スマイリーの歴史
1963年12月、アメリカ・マサチューセッツ州ウースター市にある「ステート生命保険」の関連会社で、年明けからの社内キャンペーンとして、ポスター、カード、バッジ等で使うデザインを地元の商業美術家であるハーベイ・ボールに依頼、ボールによってデザインされた。
via ja.wikipedia.org
シンプルなデザインだけど、誰でも簡単に描けてしまう。ハーベイ・ボールのスゴイところは、特許に申請すれば、それによる収入が入ってくることなどを知っているにも関わらず、みんなに気軽に使ってもらいたいからという理由で敢えて申請しなかったそうです。
米国マサチューセッツ州ウスター市マリアーノ市長が公文書で宣言
1996年7月10日、ウスター市のマリアーノ市長によってスマイリー・フェイスが1963年にハーベイ・ボール氏によって創作された事が公認され、同市はその7月10日を「ハーベイ・ボールの日」と宣言した。
世界中で様々な商品、映画、漫画、ポスターなどで使われる
日本での流行
日本での「スマイリー・フェイス」は1970年(昭和45年)、サンスター文具やリリックといった日本の文具メーカーの関係者が、当時アメリカの「文具ショー」を訪問。帰国後アメリカの大流行を真似て日本で「ニコニコ・マーク」、「ラブ・ピース」として流行を仕掛けたのが最初である。
昭和45(1970)年8月、「文具・紙製品見本市」に「ラブ ピース」商品を試験的に出品し好評を得た「リリック」は、「サンスター文具」と共同企画で商品を開発、同年10月、共同発表会を開き小売店にアピール。
日本での権利を主張する会社が出てくる
平成9(1997)年2月 新聞広告
今ままで知的財産権が発生しない、社会全体の公共財産だったが、権利を主張する会社も出てきました。そして、この会社に使用料を払う会社もあったようでが。これはみんなが使える公共財産だと言う人も。
そして、法廷の場に進みます
そして、法廷の場に進みます
平成12(2000)年1月、最高裁は「このフランス人はスマイルマークの創作者でも著作権者でもない」として、国内代理人の訴えを退ける判決を下した。
世界中で商標登録を行い、それをビジネスとして多額の収入を得ようというような考えは全く持たなかった。なお当時は類似の意匠がすでに多数出回っていた。