突然ですが、「筋肉タレント」というと誰を思い浮かべるでしょうか?
なかやまきんにくん?武井壮?オードリー春日?金髪にしてからの松本人志?さまざまな意見があげられることでしょう。そんな多士済済な「筋肉タレント」の元祖というべき存在が、本稿で紹介するその名もズバリな『元祖ムキムキマン』です。
なかやまきんにくん?武井壮?オードリー春日?金髪にしてからの松本人志?さまざまな意見があげられることでしょう。そんな多士済済な「筋肉タレント」の元祖というべき存在が、本稿で紹介するその名もズバリな『元祖ムキムキマン』です。
もともとはボディビルダーだったムキムキマン
元祖ムキムキマンこと本名:対馬誠二(つしま せいじ)氏は、1944年青森県生まれの現在73歳。彼は単なる筋トレ好きの芸能人などではなく、故・マッスル北村、ハリウッドスターのアーノルド・シュワルツェネッガー同様、もともとの出自がボディビルダー。テレビ映りが良くなるから、SNS映えするから、女にモテるからなどといった理由で、ファッション感覚的に鍛えている軟弱タレントたちとは、そもそもの志が違うのです。
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60年代~70年代は、日本初のボディビルダンサーとして活躍
1960年代。地元青森から集団就職によってはるばる東京へとやってきたムキムキマンは、ボディビルダーとして日々鍛錬にいそしんだ結果、日本初のボディビルダンサーとして、日本劇場で活躍するようになります。当時の日劇といえば、1953年と1960年に紅白歌合戦の会場にも選ばれた娯楽の殿堂。そんな聖なる舞台に足を踏み入れられたのは、彼が単なるマッチョマンではなかったからです。日本人離れしたホリの深い目鼻立ちをした、いかにも舞台映えするイケメンだったことも、登用された理由の一つだったのでしょう。現に彼はその美貌から当時の「ミスター東京」にも輝いています。
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1977年からテレ朝のバラエティ番組『出没!!おもしろMAP』に出演
東京でダンサー兼ボディビルダーとして活動を続けていた転機がムキムキマンに訪れたのは、1977年のこと。彼の舞台を見ていたテレビ朝日『出没!!おもしろMAP』の担当者にスカウトされたのです。フォークデュオ・あのねのねの清水國明とその妻・清水クーコがMCをつとめていた同番組において、ムキムキマンは古代ローマ戦士のような格好で登場。ムキムキマンがムキムキマンになった瞬間でした。
出没! ! おもしろMAP オープニング
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ムキムキマンがブレイクするきっかけとなったのは、森永からかつて販売されていたお菓子「カリンチョ」のテレビCMです。ここで彼は『ムキムキマンのエンゼル体操』なるパフォーマンスを披露。これが子供たちの間で大いにウケたのです。
ムキムキマンのエンゼル体操
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かたせ梨乃が歌唱を、佐野元春が演奏をつとめた『ムキムキマンのエンゼル体操』
もともと「カリンチョ」とのタイアップで企画されたこの曲は、1978年、CMが放送されると瞬く間に評判を呼び、すぐさまビクター音楽産業(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)よりレコード化。売上的にはオリコンシングルチャートは最高56位とあまりふるいませんでしたが、楽曲制作にかかわった人たちを今見るとかなり豪華。
まず、歌唱担当が当時芸能界デビューしたばかりのかたせ梨乃。彼女は、B面曲『わたしのムキムキマン』の作詞も担当するという、ムキムキマンと個人的にのっぴきならないつながりがあるのではないかと勘繰ってしまうほどに、楽曲作りに貢献しています。「口上」は『出没!!おもしろMAP』の清水国明&清水クーコ夫妻がつとめており、バックバンドには当時まだ立教大学の学生だった佐野元春もいたというから驚きです。
まず、歌唱担当が当時芸能界デビューしたばかりのかたせ梨乃。彼女は、B面曲『わたしのムキムキマン』の作詞も担当するという、ムキムキマンと個人的にのっぴきならないつながりがあるのではないかと勘繰ってしまうほどに、楽曲作りに貢献しています。「口上」は『出没!!おもしろMAP』の清水国明&清水クーコ夫妻がつとめており、バックバンドには当時まだ立教大学の学生だった佐野元春もいたというから驚きです。
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この『エンゼル体操』によってムキムキマンは、漫画雑誌『冒険王』(秋田書店)でギャグ漫画になったり、まったく似てないおもちゃが発売されたりと一大旋風を巻き起こしました。
しかし、肉体美と顔が少々二枚目だったこと以外に大して取り得がなかったため、ブームはすぐに沈静化。その後、芸能活動をほそぼそと続ける傍らで、サイドビジネスにも着手。スナックバーや雀荘の経営に乗り出し、さらには、『ムキムキマンの館』なるホストクラブまで経営。一時は軌道に乗るも、やはり、経営に関しては素人だったために借金を重ね、2002年、58歳の時にはついに自己破産。失意の中、彼は東京を後にし、故郷である青森へ帰っていったのでした。
しかし、肉体美と顔が少々二枚目だったこと以外に大して取り得がなかったため、ブームはすぐに沈静化。その後、芸能活動をほそぼそと続ける傍らで、サイドビジネスにも着手。スナックバーや雀荘の経営に乗り出し、さらには、『ムキムキマンの館』なるホストクラブまで経営。一時は軌道に乗るも、やはり、経営に関しては素人だったために借金を重ね、2002年、58歳の時にはついに自己破産。失意の中、彼は東京を後にし、故郷である青森へ帰っていったのでした。
けれども、ムキムキマンはへこたれません。青森の地でもたぐいまれなるバイタリティを発揮し、なんと今度は政治の世界へ足を踏み入れるべく、青森町議会選挙に出馬したのです。が、これもうまくいかず落選。70歳を超えた現在は、さすがに腰を落ち着けたようで、農家を営み、安穏とした日々を送っているとのこと。もちろん、毎日の筋トレは欠かさず行っているそうです。
ムキムキマン
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