佐野 実(さの みのる)プロフィール
via ameblo.jp
生誕 1951年4月4日
出身 神奈川県横浜市戸塚区
死没 2014年4月11日(63歳没)
出身校 藤沢商業高等学校
職業 ラーメン店「支那そばや」創業者
株式会社サノフード代表取締役
株式会社エヌアールフード取締役
出身 神奈川県横浜市戸塚区
死没 2014年4月11日(63歳没)
出身校 藤沢商業高等学校
職業 ラーメン店「支那そばや」創業者
株式会社サノフード代表取締役
株式会社エヌアールフード取締役
経歴
1951年4月4日に神奈川県横浜市戸塚区で4人兄妹の次男として誕生されました。
家が貧しく常に空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたそうです。
また父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっており、その影響からか、本人も短気ですぐ「キレる」性格故、同級生への暴力行為を理由に幼稚園を退園処分になった事もあったとか・・・。
家が貧しく常に空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたそうです。
また父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっており、その影響からか、本人も短気ですぐ「キレる」性格故、同級生への暴力行為を理由に幼稚園を退園処分になった事もあったとか・・・。
不二家レストラン
via ja.wikipedia.org
佐野さんは、高校卒業後、横浜ドリームランド内の不二家レストランに就職されました。
同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからと、以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から34歳までは管理職(店長)を務めたと言います。
その傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、「修業はした方がいい」と言う地元・戸塚の飲食店組合融資部長が斡旋した湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で修行をされたそうです。
同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからと、以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から34歳までは管理職(店長)を務めたと言います。
その傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、「修業はした方がいい」と言う地元・戸塚の飲食店組合融資部長が斡旋した湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で修行をされたそうです。
「支那そばや」をオープン
via www.photo-ac.com
その後、佐野さんは実兄の資金援助を受けて1986年8月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開店させています。
店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、前述の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めたと言います。
店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、前述の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めたと言います。
1号店は閉店している・・・。
via www.photo-ac.com
開店当初は、思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあると言います。
店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年ごろで、2000年からは藤沢の店舗は佐野さんの弟子に譲ったが、その弟子も辞めてしまった上に後継者も居なかった為、2004年に閉店しています。
店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年ごろで、2000年からは藤沢の店舗は佐野さんの弟子に譲ったが、その弟子も辞めてしまった上に後継者も居なかった為、2004年に閉店しています。
メディア出演
via www.amazon.co.jp
佐野さんのメデイア登場は、1996年11月16日放送の『土曜スペシャル』「頑固一徹!こだわり親父の守る味」でした。
取材を受け、ゲストリポーターに似鳥裕子さんが起用され、佐野さんが似鳥さんの香水の匂いを指摘して店内から追い返す場面も・・・。
取材を受け、ゲストリポーターに似鳥裕子さんが起用され、佐野さんが似鳥さんの香水の匂いを指摘して店内から追い返す場面も・・・。
via ameblo.jp
キレた似鳥さんは佐野さんに対し「あの男には腹が立った」と発言し、更には佐野さんの整髪料の匂いを指摘しているシーンもありました。
確かに佐野さんもポマードで固めたオールバックが、トレードマークでしたよね。(佐野さんのポマードは無香料だったのか・・・。)
確かに佐野さんもポマードで固めたオールバックが、トレードマークでしたよね。(佐野さんのポマードは無香料だったのか・・・。)