【大相撲】横綱二人が大関を兼任!?過去に一度だけあった!大関不在の珍しい番付
2022年10月26日 更新

【大相撲】横綱二人が大関を兼任!?過去に一度だけあった!大関不在の珍しい番付

大相撲の番付では、三役(大関・関脇・小結)は、各2名以上いる決まりになっています。ところが、関脇・小結なら調整可能ですが、大関の場合、2名に満たないことがあります。かつては、大関が0名だった非常事態も!?そんな時、番付はどうなるのでしょうか?

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番付のルール

大相撲の番付には、定員があります。幕内力士全体では42名、大関・関脇・小結に至っては、最低2名以上置くという決まりになっています。ところが、関脇・小結は問題ないものの、大関は2名に満たないケースがあり、そのままでは番付のルールに反することに。そこで例外的に用意されているのが、"横綱大関" という兼任の地位です。一人大関や大関不在の場合に、横綱が大関を兼任し、番付上で "横綱大関" と名乗るというものです。

横綱大関は、年6場所制になった1958年以降、13場所で発生。記憶に新しいところでは、2020年3月場所に貴景勝が一人大関となり、横綱・鶴竜が横綱大関を名乗りました。これは、1982年1月場所に北の湖が横綱大関になって以来、38年ぶりの出来事です。

そして、今回紹介する超レアケースが1981年9月場所。なんと、一人大関の千代の富士が横綱に昇進したことで、大関不在になってしまったのです。その時の番付はどうなったのでしょうか?前後の推移から、詳しく見てみましょう。
番付表の一例

番付表の一例

めまぐるしい大関の入れ替わり

1979年9月場所から1982年3月場所にかけての2年半、大関がめまぐるしく入れ替わりました。この短期間であった入れ替わりは次の通り。

・新大関になった力士:4名(増位山、千代の富士、琴風、隆の里)
・大関で引退した力士:3名(旭國、貴ノ花、増位山)
・横綱に昇進した力士:1名(千代の富士)


その推移を時系列で見てみましょう。

◆1979年9月場所

大関2名:貴ノ花、旭國

旭國は、三重ノ海との対戦で負傷し、右肩関節挫傷のため途中休場。再起困難と判断し、現役を引退しました。これで、翌場所から貴ノ花の一人大関です。

◆1979年11月場所〜1980年1月場所

大関1名:貴ノ花

1975年1月場所以来一人大関で、前回の一人大関も貴ノ花でした。
大関は2名以上の在位が必要なため、番付に "横綱大関" が登場します。
1979年11月場所の横綱大関は三重ノ海、
1980年1月場所の横綱大関は若乃花でした。
場所後に、増位山大関に昇進。翌場所から二人大関に戻ります。

◆1980年3月場所〜1981年1月場所

大関2名:貴ノ花、増位山

二人大関にはなったものの、史上最高齢で大関になった増位山は、昇進後いきなり怪我で休場。貴ノ花は限界説が囁かれ、いつ一人大関になっても不思議のない状況でした。

そして、1980年11月場所、貴ノ花は、大関候補の千代の富士に一方的に敗れ、ついに引退を決意。翌1981年1月場所、ちょうど大関在位50場所を迎えた場所の7日目に現役を引退しました。皮肉にも同じ場所、関脇・千代の富士が優勝し、大関昇進を決めています。

◆1981年3月場所

大関2名:増位山、千代の富士

貴ノ花の引退、千代の富士の昇進で一人大関は免れたものの、今度は、増位山が左ヒジ痛の悪化により、5日目で現役を引退します。二場所続けての大関引退。千代の富士は昇進して早々、一人大関となってしまいます。

◆1981年5月場所〜1981年7月場所

大関1名:千代の富士

前年に続き二年連続で、一人大関が発生。
1981年5月場所、7月場所いずれも、横綱大関は若乃花でした。

千代の富士は、大関昇進後も好調で、1981年7月場所は二度目の優勝大関はわずか3場所で通過し、横綱昇進を決めます。ところが、一人大関が横綱に昇進する一方、新たな大関昇進はなし。翌場所はついに、大関不在の場所となってしまいます。

◆1981年9月場所

大関0名:(不在)

年6場所制になって以降初めてとなる、大関不在の場所です。
この場所については、詳しく後述します。
場所後に、琴風大関に昇進。翌場所から一人大関に戻ります。

◆1981年11月場所〜1982年1月場所

大関1名:琴風

琴風は、大関昇進早々、一人大関となります。
翌年まで続き、これで一人大関は三年連続で発生。
1981年11月場所、1982年1月場所いずれも横綱大関は北の湖でした。
場所後に、隆の里大関に昇進。翌場所から二人大関に戻ります。

◆1982年3月場所

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