バラエティ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』欽ちゃんと前川清によるコント54号が誕生!「バカウケ」は流行語になった
2017年3月4日 更新

バラエティ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』欽ちゃんと前川清によるコント54号が誕生!「バカウケ」は流行語になった

バラエティ『欽ちゃんのドンとやってみよう』は、同タイトルのラジオ番組が人気を博し、1975年4月5日からフジテレビでレギュラー放送された萩本欽一によるバラエティ番組です。欽ちゃんが初の企画を担当した番組になります。

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欽ちゃんのドンとやってみよう!

欽ちゃんのドンとやってみよう!

欽ちゃんのドンとやってみよう!

1975年4月5日から1980年3月までフジテレビ系列で放送された萩本欽一のバラエティ番組。
毎週土曜19:30から20:54(1975年9月までは20:55まで)に放送。
ラジオ番組のヒットから企画を起こし、1974年9月21日の20:00-20:55(土曜特番第3回。後のレギュラー放送と一部が同じ)にテレビ化トライアル番組『欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!』を放送。この番組は視聴率が一桁と振るわず、惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された。当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』だった。

メインキャスト

萩本欽一の主演番組で、初の企画を担当しています。そのた...

萩本欽一の主演番組で、初の企画を担当しています。そのため、相当気合を入れた制作になりました。

※画像の真ん中は、この番組の司会をしている欽ちゃん。
アシスタントは、当時新人だった香坂みゆきが務めています。

アシスタントは、当時新人だった香坂みゆきが務めています。

鉄ドンでは、番組のマスコット的な存在でした。

鉄ドンでは、番組のマスコット的な存在でした。

また歌手の前川清がレギュラーで出演しており、お茶の間の...

また歌手の前川清がレギュラーで出演しており、お茶の間の人気者になりました。

この番組で、欽ちゃんは前川清とコント54号としてコンビ...

この番組で、欽ちゃんは前川清とコント54号としてコンビを組んでいました。

それまでの前川は「お笑い」に縁がないクールな二枚目イメージで売っていましたが、欽ちゃんにお笑いの才能を引き出され、大成功を収めました。

前川は「お笑い」をしたことについて、こんなコメントをしていました。

『番組が始まる少し前に突然、「僕とやらない?」と声をかけていただきました。頼まれると断れない性格なので、「おれ、どうかな、お笑いできるかな」と内心では心配なのに、「わかりました」と言う自分がいて。でも、そうやって消極的に引き受けて、結局、よかったなあと思うことがいっぱいあります。お笑いもやってよかった。楽になった。 最初は、面白いねと言われるとショックだったんです。おれ歌い手だよって。でもあるとき欽ちゃんに「清ちゃん、いま、レコード売れてるの?」と聞かれて「売れてません」と答えると「それでいいんだよ。いま、清ちゃんは笑われてるの。お客さんはそれが見たいから。だったらいまは笑われるのをやればいい」と言われて、それから変わった。』
また、前川がリードボーカルを務めていた内山田洋とクール...

また、前川がリードボーカルを務めていた内山田洋とクール・ファイブもレギュラーで出演していました。

持ち歌を歌うだけでなく、歌の前の欽ちゃんとのトークコーナーで欽ちゃんから“イジられる”ことにより、前川以外のメンバーのキャラクターも、より広く親しまれていました。

番組について

【番組開始までの流れ】

1968年よりフジテレビ土曜夜8時枠では、欽ちゃんが坂上二郎とのコンビで主演した『コント55号の世界は笑う』が放送されていました。55号としてはもちろん、同時に芸人(チーム名)を冠にした初のゴールデンタイムにおけるカラー放送のバラエティ番組で、体力の限りを尽くした縦横無尽のステージコントは55号人気の絶頂を決定付けることとなり、視聴率30%以上の高視聴率を誇っていました。

しかし、1969年にスタートした後発の『8時だョ!全員集合』の激しい追い上げによって、1970年4月に『コント55号のやるぞみてくれ!』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月をもって番組は終了しました。当時、『8時だョ!全員集合』は、チョットだけよと言いながら視聴率40%を弾きだしていました。
相手が相手なので万全を期したか、7時半からスタートと、先にチャンネル奪っちゃおう作戦まで導入した甲斐もあって、この番組の出だしは好調だった

【番組内容】

番組中、市井の一般人にタイトルコールをさせたり、萩本が股旅姿で観光地などに現れ、一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する。この手法は後に、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれている。
『欽ドン!』は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にした番組構成である。NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ欽ドンを担当したスタッフや作家陣が多数参加し後の土8枠を彩る『オレたちひょうきん族』への礎となり、以降同枠に続く『めちゃ×2イケてるッ!』をはじめとするフジのバラエティ番組の伝統的手法となる。
番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/や...

番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けされた箱へ入れられました。なかでも「バカウケ」は当時の流行語になりました。

これは芸人の隠語を一般向けに使用したものと言われ、『欽ドン!』の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったという見方もあります。

ちなみに、紹介されたハガキは、会場の笑いの量によって、ランク付けされていました。
「母と子の会話」というコーナーがあり、♪ みんな みて...

「母と子の会話」というコーナーがあり、♪ みんな みてくれ 母ちゃんの~ コーントーだぁよ~~ というジングルで始まり、女着物の母親姿の欽ちゃんが踊り出しました。

子供役をその日のゲストが演じて、欽ちゃんとコントを披露しました。そして、のちに夫婦の会話コーナーにチェンジします。(※この画像は夫婦の会話)
メイン企画には、コント54号のコントがありました。

メイン企画には、コント54号のコントがありました。

二人のコントは、前川のボケぶりを欽ちゃんが上手く使い笑いに変えていました。
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思い出を語ろう

     
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  • (・欽・) 2021/10/4 07:16

    欽ちゃんの番組はだいたい「でましたー!!」とさわぎ
    家族から嫌がられました
    とくに欽ドン終焉時に「タコ―!」ヘンなことをさけび
    家族から呆れられました

    まりっぺ。 2018/11/25 15:53

    昔、夫婦の会話でありえないネタがあった。
    妻・「あなた、山口百恵っていう女から電話よ。一体、誰?」
    夫・「何、言ってるんだ!おばあちゃんの名前だ!」
    私が妻の立場だったら、「そんなバアちゃんおるか?(怒)」とツッコむよ。

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