テニス界の異端児「アンドレ・アガシ」
長髪がトレードマーク
アガシはかつて彼のトレードマークだった長髪が、実はかつらだったことを後に告白。かつらを付け始めたのは薄くなってきた頭髪を隠すためで、「毎朝起きる度に枕、洗面台、排水口に僕の一部を見つけた。僕は自問した。『かつらを付けるか?コートで?』。僕は答えた。『他にどうすればいい』と。」
1990年の全仏決勝前夜、アガシがシャワーを浴びている際かつらが崩れ始める事態に。パニックに陥ったアガシは兄のフィリーを部屋に呼び、二人でピンやクリップを使いかつらを寄せ集めたという。「試合前のウォーミングアップの間、僕は祈った。勝利ではなく、かつらが落ちないことを」と自伝で語った。
1990年の全仏決勝前夜、アガシがシャワーを浴びている際かつらが崩れ始める事態に。パニックに陥ったアガシは兄のフィリーを部屋に呼び、二人でピンやクリップを使いかつらを寄せ集めたという。「試合前のウォーミングアップの間、僕は祈った。勝利ではなく、かつらが落ちないことを」と自伝で語った。
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グランドスラム『万年準優勝男』と呼ばれていた。
18歳にしてトッププレーヤーとなったアガシだったが、四大大会グランドスラムにおいては、1990年の全仏オープン決勝ではアンドレス・ゴメス(エクアドル)に、同年の全米オープン決勝ではピート・サンプラスに敗れる。
翌1991年の全仏オープン決勝では、少年時代からのライバルであったジム・クーリエに敗れて2年連続の準優勝に終わった。
そのため“万年準優勝男”と呼ばれていた。
翌1991年の全仏オープン決勝では、少年時代からのライバルであったジム・クーリエに敗れて2年連続の準優勝に終わった。
そのため“万年準優勝男”と呼ばれていた。
ウィンブルドンを苦手にしていたアガシ。
アガシは1987年に1回戦で敗退し、その後1990年まで3年間もウィンブルドンには出場しなかった。
ウィンブルドン選手権(全英オープン)
ウィンブルドンは、男子ゴルフ四大大会の一つ「マスターズ・トーナメント」と同じくプライベートクラブが主催する大会で、オール・イングランド・ローンテニスクラブが毎年開催している。
第1回大会が1877年(明治10年)という由緒正しき大会である。試合や練習の際には白いウェアを着用する事が義務付けられている事も伝統となっており、これは1884年の同選手権女子シングルス部門の初代優勝者であるモード・ワトソン(イングランド)が白で揃えたウェアを着用していた事に由来する。
第1回大会が1877年(明治10年)という由緒正しき大会である。試合や練習の際には白いウェアを着用する事が義務付けられている事も伝統となっており、これは1884年の同選手権女子シングルス部門の初代優勝者であるモード・ワトソン(イングランド)が白で揃えたウェアを着用していた事に由来する。
via pds.exblog.jp
派手なウェアで個性を売りにしていたアガシが白を基調としたユニフォームを条件にするウィンブルドンへの反発が1番の理由と言っていたが、実はそれ以上に大きな本当の理由は芝を極端に苦手にしていたからだった。
芝のコートではボールが低く速く飛んでいくため、ボレーが非常に有効な球となる。
また、球足が速いということはサーブの威力も倍増し、サーブ&ボレーは特に効果的である。
逆にストローカーにとって芝は追いつきにくい上に低くて打ちにくいという厄介なコートになる。さらに芝は禿げたりする事も多くイレギュラーバウンドが多いので早めにラリーを決めるネットプレイヤーが有利である。
そのため、当時はウィンブルドンにおいてサーブ&ボレーなしでは勝ち上がれないと信じられていて、男子においてはファーストサーブもセカンドサーブもサーブ&ボレーで戦うのが当たり前であった。
芝のコートではボールが低く速く飛んでいくため、ボレーが非常に有効な球となる。
また、球足が速いということはサーブの威力も倍増し、サーブ&ボレーは特に効果的である。
逆にストローカーにとって芝は追いつきにくい上に低くて打ちにくいという厄介なコートになる。さらに芝は禿げたりする事も多くイレギュラーバウンドが多いので早めにラリーを決めるネットプレイヤーが有利である。
