社会的現象を巻き起こしたワゴンブームの立役者『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』
初代『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 (1989年2月~1993年9月生産モデル) ステーションワゴンのブームの基礎を作ったモデル
バンから脱却しワゴンブームを作った
レオーネ時代からスバルが得意としていたミドルサイズの4WDワゴン。レオーネの後継たるこのレガシィによってその伝統は大きく花開いた。商用バンから脱却し、ステーションワゴンのブームの基礎を作ったモデルだ。
セダンモデルにはFFと4WDが用意されていたが、ワゴンは4WDのみの設定。1.8Lと2Lの水平対向4気筒エンジンを積む。人気を決定づけたのは途中から加わったスポーティグレードのGT。セダンRSに積まれていたDOHCターボエンジンを若干パワーを落として搭載。それでも速いワゴンには変わりなく、このキャラクターが支持されて後のレガシィ人気を支えることになる。(1989.2)
二代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 (1993年10月~1998年5月生産モデル) レガシィ人気を不動にしたモデル
レガシィ人気を不動にしたモデル
ミドルクラス国産車が相次いで3ナンバーとなり大型化路線を歩む中、初代同様に5ナンバーサイズとしたのが2代目レガシィの特徴であった。イメージリーダーとなったのがスポーティグレードのGT。エンジンは2Lの水平対向DOHC+2ステージツインターボで、最高出力250psを達成。駆動方式はスバル独自の4WDシステム。
MT車にはビスカスLSD付きセンターデフ方式を、AT車には不等可変トルク配分電子制御方式を採用し、高い運動性能を実現している。GT系以外の1.8Lや2L、2.5Lの各自然吸気モデルのAT車にはアクティブトルクスプリット式電子制御フルタイム方式が採用されている。(1993.10)
三代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』(1998年6月~2003年4月生産モデル) 2Lミドルクラスのワゴンの大ヒットモデル
2Lミドルクラスのワゴンの大ヒットモデル
スポーティな走りが自慢のワゴンとして一世を風靡したレガシィ。日本車には珍しく3代続けてキープコンセプトを貫きシリーズの熟成を図るという、極めて真面目なクルマ作りがなされている。
5ナンバーサイズを踏襲しているものの、エンジンやシャーシメカニズムなどは一新されている。中心グレードのGTには先代の最終モデルと同じパワーの2Lターボの280psエンジンを当初から搭載するなど、高性能ワゴンNo.1の座を守った。ほかには2LのSOHC、2.5LのDOHCなどが用意されている。(1998.6)
1990年代のステーションワゴンブームの火付け役『ボルボ・850エステート(ステーションワゴン)』
1990年代のステーションワゴンブームの火付け役『ボルボ・850エステート(ステーションワゴン)』
1990年代に人気を博したボルボのステーションワゴン「850エステート」。ボルボ・カー・ジャパンがレストアを施した個体の試乗を通し、スクエアなデザインが特徴だった“古き佳き時代”のボルボの魅力に触れた。
via autoc-one.jp
ボルボ・850とは、1991年に発表、各国で1992年モデルとして発売されたボルボの中型車。セダンとステーションワゴン(エステート)が存在した。
日本市場では850が1990年代のステーションワゴンブームの火付け役となり、スバル・レガシィや日産・ステージアなどの日本の自動車メーカーのステーションワゴンに大きな影響を与えた。並行輸入を含めボルボとしては未曾有の台数が輸入された。
なお、850エステートは1994年度グッドデザイン大賞を受賞している。
1997年、それまでのボルボとしては異例にも6年という短命で850という名称はその生涯を終えた。ビッグマイナーチェンジを受けてS70/V70と改名され、2000年のフルモデルチェンジでS60、2代目V70にバトンタッチされた。
バブル期のRVブームを頂点に車種別シェアとして一時20%後半まで増加し、この時期はほとんどの日本メーカーがステーションワゴンを発売していたが、バブル崩壊後のレジャー需要の低迷や、多くの車種が同じボディのバンタイプも併売したことによるイメージの悪化、ミニバンやクロスオーバーSUV、コンパクトカー、果ては軽自動車(特にトールワゴンと呼称されるミニバンタイプ)などへの人気のシフトにより、現在の販売シェアは10%前半まで落ち込み、モデル廃止に追い込まれた車種もある。
多人数乗車を目的とした「乗用車」の1982年8月発表の「日産・プレーリー」や1983年2月発売の「三菱・シャリオ」が日本でのミニバンの始祖といわれる
ミニバンの始祖「日産・プレーリー」(現在の名称は「日産・リバティ」)(1982年8月発表)
リバティ(LIBERTY )は、日産自動車が販売していたワゴン型のミニバン。設計、開発の一部と生産は日産車体が担当していた。「リバティ」は、「プレーリー」のモデルチェンジに際し、車名が変更されたものである。近隣諸国への輸出も多く、それらのネーミングは「プレーリー」のままであった。
当時荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点でオースター / スタンザをベースに開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めた旧プリンス出身の伊藤修令である。
