2017年12月23日 更新
バブル時代の生き残り、Y31セドリック
日産セドリックといえば、かつてはトヨタのクラウンと並ぶ、日本を代表する高級車の双璧でした。しかし、2004年に兄弟車のグロリアと統合してフーガにバトンタッチ。セドリックが消滅して10年以上経っても印象が強く残っているのは、タクシー用が2014年まで製造されていたからでしょう。
デザインや足回りを刷新したY31型
セドリックのY31型は、1987年6月のフルモデルチェンジで登場しました。セドリック・グロリアは法人所有が多いため、パーソナルなハードトップをラインナップしつつも、法人利用を重視した設計をしていました。しかし、市場調査をすると、実は中小企業などのオーナー社長が法人名義で登録しているだけで、実際は自分で運転している人が多い、ということが分かりました。そのため、今までにないくらいパーソナル寄りに振ったのがY31型の特徴です。
ちょうど日産も、1990年代までに技術の世界一を目指す「901運動」を推進中だったため、豪華なブロアムのほか、個人需要の拡大とユーザー層の若返りを図ったグランツーリスモを初設定し、人気車種となりました。
先代のY30型では、4ドアハードトップ、4ドアセダン、ステーションワゴン/ライトバンの3種類のボディを用意していましたが、Y31型ではハードトップとセダンだけとなり、ステーションワゴン/ライトバンはY30型が継続生産されました。一方で、セドリックをベースに3ナンバー専用ボディを与えたシーマを追加設定したのが特筆されます。
Y31型セダンは、ハードトップと同じくCピラーにクオーターウィンドーを設けた6ライトのデザインで、一見ドア数が違うだけでしたが、フロントグリルやテールライトのほか、コーナリングランプの形状も異なるなど、外装についてはハードトップとは細部が異なる専用のデザインでした。
ボディをストレッチしたリムジンも登場
エンジンのラインナップは、V型6気筒のガソリンエンジンが3000ccのNAターボ(195PS)とNA(160PS)、2000ccのDOHCターボ(185PS)とNA(125PS)、そしてディーゼルエンジンの直列6気筒の2800cc(94PS)がありました。このほか、タクシーなどの営業車用にLPGエンジンも用意されました。
当初、セダンにグランツーリスモの設定はなかったのですが、1988年6月に追加設定。1989年6月のマイナーチェンジでは、2000ccターボエンジン車のATが4段から世界初の5段になりました。
また、日産の子会社、オーテックジャパンにより、ホイールベースを150mm伸ばしたLシリーズや、600mm伸ばしたセドリック・ロイヤルリムジンなども設定されました。
ハードトップだけY32型にモデルチェンジ
お約束通り、登場から4年後の1991年6月に、セドリックはフルモデルチェンジをしますが、ハードトップのみがモデルチェンジをしてY32型になりました。Y31型の製造途中から高級車は3ナンバーが趨勢となり、セドリックもY32型で3ナンバーサイズのボディに、3000ccエンジンが主力となりました。しかし、セダンはタクシーが5ナンバー以下でないと中型車に区分されないため、5ナンバーサイズのY31型が継続生産されました。
しかし、大幅な変更が加えられ、今でもタクシーなどで見かける外観になりました。外観の変更点は、ライトまわりやフロントグリルの高さを高くしたことで、フェンダーやボンネットの形状も変更、屋根を後方に延長してCピラーの上部を太くするとともにクオーターウィンドーの廃止、テールライトまわりの変更、車体側面のキャラクターラインの廃止などで、ドア以外は一変しました。
また、ダッシュボードも従来のデザインをベースに、丸みのあるものに変更されました。エンジンはV型6気筒の3000cc・NA(160PS)と2000cc・NA(125PS)、直列6気筒の2800ccディーゼル(94PS)で、ターボのラインナップを廃止。このほか営業車用にLPGが用意された。
セドリック・グロリアは個人向けのハードトップ、法人向けのセダンと性格を大きく分け、Y31型セダンはタクシーなどの営業車のほか、企業や官公庁の公用車として安定した販売を保ちました。また、前期型で好評だったLシリーズも継続されました。
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