そのため、当時はウィンブルドンにおいてサーブ&ボレーなしでは勝ち上がれないと信じられていて、男子においてはファーストサーブもセカンドサーブもサーブ&ボレーで戦うのが当たり前であった。
悲願の四大大会優勝を狙い臨んだ1992年のウィンブルドン選手権
苦手であった芝のコートにもかかわらず、粘り強いストロークと他のコートよりも早くすべるサーブに対しても天才的なリターンで応戦。
準々決勝では、ウィンブルドンを過去3度制しているビッグサーバー「ボリス・ベッカー」に勝利。
スコアは4-6, 6-2, 6-2, 4-6, 6-3のフルセットに及ぶ大接戦であった。
準々決勝では、ウィンブルドンを過去3度制しているビッグサーバー「ボリス・ベッカー」に勝利。
スコアは4-6, 6-2, 6-2, 4-6, 6-3のフルセットに及ぶ大接戦であった。
準決勝の相手は天才ボレーヤー、「ジョン・マッケンロー」
アガシ vs マッケンロー 1992年 - YouTube
強烈なストロークで過去3度の優勝を誇るマッケンローを圧倒。
6-4, 6-2, 6-3のストレートで勝利。
マッケンローはこの年で引退を発表し、ウィンブルドン最後の試合となった。
6-4, 6-2, 6-3のストレートで勝利。
マッケンローはこの年で引退を発表し、ウィンブルドン最後の試合となった。
via www.youtube.com
決勝は、歴代最強サーバー「ゴラン・イワニセビッチ」
決勝の相手はクロアチアのゴラン・イワニセビッチ。
身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブが特徴。
通算サービスエース数10183本の歴代1位記録を保持している。
身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブが特徴。
通算サービスエース数10183本の歴代1位記録を保持している。
アガシ vs イワニセビッチ 1992 ウィンブルドン決勝
歴代最強ビッグサーバー「イワニセビッチ」と天才ストローカー「アガシ」の対決は一進一退の接戦に。
6-7, 6-4, 6-4, 1-6, 6-4のフルセットでアガシがわずかに上回った。
6-7, 6-4, 6-4, 1-6, 6-4のフルセットでアガシがわずかに上回った。
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ウィンブルドンの常識を覆したアガシのウィンブルドン優勝
それまで、ビッグサーバーやボレーヤー以外にはウィンブルドンを優勝できないという常識を覆したストローカー、アガシの優勝。
これはどんな強力なサーブにも対応できるアガシの超人的な反射神経によるリターンがあるからこそで、例外中の例外だとも言われた。
これはどんな強力なサーブにも対応できるアガシの超人的な反射神経によるリターンがあるからこそで、例外中の例外だとも言われた。
悲願の四大大会初優勝を達成したアガシ。
アガシはその後1994年全米オープンと1995年全豪オープンでも優勝し、1996年のアトランタ五輪では金メダルを獲得。
1999年の全仏オープンで優勝し、史上5人目の4大大会完全制覇とキャリア・ゴールデンスラムを達成した。
四大大会の通算優勝回数は8回。(豪4・仏1・英1・米2)
1999年の全仏オープンで優勝し、史上5人目の4大大会完全制覇とキャリア・ゴールデンスラムを達成した。
四大大会の通算優勝回数は8回。(豪4・仏1・英1・米2)
4歳で初めてラケットを握ったアガシは、13歳の時、彼はフロリダ州ボカラトンにある「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に入学した。1986年に16歳の若さでプロ転向。
並外れたストローク力でメキメキと頭角を現していった。
デビュー当時「サーブより早いリターンをする選手がいる」と言われた彼は、その才能を遺憾なく発揮し、デビュー翌年の1987年に早くもツアー初優勝を上げ、1988年に全仏オープンと全米オープンで初のベスト4に入り、ATPツアーでも年間6大会に優勝して、18歳で世界ランキング3位に躍進した。
また、テニスは元来、高貴なスポーツとしてマナーや服装などが厳しかったが、アガシはロックスターさながらのブロンドの長髪にピアス、奇抜なウェアでプレーをし、異端児的扱いされながらも、テニス界に新風を吹き込んでいった。