芸能界デビューから女子大生ブームの火付け役に
そして大学1年生の時に『シャンペンNo.5』で歌手デビューしています。のちにワイン好きとして知られるデビュー曲がシャンペンというのはなんだかおもしろいですね。
さらに笑福亭鶴光のオールナイトニッポンのアシスタントも務めていました。のちにバラエティ番組で活躍するのも納得という感じですね。
1981年には文化放送の『ミスDJリクエストパレード』の火曜日を担当。当時大学在学中だったことから「大学生DJ」と呼ばれ「女子大生ブーム」の火付け役の1人だったともいわれています。
華々しく芸能界に入った印象がありますね。
「お笑いマンガ道場」のアシスタントとして注目を集める
川島なお美さん、ご冥福をお祈りいたします。お笑い漫画道場で随分楽しませてもらった! pic.twitter.com/qTeaICITcS
— seiji-w (@seijiw1) September 24, 2015
司会者からお題を発表され、出演者の漫画化やタレントたちがお題に沿った漫画を描くという番組。漫画版商店のような、大喜利のような番組でしたね。
川島さんは芸能人ではありながら漫画家さながらの画力やネタを披露していました。1989年まで出演し、出蓮暦は女性レギュラーの中では最長だったんですよ。
出演者全員をネタにするというのも川島さんの特徴でした。若いタレントがベテラン漫画家にズバズバいう姿もよかったですよね。
車だん吉さんとは「だん吉・なお美のおまけコーナー」というコーナーも担当していたため、ネタにすることが多かったです。
この番組の出演で幅広い層の知名度・人気がアップしました。
ヘアヌード写真集で心機一転!
川島さんは元々、歌手よりも女優志望でした。1980年に「ただいま放課後 第2シリーズ」で女優デビューするものの、なかなか役に恵まれませんでした。サスペンスドラマなどが多く、なかなか連ドラのレギュラーはなかったんですよね。
そしてイメージを払しょくするために1993年にヘアヌード写真集『WOMAN』を発売。33歳の時でした。55万部の大ヒットとなり、注目を集めます。
大学時代から「女優になれたら完全ヌードも考えます」と発言されていた川島さん。父が判事だったことから、立場を考慮して退官後に発売したそうです。思いやりが感じられますね。
この写真集で妖艶な女優のイメージがついていきます。
ドラマ「失楽園」で大ブレイク
そして1997年に渡辺淳一さん原作の「失楽園」のテレビドラマ版に出演します。
古谷一行さん演じる久木祥一郎と、川島さん演じる松原凛子のW不倫を描いた作品ですね。映画版は役所広司さんと黒木瞳さんでした。
「失楽園」は流行語となり、不倫することを「失楽園する」というように使われていましたね。川島さんの大胆な演技にも注目されました。
ベッドシーンの撮影では通常「前張り」で股間を隠しているのですが、川島さんは「子宮が呼吸できない気がする」と言って前張りなしで撮影に挑んだそうです。すごいですね。
その後も数々のドラマに出演し、2000年代に入ってからは舞台でも活躍するようになります。2013年に病気が発覚してからも闘病しながら舞台に立ち続け、女優魂を感じましたね。
ワイン好きとしても有名!
ソムリエ、名誉ソムリエの資格を持ち、フランスの四大ワイン産地から騎士号を授与されてもいます。四台ワイン産地から騎士号を得ているアーティストは川島さんだけなのだとか。
その後、病気になってからは大好きなワインが飲めなくなってしまった川島さん。今度はお水に興味を持ち、ミネラルウォーター専門スクール アクアデミアに通っていたそうです。一般社団法人アクアミネラーレ協会認定 アクアアドバイザーにも認定されていたんですよ。勉強熱心な方ですよね。
48歳でパティシエの鎧塚俊彦さんと結婚
鎧塚俊彦さん、亡き妻・川島なお美さんと「14回目の #結婚 記念日」…思い出のお守りを公開「肌身離さず」 https://t.co/09DRAlNVxz #芸能ニュース #ニュース pic.twitter.com/X34aDPy9Xa
— スポーツ報知 (@SportsHochi) February 1, 2023
子どもがいない夫婦ですが、おしどり夫婦として有名でした。
川島さんが2015年に胆管癌でこの世を去ってしまいますが、夫の鎧塚さんのインスタグラム等ではたびたび川島さんが登場しています。
川島さんは生前「7月3日は、な(7)お(0)み(3)の日」と発言されていたそうです。2023年に鎧塚さんが7月3日を「NAOMIの日」として日本記念日協会に申請し、受理されています。
亡くなってからもおしどり夫婦というのはすごいですよね。これからも川島さんは鎧塚さんの中で生き続けていくのだろうと思います。