2022年1月7日 更新
【訃報】アントニオ猪木と「昭和の巌流島」を戦ったプロレスラー・ストロング小林さん死去。風雲!たけし城、伊賀忍法帖など
アントニオ猪木との名勝負「昭和の巌流島」などで活躍した元プロレスラー、ストロング小林さん(本名:小林省三)が昨年12月31日、化膿性肺炎のため東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。81歳でした。
【訃報】猪木と「昭和の巌流島」を戦ったプロレスラー・ストロング小林さん死去。
アントニオ猪木との名勝負「昭和の巌流島」などで活躍した元プロレスラー、ストロング小林さん(本名:小林省三)が昨年12月31日、化膿性肺炎のため東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。81歳でした。
第一報はこちらです!
小林さんは1940年、東京都青梅市出身。1966年に国際プロレスに入門し、1967年には覆面レスラー「覆面太郎」としてデビュー。翌1968年に覆面を外し、国際プロレスを代表するレスラーとして頭角を現しました。そして1974年には国際プロレスを退団しフリーとなり、東京スポーツ所属を経て1975年に新日本プロレスへと入団。この時代に行われた、アントニオ猪木との新日本プロレス蔵前国技館大会での激突は「昭和の巌流島」と呼ばれ、現在もプロレスファンの間で語り草となっています。その後80年代に入るとタレント活動を本格化し、「ストロング金剛」へと改名。1984年のレスラー引退後はタレントとして、お茶の間の人気者となりました。しかし、撮影中に足を負傷するなどしたため、90年代半ばには芸能活動を引退。晩年は寝たきりの状態となり特別養護老人ホームに入居していたものの、肺の症状が悪化し、このたびの訃報となりました。
猪木が追悼コメントを発表!
小林さんの突然の訃報には、かつて「昭和の巌流島」で戦った猪木が追悼のコメントを発表。「小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れない程の多くの観衆に観て頂きました。小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。お互い、若くベストな時に勝負が出来た事が走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」と、昭和期のリングで戦った戦友を偲んでいました。
ストロング小林さんの「ストロング金剛」としての活躍!!
昭和を代表するプロレスラーの一人として歴史に名を刻んでいる小林さんですが、「ストロング金剛」名義でのタレント活動を積極的に展開しており、こちらの印象が強いミドル世代も多いかと思います。ここでは、小林さんのタレント活動について軽く思い出しておきましょう。
映画「伊賀忍法帖」に出演!
1982年には、山田風太郎原作映画「伊賀忍法帖」に出演。この際にスキンヘッドである「金剛坊」を演じ、この役名を気に入ったことから「ストロング金剛」へと改名しました。
「風雲!たけし城」に出演!
現在海外で「Takeshi's Castle」などのタイトルで高い評価を得ているバラエティ番組「風雲!たけし城」の1コーナー「悪魔の館」に出演。丹古母鬼馬二とともに、挑戦者の行く手を阻んでいました。
特撮に敵役として登場!!
特撮の世界へも進出し、「超電子バイオマン」のモンスターをはじめ、「科学戦隊ダイナマン」「巨獣特捜ジャスピオン」にも出演していました。
その他多数のバラエティ番組に出演!
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