内藤やす子について
内藤 やす子(ないとう やすこ、1950年9月28日 - )は、日本の女性歌手。本名は泰子。所属事務所はプロダクションオーロラ。血液型A型、身長155cm、体重42kg。
神奈川県横浜市本牧生まれ。豊島岡女子学園高等学校中退。
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1975年に「弟よ」でデビューした時、内藤やす子さんは25歳でした。
翌年にリリースした「想い出ぼろぼろ」が大ヒットしたことで、1976年の新人賞を総なめすることになります。
その後、大麻を所持していたということで芸能活動を中断することになります。
復帰後にリリースした「六本木ララバイ」がヒットしたことにより、再び芸能活動を活発化させていたのですが、2006年に脳内出血で倒れてしまいます。
再復帰困難に思われる程の後遺症があった中、旦那様の献身的な介護もあり、2016年に再び歌手活動を再開することが出来る様になりました。
今回はそんな内藤やす子さんのデビュー曲である「弟よ」を聴き直してみたいと思います。
翌年にリリースした「想い出ぼろぼろ」が大ヒットしたことで、1976年の新人賞を総なめすることになります。
その後、大麻を所持していたということで芸能活動を中断することになります。
復帰後にリリースした「六本木ララバイ」がヒットしたことにより、再び芸能活動を活発化させていたのですが、2006年に脳内出血で倒れてしまいます。
再復帰困難に思われる程の後遺症があった中、旦那様の献身的な介護もあり、2016年に再び歌手活動を再開することが出来る様になりました。
今回はそんな内藤やす子さんのデビュー曲である「弟よ」を聴き直してみたいと思います。
内藤やす子 オフィシャルホームページはこちら
デビューシングル「弟よ」について
「弟よ」は、内藤やす子さんが1975年11月にリリースしたデビュー・シングルです。
累計売上は65万枚でした。
累計売上は65万枚でした。
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私はこの曲を聴くと、ちょっと不思議な感覚があるんです・・・
故郷を出て働く姉が、弟のことを想って心配をしている様子が伝わってくる内容なのですが、まるで母親の様な心情なんですよねぇ
世の姉とは、こういうものなのでしょうか? そういう時代だったのかもしれませんね。
なんとなくですが、昔の方が長男長女が半分親の様な立場だった気がします。なので、この歌詞に共感出来る方は、やはり世代が上の方なのかもしれないと思いました。
遠い記憶なんですが、子供の頃に聴いた記憶があります。
家で流れていたのかテレビで観たのか、はたまた母親が歌っていたのか、記憶が定かではありませんが、懐かしい曲でした。
故郷を出て働く姉が、弟のことを想って心配をしている様子が伝わってくる内容なのですが、まるで母親の様な心情なんですよねぇ
世の姉とは、こういうものなのでしょうか? そういう時代だったのかもしれませんね。
なんとなくですが、昔の方が長男長女が半分親の様な立場だった気がします。なので、この歌詞に共感出来る方は、やはり世代が上の方なのかもしれないと思いました。
遠い記憶なんですが、子供の頃に聴いた記憶があります。
家で流れていたのかテレビで観たのか、はたまた母親が歌っていたのか、記憶が定かではありませんが、懐かしい曲でした。
2255 SC 弟よ 内藤やす子 160330
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「弟よ」の作曲に携わった人達
作詞:橋本淳
橋本淳(はしもとじゅん)さんは日本の作詞家で、本名が与田凖介(よだじゅんすけ)といいます。
グループサウンズで最も売れた作詞家と言われており、代表曲に『ブルー・シャトウ』、『ブルー・ライト・ヨコハマ』、『亜麻色の髪の乙女』などがあります。
昭和を代表する作詞家さんですね。
グループサウンズで最も売れた作詞家と言われており、代表曲に『ブルー・シャトウ』、『ブルー・ライト・ヨコハマ』、『亜麻色の髪の乙女』などがあります。
昭和を代表する作詞家さんですね。
作曲:川口真
川口真(かわぐちまこと)さんは日本の作曲家・編曲家です。
1960年代から活躍されており、当時はベンチャーズのカバー曲のアレンジを手掛けていました。
その後、数々の作曲を行っており、1970年には由紀さおりさんの「手紙」でヒットし、西郷輝彦さんの「真夏のあらし」で、第12回日本レコード大賞作曲賞を受賞しています。
日本作曲家協会顧問などを務められ、日本の音楽界に多大なる貢献をされています。
1960年代から活躍されており、当時はベンチャーズのカバー曲のアレンジを手掛けていました。
その後、数々の作曲を行っており、1970年には由紀さおりさんの「手紙」でヒットし、西郷輝彦さんの「真夏のあらし」で、第12回日本レコード大賞作曲賞を受賞しています。
日本作曲家協会顧問などを務められ、日本の音楽界に多大なる貢献をされています。
編曲:あかのたちお
あかのたちおさんは日本の作曲家・編曲家であり、本名は赤野立夫と書きます。
あのドラゴンクエストのゲームミュージックで有名な、すぎやまこういちさんの弟子だそうです。
大塚博堂さんの編曲を多く手がけており、田中星児さんの「ビューティフル・サンデー」など、当時のヒット曲を手掛けました。
あのドラゴンクエストのゲームミュージックで有名な、すぎやまこういちさんの弟子だそうです。
大塚博堂さんの編曲を多く手がけており、田中星児さんの「ビューティフル・サンデー」など、当時のヒット曲を手掛けました。