いい女?木の実ナナ
父はトランペット奏者、母は踊り子。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかった。その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。
中学3年の時に渡辺プロ主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催され、受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝。猛反対する父親を説き伏せ芸能界入りした。この頃に初期ザ・ドリフターズの専属歌手として歌っていたこともあるという。
デビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日、菊村紀彦作詞・作曲)。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、自身が否定している。
それが木の実ナナの魅力につながっていますね。
セクシー木の実ナナ!
かわいらしいところもあります。
『万引きGメン・二階堂雪』で共演しているあき竹城とは仲が良く、2人で旅行に行くほど。脚本家に「もっとあきちゃんとの場を増やして」とお願いしたこともある。また、角替和枝とも親交がある。
芸能界有数のディズニーグッズマニアであり、楽屋や部屋はディズニーグッズで埋め尽くされている。2002年に『笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に出演した際、花束と一緒に1つミッキーのぬいぐるみが置かれていたが、その時「あ〜! 可愛い〜!!」と大興奮し、司会のタモリを驚かせたことがある。
バブルと木の実ナナ
木の実ナナさんにはこうゆう華やかな舞台が似合います。
決して派手とかそっちではない華やかさ。それこそが木の実ナナの真骨頂です。
現代も評判がすごい
nanaという恋愛漫画が一世を風靡した時は「へぇあんたもnanaっていうんだ」という漫画nanaの名台詞を木の実ナナが言ったらなんてこともありました。またその他も好き勝手言われていますが、これは愛するが故の行動でしょう。