六本木野獣会
〜 フィクションになったノンフィクション 〜

まるで現実のような物語が存在するなら、その逆もまたしかり。その時そこにあきらかに存在していたのに、あとから見直すと、その時間はまるで物語のようであることもある。
そして、そんなものの一つに二年前ドラマ化された「六本木野獣会」というものがある。
そんな現実にあった物語を我々が調査した。


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ストーリー
1959年。日本は高度経済成長が本格化する激動の時代を迎えていた。憧れのアメリカが生活の中に流れ込み、人々は浮き足立っていた。そんな不安定な時代の中で『六本木野獣会』は生まれた。彼等は押しつけられた理想に反発し常識に囚われず、夢を追い求める集団。毎晩、六本木のカフェ『(DELICA LEO'S)レオスデルカフェッセン』に集い、自由と熱狂の中、深夜まで騒ぐ彼等を大人達は白い眼で見た。だが、同世代の若者にとって野獣会は憧れの対象だった。これは確かに実在した『六本木野獣会』にまつわる物語だ。


このような物語の元になった六本木野獣会。どんな会だったのかというと、

俳優やデザイナーを目指す流行最先端の若者の集まりで、最大で30人近くが在籍していたそうである。六本木、赤坂のバーやオープンカフェをたまり場にし、彼らは夜明けまで熱く語り合った。
メンバーだった大原麗子や田辺靖雄らが、その後芸能界デビューしたことでも有名で、井上順、加賀まりこなど蒼々たるメンバーも所属していた。

その歴史は田辺靖雄が、高校在学中の16歳の時に六本木野獣会を結成した時に始まる。その時、田辺は渡辺プロにスカウトされ、NET(現・テレビ朝日)「ザ・リクエストショー」に出演。NHK「夢であいましょう」にもレギュラー出演する。
また井上順は、かつてのグループサウンズ全盛時代の田辺昭知さん率いる「スパイダース」のメンバーである。イギリスから初めて競馬を日本に持ってきた祖父を持つ由緒ある家柄に生まれた井上順は、外遊びが大好きな元気な少年に育った。13歳の時に母の知り合いの紹介で“野獣会(別名・六本木族)”の人々と知り合う。
「当時は、大原麗子さんや峰岸徹さんらがいらして。皆夢に向かって真剣でしたが、僕は新しい世界を目の当たりに見る歓びの方が強かったですね。ここでバンドを結成してジャズ喫茶で活動している時に田辺さんに誘われて、16歳で『スパイダース』に参加しました」
また、1960年代前半「野獣会」で結成されたバンド「野獣会オールスターズ」、それがザ・ジャガーズの発端である。当初は井上順もこのメンバーであった。
井上順は、「六本木野獣会には13の時に参加したんです。井上13だけに。」と今ひとつわからないギャグをいう。

そんな彼らがドラマになれば、彼らが利用していた場所もまたドキュメンタリーという物語となっている。

その場所とは

キャンティ飯倉本店
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キャンティ物語/野地秩嘉 幻冬社
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これは野獣会をはじめとする東京おしゃれ人脈のサロン的存在だった頃のレストラン「キャンティ」をめぐるドキュメンタリー。

昭和30年代、当時最先端だった六本木に集う若者たちは、六本木族と呼ばれ、その拠点となったのが、高級イタリア料理店のキャンティ。キャンティは、各界の著名人、文化人たちが、料理を囲んで熱く語らう特別な場所だったのです。

野獣会の一員たる加賀まりこは当時のことをこう語る

「象の耳のようにして少女は、目を輝かせて聞いていたのよ。面白いことを言ってるわけよ。そりゃあそうよ、その当時の三島由紀夫さんだったり、丹下健三さんだったり、したわけだから、でも本人は、私は誰だか知らないのよ。キャンティの川添さんていうオーナーは、ぜんぜん差別をしない。十五歳の無名の少女だろうが、大先生だろうが、一緒のテーブルでお話させてくれたり。それはもうとっても楽しくて。学校通うよか楽しいよね」

その当時の三島由紀夫や丹下健三になってしまった彼女が、今何を思っているのかは、まったくもって謎であるが、今もどこかで新たなる野獣会が生まれているのは確かだろう。





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