【訃報】笑点で「チャラーン!こん平でーす!」の挨拶で人気を博した落語家・林家こん平さん死去。
笑点における「1、2、3、チャラーン!こん平でーす!」の挨拶で親しまれた落語家・林家こん平(本名:笠井光男/かさい みつお)さんが17日、誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことが明らかとなりました。77歳でした。
第一報はこちらです!
「チャラーン。こん平でーす」の名調子で「笑点」のレギュラーとして活躍した落語家、林家こん平さんが誤嚥性肺炎で亡くなりました。77歳でした。https://t.co/hX7wkpL6wq
— 毎日新聞 (@mainichi) December 21, 2020
こん平さんは1943年、新潟県千谷沢(ちやざわ)村生まれ。1958年、中学卒業後に初代林家三平に入門し、1966年に放送が開始された「笑点」の第1回から出演。その後一時降板を経て、1972年から長年にわたり笑点のオレンジとして人気を博しました。2004年には難病の多発性硬化症と診断され、治療を続けたものの2006年には笑点を正式に降板、弟子のたい平さんにその席を譲りました。その後は懸命なリハビリを行い、高座に復帰することもあったものの、2019年には小脳梗塞により入院。晩年は自宅療養を続けていましたが、このたびの訃報となりました。
笑点のメンバーから続々と追悼コメントが!
このたびのこん平さんの訃報には、かつてともに笑点で大喜利を戦った三遊亭好楽さん、三遊亭円楽さん、三遊亭小遊三さんが追悼のコメントを発表。好楽さんは「兄貴が亡くなった気分」「ずっと一緒だったから。語り尽くせない」と、長年にわたり交流があった故人を偲んでいました。
昭和の頃の林家こん平を振り返る!!
笑点において自身の故郷を「チャーザー村」と揶揄したり、「会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕がございます」と観客におねだりをしたりするギャグで、とにかく元気があったこん平さん。昭和の時代には、どのような活動を展開していたのでしょうか?主に落語以外の視点から振り返ってみましょう。
多数のCMに出演!!
こん平さんと言えば、「二木の菓子」「二木ゴルフ」のCMを思い起こす人も多いのではないでしょうか。それ以外にもペヤング 「野菜ラーメン」、スズキ 「ユーディーミニ」など、多数のCMに出演しており、その豪快なキャラクターが商品の魅力を引き立てていました。
林家こん平さんを偲んで
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俳優としての顔も!
俳優として、映画やドラマに出演したこともあります。「君は恋人(1967年)」「ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦(1967年)」といった日活映画のほか、1984年には小泉今日子主演の「生徒諸君!」にも出演しています。
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歌手活動も展開!
また、歌手としてレコードを発表したこともあります。1979年に発表した「コシヒカリ音頭/こん平音頭」や、1982年に発表した「どんぶり音頭/乗んなせえや音頭」などがあり、「コシヒカリ音頭」は日本コロムビアのヒット賞を受賞しています。
このように、その元気な「チャラーン!」のキャラクターから落語家の枠を超えたマルチタレントとして人々から愛されたこん平さん。その温厚な人柄は、これからも我々の記憶に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
このように、その元気な「チャラーン!」のキャラクターから落語家の枠を超えたマルチタレントとして人々から愛されたこん平さん。その温厚な人柄は、これからも我々の記憶に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
📺 NTV 2021/8/5 05:01
笑点のテーマ「昭和63年♪・・・」と元号替え歌で
家族から迷惑がられた