欽ちゃんのドンとやってみよう!
ラジオ番組のヒットから企画を起こし、1974年9月21日の20:00-20:55(土曜特番第3回。後のレギュラー放送と一部が同じ)にテレビ化トライアル番組『欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!』を放送。この番組は視聴率が一桁と振るわず、惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された。当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』だった。
メインキャスト
この番組で、欽ちゃんは前川清とコント54号としてコンビを組んでいました。
前川は「お笑い」をしたことについて、こんなコメントをしていました。
『番組が始まる少し前に突然、「僕とやらない?」と声をかけていただきました。頼まれると断れない性格なので、「おれ、どうかな、お笑いできるかな」と内心では心配なのに、「わかりました」と言う自分がいて。でも、そうやって消極的に引き受けて、結局、よかったなあと思うことがいっぱいあります。お笑いもやってよかった。楽になった。 最初は、面白いねと言われるとショックだったんです。おれ歌い手だよって。でもあるとき欽ちゃんに「清ちゃん、いま、レコード売れてるの?」と聞かれて「売れてません」と答えると「それでいいんだよ。いま、清ちゃんは笑われてるの。お客さんはそれが見たいから。だったらいまは笑われるのをやればいい」と言われて、それから変わった。』
また、前川がリードボーカルを務めていた内山田洋とクール・ファイブもレギュラーで出演していました。
番組について
【番組開始までの流れ】
しかし、1969年にスタートした後発の『8時だョ!全員集合』の激しい追い上げによって、1970年4月に『コント55号のやるぞみてくれ!』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月をもって番組は終了しました。当時、『8時だョ!全員集合』は、チョットだけよと言いながら視聴率40%を弾きだしていました。
相手が相手なので万全を期したか、7時半からスタートと、先にチャンネル奪っちゃおう作戦まで導入した甲斐もあって、この番組の出だしは好調だった
【番組内容】
番組中、市井の一般人にタイトルコールをさせたり、萩本が股旅姿で観光地などに現れ、一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する。この手法は後に、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれている。
『欽ドン!』は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にした番組構成である。NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ欽ドンを担当したスタッフや作家陣が多数参加し後の土8枠を彩る『オレたちひょうきん族』への礎となり、以降同枠に続く『めちゃ×2イケてるッ!』をはじめとするフジのバラエティ番組の伝統的手法となる。
番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けされた箱へ入れられました。なかでも「バカウケ」は当時の流行語になりました。
ちなみに、紹介されたハガキは、会場の笑いの量によって、ランク付けされていました。
毎週土曜19:30から20:54(1975年9月までは20:55まで)に放送。