【訃報】“怪童”と呼ばれた元プロ野球選手・中西太さん死去。
現役時代に“怪童”と呼ばれたプロ野球選手で、西鉄ライオンズ、日本ハムファイターズなど5球団で監督や監督代行を務めた中西太(なかにし ふとし)さんが11日、心不全のため東京都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。90歳でした。
第一報はこちらです!
“怪童” #中西太 さん死去、90歳心不全 本塁打王5回、3球団で監督、イチローら育てた名伯楽 https://t.co/JCX7fRuL3a
— 日刊スポーツ (@nikkansports) May 18, 2023
中西さんは1933年4月11日、香川県高松市出身。高松第一高校時代に、その豪打と俊足で“怪童”と呼ばれる活躍ぶりを甲子園で発揮した後、1952年に西鉄ライオンズに入団。1年目で新人王を獲得し、2年目には史上最年少でトリプルスリーと二冠(本塁打王・打点王)を獲得するなど、当時の西鉄黄金期を支えました。指導者としては、1962年から1969年にかけて西鉄で選手兼任監督に就任し、その後も日本ハムファイターズなどで監督・コーチを歴任。掛布雅之、岡田彰布、イチローなど幾多の選手を育て、1999年には野球殿堂入りを果たしました。
野球界からの哀しみの声が続々と寄せられる。
このたびの中西太さんの訃報には、野球関係者を中心に数多くの著名人が追悼のコメントを発表しています。ここでは、その中からいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
長嶋茂雄
読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督は、球団を通じて「現役時代は、西鉄との日本シリーズで、印象深い対戦をしたよきライバルで、今でもあの豪快なバッティングスタイルが目に焼き付いています。いつも私のことを気にかけてくださる心優しい先輩で、私は『ふとしさん』と呼ばせていただいた親しい関係でした」とコメントを発表。よきライバルであった旨を述懐していました。
王貞治
福岡ソフトバンクホークスの王貞治球団会長は「中西さんがコーチ時代にグラウンドでお話しする機会もあり、お会いするたびにバッティングの話をしました。中西さんのように右打者でありながら右方向に大きなホームランを打つ選手は、それまで、ほかにいませんでした。野球界で“怪童”と言われるくらい野球のスケールを大きくした人」と、故人の冥福を祈りました。
吉田義男
現役時代に“牛若丸”と称された元プロ野球選手・吉田義男は「(西鉄ライオンズ時代に)ショートライナーかと思ったら伸びて本塁打になった逸話は有名」「ふとっさんの三塁からの送球はホップするから、一塁手がミットの土手に当てて捕れなかったのも知ってます。ずばぬけた才能の持ち主で、我々の時代を生きた誇り」と、同じ1933年生まれの同世代から見た中西さんの才能を振り返っていました。
吉田義男氏、同い年の“ふとっさん“中西太さん訃報に「思い出語り尽くせません」 https://t.co/L219x2hhDH
— ふくださん (@fukudasun) May 18, 2023
吉井理人
現役時代に中西さんの指導を受けた、千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督は「近鉄時代、自分が若かった頃、色々なヤンチャなことをしても中西さんがかばってくれたことを思い出します。笑いながら『頑張れよ、頑張れよ』と声をかけてくれました。色々な思い出がありますが今、一番最初に思い出すのは川崎球場の食堂でラーメンを2口すすっただけで食べてしまったことです。あれは驚きました。本当に豪快な方で優しい方でした」と、故人の人柄を偲んでいました。
松井稼頭央
埼玉西武ライオンズの松井稼頭央監督は、「正直びっくりしました」「練習法やいろんなことを教えていただいた。それをしっかり継承して、若い人たちにも伝えていけるようやっていきたい」と、西鉄の系譜を継ぐ西武の監督として、気持ちを引き締めていました。
栗山英樹
侍ジャパンの栗山英樹監督は、「中西さんはヤクルトでの現役時代のコーチで三原脩さんも含めて、私の野球人としてのすべてのベースを作っていただきました。すごく愛情深いコーチングは鮮明に記憶に残っています」「世界一も、すべて中西さんのおかげ」と、感謝の気持ちをコメントしていました。