●アンドレア・トゥルー、68歳で死去~「モア・モア・モア」のディスコスター | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●アンドレア・トゥルー、68歳で死去~「モア・モア・モア」のディスコスター

【Andrea True Dies At 68】

訃報。

1976年のディスコ・ヒット「モア・モア・モア」で知られるディスコ・アーティスト、アンドレア・トゥルー・コネクションのアンドレア・トゥルーが、2011年11月7日、ニューヨーク・キングストンの病院で死去した。68歳だった。死因は明らかにされていない。どうやら身寄りがなく、最後を看取った施設で火葬されたようだ。

By ABC News
Nov 22, 2011 3:51pm
Andrea True, Porn Star and Singer, Dies at 68
http://abcnews.go.com/blogs/entertainment/2011/11/andrea-true-porn-star-and-singer-dies-at-68/

アンドレア・トゥルーとその大ヒット曲「モア・モア・モア」については、下記エントリーが詳しい。同曲は、アンドレアのヒット後、サマンサ・フォックス、バナナラマ(1993年)、レイチェル・スティーヴンス(2004年)、ダニー・ミノーグらがカヴァー。1999年にはカナダのグループ、レンがサンプリングして使用している。また、アンドレアのヴァージョンは、テレビ・シリーズ『セックス・アンド・ザ・シティー』や他の映画などでも使用されている。プロレスラー、ラリー・スイーニーの入場テーマともなっていた。替え歌が『シンプソンズ』で2度にわたって使われている。

■ 2007年07月24日(火)
【「モア・モア・モア」誕生秘話】
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10040975223.html

アンドレア・トゥルーは、本名、アンドレア・マリー・トゥルーデン。1943年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。

彼女はナッシュヴィルの保守的なセント・セシリア・アカデミーという学校で寄宿舎生活をしていた。ここを1956年頃に卒業。

卒業後、彼女は映画スターを夢見てニューヨークに向かう。いくつか、小さな役を得ることが出来たが、大きな役は取れなかった。そんな失意の頃、彼女の元にポルノ映画出演の話が舞い込み、これを受ける。以降彼女は多数のポルノ映画に出演、50本以上のポルノにでて、そのほとんどがX指定だ。

彼女がアクティヴだったのは、1971年から1983年くらいまで。この時代、「インガー・キッシン」「アンドレア・トラヴィス」「シン・ロウ」「シング・ロウ」などいくつか芸名を持っていた。

1975年、アンドレアはジャマイカの不動産会社のCMに出演することになり、その撮影のために、ジャマイカに向かった。ところが彼女がジャマイカ滞在中に、政治的な変革で、国外への外貨持ち出しが禁止されてしまった。つまり、CMを撮影してもそのギャラをアメリカに持って帰れないというのだ。

そこで彼女は一計を案じた。以前から知り合いだったニューヨークの音楽プロデューサー、グレッグ・ダイアモンドに連絡し、ジャマイカで曲をレコーディングして、そのマスターテープを持って帰ろうというのだ。テープであれば、現金ではないので、国外に持ち出せる。もらったギャラを、当地のミュージシャンたちへのギャラ、スタジオ代などで使ってしまおうというアイデアだ。

グレッグは、ふってわいた話だったが、とりあえず歌なしのインストゥルメンタル・トラックだけをいれたマスターテープを持ってジャマイカにやってきた。そこで、アンドレアとともに急遽歌詞を書き、現地のホーンセクションなどのミュージシャンを起用してレコーディングを完成させた。

無事このマスターテープをアメリカに持ち帰ったアンドレア・トゥルーとグレッグ・ダイアモンドは、まだミックス(トラックダウン)前のマスターを、「ディスコ・ミックスの父」ことトム・モウルトンに聴かせた。トムはこの作品を気に入り、ミックスをすることを引き受け、「モア・モア・モア」は、「ア・トム・モウルトン・ミックス」で完成。

これは1976年1月に12インチが配布され、瞬く間にディスコで話題を集め始め、ディスコ、ソウル・ラジオ、はてはトップ40でも大ブレイク、ポップ・チャートで最高位4位を記録。ディスコ・クラシックとなった。現金を持ち出すことができなくなったおかげでジャマイカでレコーディング・セッションを行い、それが大ヒットに結びついたのだから、音楽の神様はどこでどう微笑むかわからない。まさにひょうたんから駒だ。

アンドレア・トゥルーはその後もディスコを狙った作品をだし、デビュー作に収録されていた「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などは、ディスコでも大いに受けていた。

3作目がヒットしなかった後、アンドレアは一時期ポルノ業界に戻ろうとしたが、30代中盤を越えていた彼女にはなかなか仕事はこなかった。一方、彼女は喉におおきな腫れ物が出来る病気にかかり、結局、手術をする。このことによって、歌手生命も絶たれ、その後は静かにプライヴェート・ライフを送っていた。

それからおよそ20年後、1999年、カナダのグループ、レンが「モア・モア・モア」のリフを使い、「スティール・マイ・サンシャイン」という曲をヒットさせたことから、再びアンドレアも脚光を浴びることになった。これを機に彼女は「あの彼らは今どこへ」といったテレビ番組などで取り上げられるようになる。VH1が作成した「100グレイテスト・ダンス・ソングス・イン2001」で45位に選出されたり、「VHS1・100グレイテスト・ワンヒット・ワンダー・イン2003」に選出されたりしていた。

その中で、彼女は、「人々に快感を与えた人物として覚えておいてもらいたい。私の音楽でね」といったコメントをしている。ポルノではなく、音楽で快感を与えた、というところがおもしろいところだ。

彼女は4年ほど前まではフロリダで、星占いなどをしたり、ドラッグ中毒者に対するカウンセラーなどを行っていた、というが、最近はニューヨーク郊外ウッドストックに住んでいたという。

■ モア・モア・モア

http://youtu.be/RlJGrIyt-X8



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OBITUARY> Andrea True, (July 26, 1943, – November 7, 2011, 68 year old),