ミミ萩原 アイドルタレントから女子プロレスラーへ転身
もともとはアイドルタレントとして1970年代は活躍していた。
アイドルとして活躍するミミ萩原さん
1973年日本コロムビアよりミミの名で歌手デビュー。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」。他「恋人たちの森」「恋愛志願」「水色の予感」の3枚のシングルと1枚のアルバム『かわいいシャトン』を出し、『8時だョ!全員集合』にも何度か登場した。
ミミ萩原さんは仮面ライダーのライダーガールの一人としてデビューした。彼女は後に、リングでライダーキックをする運命だったのだ。
ミミ萩原さんはアイドル歌手としても活躍していた
おしゃれな土曜日 ミミ(ミミ萩原) - YouTube
1973年 ミミ(ミミ萩原)デビュー曲の「おしゃれな土曜日」。
via www.youtube.com
ビューティ・ペアの人気が爆発した1978年、ミミ萩原さんは、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身した
ビューティ・ペアの人気が爆発
ビューティ・ペアの人気が爆発した1978年、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身、全日本女子プロレスに入団し、大きな話題を呼んだ。転向理由は「芸能界は足の引っ張り合いが激しくて、それがイヤになってやめた」と説明した。格闘技は子供のころから好きだったという。
via blogs.c.yimg.jp
ミミ萩原さんは1981年から看板選手としてセクシー路線を確立していく
1981年より数年間、看板選手として会社側からのミミ萩原さんの売り出しがかけられるようになる。ミミ萩原さんは、露出度が高く、サポーターさえ着用できないハイレグ水着で試合を断行するセクシー路線を確立。賛否両論を呼んだ。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
via f12.voiceblog.jp
相手に痛めつけられるミミ萩原さんの苦悶の表情は世代を超え、いまなおカルト的な人気を誇っている。
ミミ萩原さんは、ほとんどの時間はやられっぱなしで、最後に逆転勝ちする
この時代の女子プロレスはヒールが八割方責めてベビーフェイスが一発逆転で勝利を収めるというパターンが多く見られたが、これはミミの持ち味を最大限に活かすために、選手全体で練り上げられた、ひとつの様式といえる。
ミミ萩原さんが逆転勝ちをするパタンの名試合
伝説の女子プロレスラーのミミ萩原 - YouTube
ミミ萩原 vs 松本香(=ダンプ松本)。新人悪役レスラーの松本香(後のダンプ松本)に一方的に支配され、餌食にされて悲鳴をあげるセクシーパンサーミミ萩原の悲哀!
松本のストマック・クロー。圧倒的にピンチ・シーンが多いが、最後のバックドロップでの逆転勝利。
松本のストマック・クロー。圧倒的にピンチ・シーンが多いが、最後のバックドロップでの逆転勝利。
via www.youtube.com
ミミ萩原さんがそのまま負けてしまう名試合
伝説の女子プロレスラー ~ミミ萩原 part2~ - YouTube
デビル雅美&タランチェラ組が相手。いつもデビル雅美に徹底的にやられる。
via www.youtube.com
【女子プロレス/ヒール列伝】彼女たちがいるからベビーフェイスが輝けるんです!! | Middle Edge(ミドルエッジ)
女子プロのヒールと言えば、北斗の拳の雑魚キャラにも似たいかついフェイスが勢ぞろいします。でも、か弱いベビーフェイスVS極悪ヒールの図式がお決まりの女子プロは、彼女たちの頑張りなくしては成り立ちません。そんなヒールたちの素顔をちょっとご紹介。
女子プロが人気になるには、ヒールとベビーフェイスの分かりやすい対立の図式が常に必要です。光と影の両方が必要。
身長165cm・体重48kg。(女子プロデビュー時) 血液型・B型 水瓶座。
(出典:Wikipedia)