慶應義塾ワグネルソサィエティーの出身
ダークダックスは、メンバー全員が、慶應義塾大学経済学部、かつ同大学の慶應義塾ワグネルソサィエティー男声合唱団の出身です。1951年のクリスマスパーティーで『ホワイト・クリスマス』を披露したのがきっかけで、ダークダックスが結成されました。当時のメンバーは、この時現役の合唱団員だった3人(マンガさん、ゲタさん、ゾウさん)で、のちにパクさんが入学・入団し、4人組となります。
時は昭和26年(1951年)、慶應大学の学生3名がクリスマス・イブのパーティーのために男声三重唱団を結成しました。
披露した歌は『White Christmas』
言わずと知れたクリスマスナンバーです。
そのパーティーだけで終えるにはもったいないと評判になるほどの大盛況!
その3名こそ、今のダークダックスのゾウさんゲタさんマンガさんでした。
そして学年違いで入学したパクさんが加わり、後のダークダックスメンバーが揃うことになります。
ダークダックスのメンバー
男声合唱は通常4パートあり、音の高い順に、トップ・テナー、セカンド・テナー、バリトン、バスというパート構成になっています。ダークダックスの4人もこの構成です。ステージの立ち位置は、向かって左(下手)から右(上手)に、高音から低音の並び順でした。
ダークダックスは50年近くもの間、4人で歌い続け、メンバーが病に倒れた後、また亡くなった後も残るメンバーで歌い続けてきました。しかし、2023年9月22日、最後の存命者だったゾウさんが亡くなり、メンバー全員が鬼籍に。。。
では、ダークダックスの4人をご紹介します。
ダークダックスは50年近くもの間、4人で歌い続け、メンバーが病に倒れた後、また亡くなった後も残るメンバーで歌い続けてきました。しかし、2023年9月22日、最後の存命者だったゾウさんが亡くなり、メンバー全員が鬼籍に。。。
では、ダークダックスの4人をご紹介します。
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パクさん(高見澤 宏)
パクさんのパートは、一番高い音のトップ・テナー。1933年11月9日生まれで、ダークダックスでは一番若いメンバーです。グループ結成時は3人組でしたが、パクさんが入学・入団してメンバーに加わり、4人組となりました。妻の兄が、萬屋錦之介です。2011年にメンバーで最初に逝去(享年77歳)。
マンガさん(佐々木 行)
マンガさんのパートは、二番目に高い音のセカンド・テナー。1932年2月18日生まれで、本名は佐々木通正です。主にメロディーを歌いました。『青葉城恋唄』をともに歌ったさとう宗幸は親戚です。メンバーで最初に病に倒れ、2016年にゲタさんを追うように逝去(享年84歳)。
さとう宗幸と僕らとは、もう一つオカシナつながりがあることが分かりました。それはマンガさんと、さとう宗幸君が宮城県古川市に縁があり、意外に近い親戚だということが分かったのです。
(中略)
親戚であることに、マンガさんのほうは気がつかず、宗幸君が言い出して分かったのです。
ゲタさん(喜早 哲)
ゲタさんのパートは、テナーとバスの間の音のバリトン。1930年11月8日生まれで、顔が四角いという理由で "ゲタさん" という愛称が付けられました。本稿で引用している『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』の著者でもあります。2016年に逝去(享年85歳)。
小島(正雄)さんは、
「テツとか、テッちゃんなんて生意気だ!チャンチャラオカシイ!気取るんじゃないぞ!お前のカオはなァー、四角いんだ。四角いものはナンだ?分かるだろぉー、ゲタだよ、ゲタ。
(中略)
決めた!ゲタァッ、ゲタァッ!」
ゾウさん(遠山 一)
ゾウさんのパートは、一番低い音のバス(ベース)。1930年5月26日生まれで、本名は、金井哲夫から改名し、現在は金井政幸です。最年長ながらダークダックス最後の存命者で、最後まで "ダークダックスのゾウさん" として活動を続けました。2023年に逝去(享年93歳)。
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ダークダックスの名曲
ダークダックスは広く大衆に親しまれた有名曲があまりにも多く、ここではその一部をご紹介します。