初の4ドア ホンダライフ!
1970年代に生産された初代は、2ボックス型のセダンと、バックドア(ハッチバック)を持つワゴン / バンの設定があり、同じプラットフォームを使う派生車種として、セミキャブオーバー型バンのライフステップバンとピックアップトラックのライフピックアップがあった。横置きエンジン + 前輪駆動のレイアウトは、前作の「N360」や「ホンダ・Z」と同様であるが、エンジンは空冷から水冷に変更された。
初代の生産終了以降「ライフ」の名を引き継ぐモデルはなかったが、長いブランクを経て1997年に発表された軽トールワゴンでその名が復活した。2代目以降のモデルは八千代工業で製造され、その2代目はボディ形状から「ステップバンの再来」などと言われた。
長らくホンダにおける軽トールワゴンの中心として販売が続けられたが、N BOXを中心とする「Nシリーズ」の展開により、2014年4月に生産・販売を終了した。
6月1日 - NIII 360の後継車として登場。新設計の直列2気筒エンジンを搭載し、それまでのホンダの軽自動車と比べ、ファミリーカーとして快適性を向上させていた。また、ホンダ初の4ドアの採用でもあった。
9月6日 - ライトバンモデルを追加。
てなことが書いてあります。4ドアの採用ってこの当時の本田からすると挑戦だったんでしょうね。
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その人気
このライフは当時受けた!なんてったって室内の広さ、エクステリア、インテリアデザインともに素晴らしいとの評価を得て、結構な販売台数を記録。
エンジンとトランスミッションを直列に横置きした、いわゆるジアコーザ式レイアウトを採用し[1]、エンジンもN360と同様の直列2気筒ながら、空冷から水冷EA型へと変更されたことで、油臭や暖房能力の不足も解消され、快適性が大幅に向上した。翌年に発表されたシビックとの共通点も多く、その後のホンダ製乗用車の基礎が確立された時期のモデルでもある。また、ライフは日本で最初にエンジンにタイミングベルトを採用した自動車でもある。
販売期間が4年未満と短いが、初代シビックの世界的なヒットにより、工場をシビックの生産に傾注させるため、ライフの生産を打ち切る英断がなされたためであった。これには、軽自動車への車検の義務化や保安基準が新しくなったことにより、小型乗用車との価格差が縮まり、価格的なメリットが薄れ、軽乗用車市場が縮小していたという側面もあった。シビックの最廉価グレードが40万円前半であったのに対し、ライフは最終的には最も安いグレードでさえ35万円を超えるようになっていた。
生産も74年には打ち切られてしまったライフだが、今でもファンが多く、物好きな人はまだ初代に乗っているという噂。
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ユーザーユニオン事件とは?
本田がライフの生産を打ち切ったのにはユーザーユニオン事件という事件が関係している。本項ではそれについて説明したい。
1960年代後半に欠陥車に関する報道が出始めた時代を背景に1970年5月に欠陥車被害者団体「日本自動車ユーザーユニオン」(以下、ユーザーユニオン)が誕生。「ユーザーユニオン」は欠陥車による被害者から相談を受けつつ、欠陥車であることの立証をするために自動車テストをして、欠陥車を生産した自動車メーカーに対応を迫っていた[2]。また、ユーザーユニオンは1968年2月に自動車事故を起こしたホンダ・N360の運転手への有罪判決について「事故はN360の欠陥が原因であり、運転手に過失はない」とする再審請求をしたり、自動車死亡事故について遺族に自動車会社幹部らを「未必の故意」の殺人罪で刑事告訴させるなどしており、大企業に対して戦闘的な団体として世間に知られていた。
1971年11月2日にユーザーユニオン幹部2人(二級整備士資格を持つ元日産社員の専務理事とヤメ検の顧問弁護士安倍治夫)が恐喝未遂容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
恐喝未遂で逮捕されるあたりが昔の事件らしい事件ではあるが、それにによる影響は大きく生産を打ち切らなければならないという結果になってしまったのは若干残念である。
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この見た目は現代にはない!
しかしライフの何が素晴らしいかというとやはり特筆すべきはエクステリアデザインであろう。
若干丸みをおびながらも、はっきりとした輪郭を映し出す正面。さらにもはや芸術と言っても過言ではないフェンダーミラー。なにか懐かしさを感じさせながらも現代の目で見ると新しさまで感じる。