事件の概要
via www.photo-ac.com
まずは事件の概要からお伝えします!
事件のあった日:1945年3月26日午前8時頃
事件のあった場所:群馬県北甘楽郡尾沢村
被害者:17歳(当時)の次女
加害者:被害者の継母(当時33歳)
加害者の刑罰:懲役15年
殺害方法:絞殺
事件のあった日:1945年3月26日午前8時頃
事件のあった場所:群馬県北甘楽郡尾沢村
被害者:17歳(当時)の次女
加害者:被害者の継母(当時33歳)
加害者の刑罰:懲役15年
殺害方法:絞殺
事件の経緯
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被害者Tさんの父のKさんには、亡くなった妻との間に4人の子供がいました。
その後事件の加害者となる、Rと再婚しています。
Rにも女の子の連れ子がいて、Kさんにも被害者となったTさん以外に3人の子供がいました。
更に二人の間にも2人の子供が生まれ、夫婦は7人の子持ちになったのです。
Kさんは土地なしの日雇い労働者で生活が厳しく、Kさんの連れ子は、被害者のTさん以外は奉公に出されてしまいました。
Tさんは精神的な障害のために、奉公に出すことが出来なかったのです。
そのため事件当時家には父親のKさん、後妻のR、Rの連れ子のAさん、そしてKさんとRの間に出来た2人の子供のと被害者のTさんの6人が暮らしていました。
米の取れない地域だったため、主食はサツマイモやイモを食べていて、みんな生活が苦しかったけれど、中でもKさんの家は一番貧しかったということです。
貧しい時代だったのは無論ですが、Kさんは食べ物に困らない限りは、日雇いの仕事に出ようとせず、そのために貧しいという部分もありました。
精神的な障害を持つ被害者のTさんは、学校にも通えず家の前にボーッと座っている事が多かったようです。
実はTさんは生まれつきの障害ではなく、3歳の時に髄膜炎を患ったことがきっかけで学校に行くどころか、家事もままならない状態になってしまいました。
近隣では以前から、RがKさんの連れ子に冷たくあたっていると噂されていましたが、無気力な夫に何も出来ない連れ子…生活もままならない中で、普通の精神状態ではなくなってしまっていたのかもしれません。
戦時中で食料が配給制の当時、Rは食料が配給されると計画をせずに使い切ってしまい、近所からわずかの米や小麦をもらってしのいでいましたが、事件当日に遂に食料が尽きてしまったのです。
前日に作った味噌汁は、Kさんが1人で朝飲み干してしまい、子供たちに上げられる物は何もなくなってしまったのでした。
胃腸を病んでいたこともあり日に日にやせ衰えているTさんを見ると、1人居間の炬燵で何をするでもなく座っています。
そんなTさんを「Tの命はどうせ長くないから殺害して潰し、自分の子供に食べさせた方が良い」と考え、自分の子供3人には薪を拾ってくるように言いつけ、外に出したのでした。
10時頃、Tさんと2人だけになったRは、座っていたTさんを立たせ、戸棚の仕切り板に首を押し当てて後ろから両手で押さえつけたのです。
20分間もの間手を放さずに、Tさんを窒息で絶命させたRは遺体を布団に寝かせました。
その後事件の加害者となる、Rと再婚しています。
Rにも女の子の連れ子がいて、Kさんにも被害者となったTさん以外に3人の子供がいました。
更に二人の間にも2人の子供が生まれ、夫婦は7人の子持ちになったのです。
Kさんは土地なしの日雇い労働者で生活が厳しく、Kさんの連れ子は、被害者のTさん以外は奉公に出されてしまいました。
Tさんは精神的な障害のために、奉公に出すことが出来なかったのです。
そのため事件当時家には父親のKさん、後妻のR、Rの連れ子のAさん、そしてKさんとRの間に出来た2人の子供のと被害者のTさんの6人が暮らしていました。
米の取れない地域だったため、主食はサツマイモやイモを食べていて、みんな生活が苦しかったけれど、中でもKさんの家は一番貧しかったということです。
貧しい時代だったのは無論ですが、Kさんは食べ物に困らない限りは、日雇いの仕事に出ようとせず、そのために貧しいという部分もありました。
精神的な障害を持つ被害者のTさんは、学校にも通えず家の前にボーッと座っている事が多かったようです。
実はTさんは生まれつきの障害ではなく、3歳の時に髄膜炎を患ったことがきっかけで学校に行くどころか、家事もままならない状態になってしまいました。
