日活ロマンポルノ初代SMの女王・谷ナオミさん
谷ナオミさんの経歴
福岡県で生まれ育った谷ナオミさんですが、3歳で両親が離婚され、母親は家を出ていってしまいます。そして、5歳のときには父親にも捨てられてしまい、親戚をたらい回しにされるといった生い立ちを持っています。
18歳のときに上京すると、1967年にはピンク映画に出演して女優デビューを果たします。その後もSM映画に出演され、日活ロマンポルノの作品にも出演するようになると、1974年にSM界の巨匠・団鬼六さんが原作の『花と蛇』の主演を務められました。これを機に、団鬼六さんが原作を描いた数々のSM映画にも出演するようになり、世間から『SMの女王』と呼ばれる存在になりました。
1979年には一般男性と結婚して女優業からは引退。以降、熊本にて喫茶店経営などの事業を展開されています。1984年にはスナック『大谷』を開店しましたが、2013年にチーママに店舗を譲るかたちで身を退かれています。
18歳のときに上京すると、1967年にはピンク映画に出演して女優デビューを果たします。その後もSM映画に出演され、日活ロマンポルノの作品にも出演するようになると、1974年にSM界の巨匠・団鬼六さんが原作の『花と蛇』の主演を務められました。これを機に、団鬼六さんが原作を描いた数々のSM映画にも出演するようになり、世間から『SMの女王』と呼ばれる存在になりました。
1979年には一般男性と結婚して女優業からは引退。以降、熊本にて喫茶店経営などの事業を展開されています。1984年にはスナック『大谷』を開店しましたが、2013年にチーママに店舗を譲るかたちで身を退かれています。
谷ナオミさんのエピソード
谷ナオミさんの芸名の由来
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現在まで4回の映画化を実現しており、モノクロの1949年版、カラーで制作された1960年版・1967年版に加え、1980年に公開されたアレンジ版『谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ』といった作品を挙げられます。
この作品を通して、『ナオミズム』という言葉が流行したので、谷ナオミさんも影響を受けていたのかもしれませんね。
この作品を通して、『ナオミズム』という言葉が流行したので、谷ナオミさんも影響を受けていたのかもしれませんね。
団鬼六さんとはプライベートでも親密な関係
団鬼六さんは2011年5月にお亡くなりになっていますが、その告別式では、谷ナオミさんが弔辞を読んでおられます。女優業を引退された1979年以降も、お二人の親密な関係は続いていたのかもしれません。
無粋かもしれませんが、あんなこと、こんなこと、人妻としていけないことを色々と想像してしまいます。
無粋かもしれませんが、あんなこと、こんなこと、人妻としていけないことを色々と想像してしまいます。
芸能界引退後はSMサークルを主催
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女優としてSMポルノで活躍した彼女の絡みは、すでに演技ではなくなっており、彼女自身の性癖になってしまったようです。さらに驚きなのは、SMプレイで谷ナオミさんが調教される様子は深夜番組で放送されていたこともあるみたい。現在の地上波放送では絶対にありえないことでビックリしてしまいます。
谷ナオミさんの代表作
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内容&あらすじ
豊満な乳房が歓喜にふるえる荒縄縛り! 苦痛から快感へ―― 被虐にのたうつ人妻のうめきが マゾの世界へとあなたを誘う…… 【解説】(公開当時のプレス資料より) 日活がロマン・ポルノを製作して二年半余、初の本格的サド・マゾ作品で、アブノーマルSEXを描かせては第一人者である流行作家団鬼六の原作「花と蛇」を映画化したものである。 女主人公には、特に出演を乞われてベテラン谷ナオミが主演、アブノーマルSEXが醸し出す妖しい雰囲気と迫力が観客を異様な興奮に誘い込む話題作である。
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生年月日:1948年10月20日
出生地 :福岡県福岡市
活動期間:1967~1979年