激戦となるヨーロッパからサッカーワールドカップに8回出場しているポーランド代表
中央ヨーロッパに位置する共和制国家・ポーランド。人口は約3800万人。
バレーボールが最も人気のあるスポーツですが、2012年にはウクライナと共催で「UEFA欧州選手権2012」するなど、サッカーの人気も非常に高く、ワールドカップにはこれまで8回もの出場を誇っています。
バレーボールが最も人気のあるスポーツですが、2012年にはウクライナと共催で「UEFA欧州選手権2012」するなど、サッカーの人気も非常に高く、ワールドカップにはこれまで8回もの出場を誇っています。
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近年ではポーランド代表のエースであるレヴァンドフスキが、ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘンでポイントゲッターとして大活躍し、2018年のサッカーワールドカップで日本代表と対戦するなど、メディアで目にする機会が増えています。
2018年ロシア大会が12年振りの出場となりますが、毎回激戦区となるヨーロッパ予選を、今回8勝1分け1敗の1位で通過した強豪国のひとつです。
2018年ロシア大会が12年振りの出場となりますが、毎回激戦区となるヨーロッパ予選を、今回8勝1分け1敗の1位で通過した強豪国のひとつです。
サッカーポーランド代表の1974年西ドイツ大会での快進撃
ポーランド代表のワールドカップ初出場は、1938年フランス大会でした。
そこから次の出場までは36年もの時間が掛かりますが、1972年ミュンヘンオリンピックでハンガリーを決勝で下し、見事金メダルに輝きます。そのメンバーを中心にしたチームは1974年西ドイツ大会の出場権を獲得しました。
そこから次の出場までは36年もの時間が掛かりますが、1972年ミュンヘンオリンピックでハンガリーを決勝で下し、見事金メダルに輝きます。そのメンバーを中心にしたチームは1974年西ドイツ大会の出場権を獲得しました。
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そして、久々の同大会では、アルゼンチンやイタリア、ブラジルを破るなど快進撃を見せます。7戦して6勝と力強さをみせ、そのスピード感のある攻撃サッカーは高い評価を受けました。皇帝と呼ばれたベッケンバウアー擁する西ドイツ戦では、0-1で惜しくも敗れはしましたが、ポーランドのサッカーを十二分に披露しました。
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特筆すべきは7得点を挙げ、得点王を獲得したラトーの大活躍ではないでしょうか。アルゼンチン戦での2得点を皮切りに、ハイチやスウェーデン、ユーゴスラビアを相手に得点を重ねていきます。
さらに3位決定戦のブラジル戦でも決勝点を決めるなど、勝負強さを見せました。
さらに3位決定戦のブラジル戦でも決勝点を決めるなど、勝負強さを見せました。
ワールドカップでは1986年メキシコ大会まで連続出場し、ポーランド代表の黄金期に!
ポーランドは1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会、1986年メキシコ大会まで連続出場を果たします。
1978年アルゼンチン大会では、前回大会に引き続いてラトーが得点を挙げ、2次リーグに進出。しかし、前回大会で勝利したアルゼンチンとブラジルに敗戦し、ベスト8で姿を消しました。
その4年後の1982年スペイン大会では、1次、2次リーグを1位で通過し、準決勝のイタリア戦で0-2で敗れるも、3位決定戦でフランスに3-2で打ち勝ち、またも3位に輝きました。
また、同大会では、その後セリエA・ユベントスで活躍する事になるFWのボニエクがMVP投票で4位に入っています。
1978年アルゼンチン大会では、前回大会に引き続いてラトーが得点を挙げ、2次リーグに進出。しかし、前回大会で勝利したアルゼンチンとブラジルに敗戦し、ベスト8で姿を消しました。
その4年後の1982年スペイン大会では、1次、2次リーグを1位で通過し、準決勝のイタリア戦で0-2で敗れるも、3位決定戦でフランスに3-2で打ち勝ち、またも3位に輝きました。
また、同大会では、その後セリエA・ユベントスで活躍する事になるFWのボニエクがMVP投票で4位に入っています。
そして、「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と称された1986年メキシコ大会にも出場。強豪であるイングランドとポルトガルが同居するグループを突破し、決勝トーナメントまで進出します。しかし、またも対戦したブラジルに0-4で敗戦しています。
以降、世界のひのき舞台から遠ざかり、2002年の日韓大会まで16年もの時間を擁する事になりました。
以降、世界のひのき舞台から遠ざかり、2002年の日韓大会まで16年もの時間を擁する事になりました。
レヴァンドフスキをも凌駕する!?ポーランドを代表するストライカー達
《ヴォジミエシュ・ルバンスキ》
16歳6ヶ月でポーランド代表に史上最年少で選出され、”ポーランド史上最高のサッカー選手”と言われたストライカーであるルバンスキは、1974年西ドイツ大会を怪我の影響で棒に振ってしまいます。1978年アルゼンチン大会になんとか出場しますが、不調により大会期間中にレギュラーの座を失っています。
1980年に代表を退くまで、75試合で48得点を記録。レヴァンドフスキに抜かれるまで代表最多得点記録を保持していました。
1980年に代表を退くまで、75試合で48得点を記録。レヴァンドフスキに抜かれるまで代表最多得点記録を保持していました。
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