近隣では以前から、RがKさんの連れ子に冷たくあたっていると噂されていましたが、無気力な夫に何も出来ない連れ子…生活もままならない中で、普通の精神状態ではなくなってしまっていたのかもしれません。
戦時中で食料が配給制の当時、Rは食料が配給されると計画をせずに使い切ってしまい、近所からわずかの米や小麦をもらってしのいでいましたが、事件当日に遂に食料が尽きてしまったのです。
前日に作った味噌汁は、Kさんが1人で朝飲み干してしまい、子供たちに上げられる物は何もなくなってしまったのでした。
胃腸を病んでいたこともあり日に日にやせ衰えているTさんを見ると、1人居間の炬燵で何をするでもなく座っています。
そんなTさんを「Tの命はどうせ長くないから殺害して潰し、自分の子供に食べさせた方が良い」と考え、自分の子供3人には薪を拾ってくるように言いつけ、外に出したのでした。
10時頃、Tさんと2人だけになったRは、座っていたTさんを立たせ、戸棚の仕切り板に首を押し当てて後ろから両手で押さえつけたのです。
20分間もの間手を放さずに、Tさんを窒息で絶命させたRは遺体を布団に寝かせました。
【実話】群馬人肉鍋事件の全てがヤバ過ぎた…!戦後日本の貧困時代の恐怖
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殺害後の状況
Rは包丁と鋸を使って、布団に寝かせたTさんの解体に取り掛かりました。
頭と手足を身体から切り離し、臓物を取り出して、胴体を上下2分にしたのです。
切り離した足首と頭は庭先に埋めて、手足、胸、臓物を鍋に入れ、囲炉裏にかけて煮込んだのでした。
薪取りから帰宅した子供たちには、ヤギの肉だと偽って3日間に渡って食べさせたのです。
その後いつも家に居たTさんの姿を見かけなくなり、調査に来た巡査に「前橋に行った」などごまかしたので不審に思った巡査が、任意出頭を求めるとRはTさんを殺害し食べたことを自供したのでした。
Rは精神薄弱が認められましたが、懲役15年の実刑判決を受けています。
頭と手足を身体から切り離し、臓物を取り出して、胴体を上下2分にしたのです。
切り離した足首と頭は庭先に埋めて、手足、胸、臓物を鍋に入れ、囲炉裏にかけて煮込んだのでした。
薪取りから帰宅した子供たちには、ヤギの肉だと偽って3日間に渡って食べさせたのです。
その後いつも家に居たTさんの姿を見かけなくなり、調査に来た巡査に「前橋に行った」などごまかしたので不審に思った巡査が、任意出頭を求めるとRはTさんを殺害し食べたことを自供したのでした。
Rは精神薄弱が認められましたが、懲役15年の実刑判決を受けています。
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連れ子を殺して、鍋にするという事件に人々は驚きましたが、食料に窮した時代であったため、同情する声も少なくなかったようです。
家族全員飢え死にか?連れ子を殺すか?
の究極の2択になってしまったのでしょう。
この事件をモデルとして松本清張は「ミステリーの系譜」という小説の中で「肉鍋を食う女」として執筆をしています。
自分だけだったら、殺して食べようとは思わなかったかもしれませんが、お腹を空かせた子供たちに食べさせたいという動機は涙を誘います。
ただ生前から継母に冷たくあたられ、栄養失調で家の前にいつも座り、たった17歳で殺害されてしまったTさんの末路を思うと、一番かわいそうなのはTさんだと思いますね。
家族全員飢え死にか?連れ子を殺すか?
の究極の2択になってしまったのでしょう。
この事件をモデルとして松本清張は「ミステリーの系譜」という小説の中で「肉鍋を食う女」として執筆をしています。
自分だけだったら、殺して食べようとは思わなかったかもしれませんが、お腹を空かせた子供たちに食べさせたいという動機は涙を誘います。
ただ生前から継母に冷たくあたられ、栄養失調で家の前にいつも座り、たった17歳で殺害されてしまったTさんの末路を思うと、一番かわいそうなのはTさんだと思いますね。
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すみれ 2022/4/27 18:16
この動画諸説有って真の真相(?)は良く分かりませんけど調べたら私がまだ見ていない動画も有ったので見たいです!
すみれ 2022/4/5 15:37
この事件の動画色々見た事有ります!きっとまだまだ出て来るんですよね、、、