日活SMポルノ三代目の女王・高倉美貴さん
高倉美貴さんの経歴
卒業後は大学に進まず、洋服デザイナーになるため、上京して表参道のブティックに勤務されました。しかし、東京での生活では、その美しい容姿・スタイルからスカウトに声をかけられ、『越沢美紀』の芸名でグラビアモデルをしていた時期があります。
1983年、日活ポルノ・SM映画シリーズの原作者として名を馳せていた団鬼六さんからのアプローチを受け、ポルノ映画の女優としてデビューすることになりました。SM女王として、初代・谷ナオミ、二代目・麻吹淳子に続く三代目というキャッチフレーズで売り出されることになります。
すると、彼女の美しい容姿から週刊誌・グラビアなどメディアで連日のように取り上げられるようになり、日活ロマンポルノを代表する看板女優として成長していきました。契約期間の終了に伴ない、ポルノ作品から引退。
その後は、テレビドラマや一般映画に出演するようになります。日本アカデミー賞の授賞式には、武田鉄矢とともに司会として抜擢されました。芸能活動は順調かのように思われましたが、主役を射止めることはできずに脇役・端役を演じるばかり。1993年には大胆にもヘアヌード写真集を発売しましたが、こちらでも世間からの注目を集めるといったところまでは至っていません。
1995年にドラマでの共演を機に、タレントの原田伸郎さんと親密な関係となり、そのまま結婚して芸能界から引退されました。以降は一切の芸能活動を止めており、原田伸郎さんの妻として夫婦で共演することはあっても、高倉美貴さんが単独で出演される機会はないようです。
高倉美貴さんのエピソード
高校時代は映画研究愛好会に所属
卒業後はファッション関係を目指すようになりますが、この頃から、芸能界への憧れというような気持ちはあったのかもしれませんね。
日活ロマンポルノからの熱心なアプローチ
さらに団鬼六さんの友人で、映画界の巨匠で知られる大島渚さんも、説得に加わったというから驚きです。こういった経緯があって、高倉美貴さんや母親も折れるかたちでポルノ作品に出演することになったみたいですよ。
日活ロマンポルノの契約延長
団鬼六さんがどれだけ彼女のことを気に入っていたのか、これらのエピソードから、ひしひしと伝わってきますよね。
高倉美貴さんの主な代表作
内容&あらすじ
「お願い!行かせて…トイレに…」 羞恥心をも越える”肉体の限界”。じっとりと汗ばんだ柔肌は、いま最後の痙攣を…
冷えきった夫婦関係――夫を愛せない妻と妻を玩具のようにしか扱わない夫。ふとしたきっかけで年下の男と恋に堕ちた人妻を待ちうける淫靡な罠。SM界のオリビア・ハッセーと呼ばれた高倉美貴も、ついにその芳醇な肉体をあますところなく開花する。フェラチオ、剃毛、浣腸責め、亀甲股縛り、SMレズ……羞恥をかなぐり捨てて挑戦した。
内容&あらすじ
時は昭和初期―男も女もみな自由奔放だった頃。熱々の仲の浪曲師順之助と芸者小染はひょんなことからアメリカへ渡る。世はまさに禁酒法下。2人はシスコの日本人ボス、ガン鉄を巻きこんで、密造酒をめぐり、夜の大統領アル・カポネと対峙するが……。
(旧姓:越沢)
別名 :越沢 美紀
高倉 美紀
生年月日:1960年12月14日
出生地 :石川県金沢市
職業 :女優