久保田早紀のプロフィール
名前:久保田早紀(くぼたさき)
本名:久米小百合(旧姓・久保田)
生年月日:1958年5月11日
出身地:東京都国立市
最終学歴:共立女子短期大学
4才の頃にピアノを始めますが、当時はあまり興味を示さず、小学校高学年の頃から日本のフォークソングや歌謡曲、ビートルズなどを好んで聴いたり演奏するようになったそうです。
小さい頃から音楽に携わってきたのですね。
デビューのきっかけ
募集要項に「自作自演可」とあったので自分の歌を録音したカセットテープを送り、一次審査に合格しました。
ちなみに同大会には松田聖子さんも参加しています。
当時はヤマハのポプコン(ポピュラーコンテスト)がプロへの登竜門だったそうですが、久保田早紀さんは人前で歌う勇気が無かったので、レコード会社の人に聴いてもらえれば…という目的で応募したそうです。
そのときに「デビューの約束はできないけれど、4年制大学に行ったと思って一緒に曲作りをしませんか?」とディレクターさんから声をかけてもらい、CBSソニーに週一くらいで通うことになったのでした。
当時は中央線に乗車中、曲や詞を考えることが多く、のちのデビュー曲「異邦人」は八王子付近や国立付近で作ったそうです。
あの大ヒット曲は中央線に乗車中に製作されたのですね!
なんて素晴らしい感性、まさに天才です。
異邦人の大ヒット
異邦人 - 久保田早紀(フル)
実はもともとは「白い朝」というゆったりした曲だったそうですが、タイアップCMがアフガニスタンで撮影されたことから、当時流行っていたエーゲ海・地中海などの異国情緒を連想する曲調に大幅に改変されたそうです。
タイアップしたカラーテレビのCMが始まると、ジワジワと売り上げを伸ばし初登場は5位だったザ・ベストテンで12月27日には、1位を獲得しました。
その後3週連続1位。
そしてその後3月まで12週連続でベストテン入りする大ヒットを記録しています。
飛んでイスタンブール 庄野真代
久保田早紀のその後は?
百万本のバラ 【久保田早紀】 高音質
一躍話題のニューミュージシャン歌手になった久保田早紀さん。
2枚目のアルバム「天界」では、引き続きオリエンタル路線を狙っています。
その後はヨーロピアン調の曲も手掛け、ニューミュージシャンとして活動を続けましたが、異邦人の絶大なインパクトをぬぐうことが出来ず1984年に26歳で、音楽プロデューサーの久米大作さんとの結婚を機に芸能界を引退してしたのでした。
久保田早紀さんの若い頃が美人過ぎると話題に
久保田早紀、歌もいいけどド美人なんだよな pic.twitter.com/gWIvoyesuZ
— カルロ (@Omanman__16) June 17, 2019
その美貌は当時はおろか、現代のSNSでも大絶賛されています!
異邦人の久保田早紀さんハチャメチャに美人だわーー
— Natcosme💄コス垢 (@natcosme) May 27, 2020
こんなに時代に左右されない美人ってあるのか
生まれ変わって顔選べるならこの顔になりたい🤩
徳を積まねば、、 pic.twitter.com/knIx68PSuy
神秘的なイメージにも、美人ぶりが一役買いました。
引退はもったいないように感じてしまいますが、久保田早紀さんご本人は「テレビは出る物ではなく、観る物」という違和感をずっと持たれていたようなのです。
こんなに美人に生まれたら、見せびらかしたいと思ってしまいそうですが、謙虚な方なのですね。