月9日)

自分が師と仰いだ『賀川光夫先生』78歳の生涯だった。

 

忌まわしい「ペンの暴力の報道被害」により、白玉の如き心を証とし 自らの生涯に決着を付ける自裁死を択ばれた。私は悔し涙が止まらなかった。

 

悔やまれるあの日…平成13年3月9日。 今年で23年の歳月が流れ過ぎた。

裁判に3年、最高裁にて全面勝訴の決着はついたが、師は永訣の人となった。

今や自分も恩師の齢に近い。1年後の25回忌(25周忌)には 自分の是非を正したい。

 

【賀川光夫・人と学問~賀川光夫先生古希記念論集~】 平成5年 に拙文があった。

 「~念を抱きました玉論の一つに、いわゆる「縄文後・晩期農耕論」~壮大な学説で

  あると理解しております。~」

このあたりに縄文後・晩期農耕論にのめり込んでいった自分の農耕論が垣間見えており、大変懐かしくも微笑ましい想いでもあった。

 

こんな一コマもある。

 

賀川先生。粗末ですが晩卓を飾りますので、花を愛でてください。丹沢の雪も解けてきますし 咲く花と穏やかな温かさで春をお寛ぎください。

  

 

   

 

   

 

   

【オカメ桜はまだ三分咲きです】

 

【咲く桜 まだ見ぬうちに 散る桜】

走り書きした 特攻隊の辞世の句も 潔癖な白玉の想いも隠されて、

考古学のお話を聴かせてください。何処までも 付いていきますよ先生。