現在、実質の後継車であるラフェスタと競合するトヨタ・アイシスは、片側のみセンターピラーレス構造を採用しているが、初代M10型プレーリーは、両側共にセンターピラーレス構造をいち早く採用し、ベンチシート、3列8人乗り、回転対座などのシートバリエーションを実現していた。VN10型パルサー・バンから転用された、トーションバー・スプリングを横置きに配置することでスペース効率を向上させたトレーリングアーム式サスペンションによって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない広い空間を5ナンバーサイズ内に構築し、日本流ミニバンの始祖的存在であった。前席のシートベルトリトラクターは左右フロントドアに内蔵された。
当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けで、いわゆるミニバンタイプである3列シートのJW系(JW、JW-L、JW-G)のほかに後席を折りたたむことで広いラゲッジスペースを得ることができる2列シートのRV系(RV、RV-S)、同じく2列シートながらRV系に比べ前後シートの間隔を広げたうえ、シートバックの厚みをたっぷりとった固定式シートを採用した、リムジン感覚をうたったSS系(SS-G)、さらには商用車のNV系(3人乗り、3 / 6人乗り)という4タイプのワイドバリエーションをそろえていた。搭載するエンジンは直列4気筒 OHCのCA18S型とE15S型。
(出典:Wikipedia「日産・リバティ」)
当時荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点でオースター / スタンザをベースに開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めた旧プリンス出身の伊藤修令である。
現在、実質の後継車であるラフェスタと競合するトヨタ・アイシスは、片側のみセンターピラーレス構造を採用しているが、初代M10型プレーリーは、両側共にセンターピラーレス構造をいち早く採用し、ベンチシート、3列8人乗り、回転対座などのシートバリエーションを実現していた。VN10型パルサー・バンから転用された、トーションバー・スプリングを横置きに配置することでスペース効率を向上させたトレーリングアーム式サスペンションによって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない広い空間を5ナンバーサイズ内に構築し、日本流ミニバンの始祖的存在であった。前席のシートベルトリトラクターは左右フロントドアに内蔵された。
当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けで、いわゆるミニバンタイプである3列シートのJW系(JW、JW-L、JW-G)のほかに後席を折りたたむことで広いラゲッジスペースを得ることができる2列シートのRV系(RV、RV-S)、同じく2列シートながらRV系に比べ前後シートの間隔を広げたうえ、シートバックの厚みをたっぷりとった固定式シートを採用した、リムジン感覚をうたったSS系(SS-G)、さらには商用車のNV系(3人乗り、3 / 6人乗り)という4タイプのワイドバリエーションをそろえていた。搭載するエンジンは直列4気筒 OHCのCA18S型とE15S型。
(出典:Wikipedia「日産・リバティ」)
日産・プレーリーと並んでミニバンの先駆け「三菱・シャリオ」(1983年2月発売)
シャリオ(CHARIOT )・シャリオ グランディス(CHARIOT GRANDIS )は、1983年から2003年まで三菱自動車工業が製造・販売していたミニバン。
1977年に開発を開始、1979年にはSSW(スーパースペースワゴン)として第23回東京モーターショーに出品された。 プレーリーと並んでミニバンの先駆けといわれたクルマである。
1997年以前のモデルがシャリオ、1997年から2003年までのモデルがシャリオグランディスである。2003年に登場した後継車はグランディスとシャリオのネームを外した。
初代は1983年2月23日に発表された。 駆動方式は発売当初はFFのみであったが、後にパートタイム4WD、さらにはビスカスカップリング式フルタイム4WDとなった。 2ボックスボディに3列シートという、当時は類を見ないタイプのクルマであったため、1982年に発売されたプレーリーや1983年に発売されたクライスラー・ボイジャーなどと並んで「ミニバンの嚆矢」と呼ばれている。 本車はトレディア(初代ミラージュの姉妹車)をベースに開発された[2]。車格としては2000年に登場したディオンに近い。
初代モデルはRVブームやバブル景気と相まって、8年間のロングサイクルモデルとなった。
また、4WDが発売された1984年にファラオラリーへ参戦、ガソリン4WD無改造クラスにてクラス優勝した。
(出典:Wikipedia「三菱・シャリオ」)
1977年に開発を開始、1979年にはSSW(スーパースペースワゴン)として第23回東京モーターショーに出品された。 プレーリーと並んでミニバンの先駆けといわれたクルマである。
1997年以前のモデルがシャリオ、1997年から2003年までのモデルがシャリオグランディスである。2003年に登場した後継車はグランディスとシャリオのネームを外した。
初代は1983年2月23日に発表された。 駆動方式は発売当初はFFのみであったが、後にパートタイム4WD、さらにはビスカスカップリング式フルタイム4WDとなった。 2ボックスボディに3列シートという、当時は類を見ないタイプのクルマであったため、1982年に発売されたプレーリーや1983年に発売されたクライスラー・ボイジャーなどと並んで「ミニバンの嚆矢」と呼ばれている。 本車はトレディア(初代ミラージュの姉妹車)をベースに開発された[2]。車格としては2000年に登場したディオンに近い。
初代モデルはRVブームやバブル景気と相まって、8年間のロングサイクルモデルとなった。
また、4WDが発売された1984年にファラオラリーへ参戦、ガソリン4WD無改造クラスにてクラス優勝した。
(出典:Wikipedia「三菱・シャリオ」)
(出典:Wikipedia「ステーションワゴン」)