ブルーハーツの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』に収録された佳曲『僕の右手』
1988年11月23日にリリースされた、THE BLUE HEARTSの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』。表題曲の『TRAIN-TRAIN』をはじめ、『ラブレター』『青空』といったシングルカットされたヒット曲も収録され、オリコン最高位としては週間3位を記録。いうまでもなく、ブルーハーツの歴史を語るうえで欠かすことのできない名盤なわけですが、その中の1曲に『僕の右手』という楽曲があります。
via www.amazon.co.jp
片手のヴォーカリスト・MASAMIについて歌った楽曲だった
この楽曲、ファンクラブの会報などで発表された当初のタイトルは『僕の右手を知りませんか』だったそうです。確かに、同曲の歌いだしは「僕の右手を知りませんか?」となっており、曲がつくられた背景まで知ると、元の表題のほうがしっくりいくような気も個人的にはします。
というのも、この『僕の右手』は、GHOUL(グール)というハードコア・パンクバンドのフロントマンで、「片手のパンクス」と呼ばれていた、甲本の友人だったとされる『MASAMI』について歌った楽曲だからです。
というのも、この『僕の右手』は、GHOUL(グール)というハードコア・パンクバンドのフロントマンで、「片手のパンクス」と呼ばれていた、甲本の友人だったとされる『MASAMI』について歌った楽曲だからです。
via www.youtube.com
小学1年生のころのダイナマイト遊びで、右手を失ったMASAMI
まず、『MASAMI』とはどんな人物だったのかを、簡単に説明していきましょう。MASAMIこと細谷雅巳は1957年8月29日生まれで、千葉県出身のロック・ヴォーカリスト。小学校1年生のときにダイナマイト遊びをしていた際、右手首から先を失い、義手での生活を余儀なくされます。
図らずも背負うことになったハンディキャップを憂うのではなく、むしろ、反骨へのエネルギーに変換して、ロックンロールの道を志したMASAMIは、26歳のときにGHOULを結成。他にもSQWAD、BAD LOTSというバンドでもヴォーカルをつとめ、80年代のアンダーグラウンドシーンで、カリスマ的な支持を集めました。
図らずも背負うことになったハンディキャップを憂うのではなく、むしろ、反骨へのエネルギーに変換して、ロックンロールの道を志したMASAMIは、26歳のときにGHOULを結成。他にもSQWAD、BAD LOTSというバンドでもヴォーカルをつとめ、80年代のアンダーグラウンドシーンで、カリスマ的な支持を集めました。
via www.youtube.com
強烈なパーソナリティをもっていたMASAMIの武勇伝とは?
ちなみに、MASAMIは、かなり破天荒かつ武闘派なミュージシャンだったらしく、その豪傑っぷりを示す、こんなエピソードがあります。
それはあるツアーにおける移動中のこと。サービスエリアに立ち寄り、車を降りて休憩所へ向かう際、進行方向には暴走族の集団がズラリ。頭数はバイクの台数にして、30~50台ほど。善良な一般市民であれば、どんなに面倒だとしても、迂回したいところです。
ところが、MASAMIは「関係ねぇよ!」と吐き捨て、その集団のど真ん中を堂々と闊歩。あわてふためくバンドのクルーたち。いつ、暴走族たちが襲い掛かってきてもいいようにと身構えるのですが、なんと、MASAMIの進路に合わせて、連中は潮のように、サーッと引いていったのだとか。
喧嘩上等の不良たちをして、そのただならぬ怒気だけで退散させるなんて、この男、只者ではありません。
それはあるツアーにおける移動中のこと。サービスエリアに立ち寄り、車を降りて休憩所へ向かう際、進行方向には暴走族の集団がズラリ。頭数はバイクの台数にして、30~50台ほど。善良な一般市民であれば、どんなに面倒だとしても、迂回したいところです。
ところが、MASAMIは「関係ねぇよ!」と吐き捨て、その集団のど真ん中を堂々と闊歩。あわてふためくバンドのクルーたち。いつ、暴走族たちが襲い掛かってきてもいいようにと身構えるのですが、なんと、MASAMIの進路に合わせて、連中は潮のように、サーッと引いていったのだとか。
喧嘩上等の不良たちをして、そのただならぬ怒気だけで退散させるなんて、この男、只者ではありません。
via d.hatena.ne.jp
ステージで倒れ、昏睡状態のまま36歳の若さで死去した
『僕の右手』がリリースされた翌年にあたる1989年。MASAMIはステージでパフォーマンス中に突然倒れて、それからというもの昏睡状態に陥ります。結局、目を覚ますことなく、1992年9月に肺炎を併発して逝去。享年36歳の若さでした。
MASAMIの死をうけて、新宿アンチノックでは、5日間にわたって追悼ライブが開催されます。嘘か本当かは定かではありませんが、このイベントに出演した甲本ヒロトは『僕の右手』を、涙ながらに熱唱したとのこと。その際、彼がステージ上で発したとされるメッセージが次の通りです。
MASAMIの死をうけて、新宿アンチノックでは、5日間にわたって追悼ライブが開催されます。嘘か本当かは定かではありませんが、このイベントに出演した甲本ヒロトは『僕の右手』を、涙ながらに熱唱したとのこと。その際、彼がステージ上で発したとされるメッセージが次の通りです。
「死んだヤツのために歌う歌なんかない。あるとすればここに来てるみんなのための歌だ。 だけどこれだけの人を集められるのはMASAMIだけだろう。 美談にはしたくないけど、最後にめちゃくちゃいいヤツだったと言っておこう。 感傷じゃないよ。正直な気持ち。だって生きてるときからそう思ってたんだもん」
via www.nicovideo.jp
『僕の右手』は、誰もが共感できるメッセージソング!
このように、今は亡き片腕のロック・ヴォーカリストMASAMIへ捧げられた『僕の右手』。「僕の右手を知りませんか?」「行方不明になりました」という出だしの歌詞や、「見た事もないようなマイクロフォンの握り方で 聞いた事もないような歌い方するよ」という楽曲終盤の一節は、まぎれもなくMASAMIについて歌っているといって良いでしょう。
けれども、「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ」「瞳の奥に眠りかけた くじけない心」「今日も明日もあさっても 何かを探すでしょう」など、万人が共感できる応援メッセージも要所要所に含まれているのが、この楽曲のうまいところ。
足りない「何か」を求めて、一つのことを信じ、ひたすら打ち込む心の大切さ…。そんな片手のパンクス・MASAMIが表現し生き様の美しさを、ヒロトは『僕の右手』という楽曲で伝えたかったのかも知れません。
けれども、「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ」「瞳の奥に眠りかけた くじけない心」「今日も明日もあさっても 何かを探すでしょう」など、万人が共感できる応援メッセージも要所要所に含まれているのが、この楽曲のうまいところ。
足りない「何か」を求めて、一つのことを信じ、ひたすら打ち込む心の大切さ…。そんな片手のパンクス・MASAMIが表現し生き様の美しさを、ヒロトは『僕の右手』という楽曲で伝えたかったのかも知れません。
僕の右手 / THE BLUE HEARTS / LIVE
via www.youtube.com
(こじへい)
20 件