【学校】第17回(1994年度)日本アカデミー賞を振り返る!【西田敏行】
2021年6月20日 更新

【学校】第17回(1994年度)日本アカデミー賞を振り返る!【西田敏行】

1994年と言えば、PlayStationが発売された年。 オウム真理教による松本サリン事件が発生し、日本に戦慄が走った年でもあった。そんな1994年の日本アカデミー賞を振り返ってみよう。

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第17回日本アカデミー賞

第17回日本アカデミー賞は1994年3月17日に新高輪プリンスホテルで開催された日本アカデミー賞発表・授賞式である。司会は高島忠夫と南野陽子。

最優秀作品賞『学校』

『学校』は日本テレビ放送網開局四十年記念作品。幅広い年代の生徒が集まる夜間中学校を舞台にして、苦しい状態から立ちあがる人々を描いたハートウォーミングな作品。この映画によって、夜間中学校の知名度が一挙に高まった。

メインの人物である「イノさん」のモデルは実在の井上という生徒であり、松崎運之助(みちのすけ)の『青春 夜間中学界隈』(教育史料出版会、1985年)を下敷きにしている。映画のエピソード(競馬の話、医学部生に夜間中学を紹介された話、急病で死去した話など)も実話である。
学校

学校

優秀作品賞は以下の通り。

月はどっちに出ている
虹の橋
僕らはみんな生きている
わが愛の譜 滝廉太郎物語

最優秀監督賞:山田洋次『男はつらいよ 寅次郎の縁談』『学校』

山田洋次監督は大阪府豊中市出身。現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督である。1996年には紫綬褒章、2004年には文化功労者、2012年文化勲章を受章。

『男はつらいよ』は50年間に50作が製作される大ヒットシリーズとなり、毎年お盆と暮れの興行は日本人の風物詩、国民的映画とまで言われるようになった。しかし、車寅次郎役である渥美清の体調がすぐれなくなってからは、年2回作っていたところを年1回に減らし、甥の満男の出番を増やして寅次郎の出番を減らした。
山田洋次

山田洋次

優秀監督賞と作品は以下の通り。

崔洋一(月はどっちに出ている) 
澤井信一郎(わが愛の譜 滝廉太郎物語)
滝田洋二郎(眠らない街 新宿鮫/僕らはみんな生きている) 
松山善三(虹の橋) 

最優秀主演男優賞:西田敏行『学校』『釣りバカ日誌6』

西田敏行は福島県郡山市出身。映画『釣りバカ日誌』シリーズで有名である。1986年に映画『植村直己物語』で主演をつとめ、これが自身にとって大きな転機となった作品だと話している。

NHK大河ドラマに数多く出演しており、1984年『山河燃ゆ』、1990年『翔ぶが如く』、1995年『八代将軍吉宗』、2000年『葵 徳川三代』の主演4回は大河ドラマでの最多記録である。

『学校』ではクラス担任の黒井先生役を、『釣りバカ日誌6』では「ハマちゃん」としておなじみの浜崎伝助役を演じた。
西田敏行

西田敏行

優秀主演男優賞は以下の通り。

風間トオル(わが愛の譜 滝廉太郎物語) 
真田広之(眠らない街 新宿鮫/僕らはみんな生きている) 
松村達雄(まあだだよ) 
三國連太郎(大病人/釣りバカ日誌6) 

最優秀主演女優賞:和久井映見『虹の橋』

和久井映見は神奈川県横浜市出身。16歳の時、東京ディズニーランドでスカウトされて芸能界入りした。1992年には映画『就職戦線異状なし』『息子』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した。

また1993年にはサントリー「モルツ」ビールのCMに出演し、その中のセリフ「うまいんだな、これが」が流行語になった。
和久井映見

和久井映見

1990年エンドレス・マイ・イマジンより
優秀主演女優賞は以下の通り。

岩下志麻(極道の妻たち|新・極道の妻〈おんな〉たち 覚悟しいや ) 
吉永小百合(夢の女) 
ルビー・モレノ(月はどっちに出ている)
鷲尾いさ子(わが愛の譜 滝廉太郎物語)

最優秀助演男優賞:田中邦衛『学校』『子連れ狼 その小さき手に』『虹の橋』

田中邦衛は岐阜県土岐市出身。1961年の東宝映画『大学の若大将』では、若大将のライバル・青大将役で出演しており、敵役・悪役だがコミカルで憎めないキャラクターを好演して「若大将シリーズ」のレギュラーとなった。

1980年代以降は映画への出演は減るが、1981年からのテレビドラマ『北の国から』シリーズでの黒板五郎役で全国的に知られるようになった。
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