2019年11月25日 更新
テレビ東京が開局55周年特別企画として「バカヤロー総理 吉田茂」を放送!そもそも「バカヤロー解散」って何だ?
テレビ東京の開局55周年を記念し、特別企画としてスペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」が2020年に放送されることが明らかとなりました。
テレビ東京が開局55周年!特別企画「バカヤロー総理 吉田茂」が放送決定!!
テレビ東京の開局55周年を記念し、特別企画としてスペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」が2020年に放送されることが明らかとなりました。主人公の吉田茂を笑福亭鶴瓶が、吉田の腹心として活躍した白洲次郎を生田斗真が演じることが決定しています。
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1940年代から1950年代にかけて、終戦直後の日本の復興に尽力した吉田茂。このたび放送が決定したドラマでは、吉田の娘・麻生和子の「父 吉田茂」を原案に、敗戦により連合国軍に占領された日本を、独立に向けて尽力する吉田の姿を描きます。いかにして日本は戦後の復興を成し遂げたのか?ミドルエッジ世代が教科書でしか知らない、終戦直後の日本の歴史がドラマとなって鮮やかに蘇ります。
名前は聞いたことがあるけど…「バカヤロー解散」とは?
ドラマのタイトルに“バカヤロー総理”とあるように、吉田茂を語る上で外せないのが「バカヤロー解散」です。その名前を聞いたことのある人は多いでしょうが、実際にどのような内容なのかは、知らない人も多いかと思います。ここでは「バカヤロー解散」の詳細について、軽くご説明したいと思います。
バカヤロー解散が発生したのは、1953年3月のこと。事の発端は、2月の衆議院予算委員会にて吉田が社会党の西村栄一に対し「バカヤロー」と“小声で”発言したことです。これをマイクが拾ってしまい、騒動となりました。直後に吉田は発言を取り消したものの、総理の発言として不適切であると問題視されたことから懲罰委員会が開かれ、さらに内閣不信任決議案が与党の反吉田派の賛成で可決。吉田は衆議院の解散に追い込まれ、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることとなりました。
選挙の結果、与党は過半数を大きく割り込む200議席程度に留まり、一方で革新勢力が議席を伸ばす結果に。しかしながら、吉田は野党の足並みの乱れを巧みに突くことで、改進党の保守連携派の取り込みに成功。引き続き総理大臣の椅子を維持することに成功しました(第5次吉田内閣)。次は「バカヤロー解散」以外の昭和の印象的な解散をいくつかご紹介します。
バカヤロー解散だけじゃない!昭和の印象的な「解散」!!
ハプニング解散
まずご紹介するのは1980年5月に発生した「ハプニング解散」。6月22日に行われる参院選を目前に控え、野党の社会党が提出した内閣不信任決議案を粛々と否決する流れと思われていたところ、自民党の反主流派が採決で大量欠席、その結果不信任決議案はまさかの可決となりました。その結果、衆議院は解散され、選挙は憲政史上初の衆参同日選挙に。そして6月12日に大平正芳が急死するという事態が発生、選挙は弔い合戦の様相を呈し、自民党は大勝しました。
死んだふり解散
1986年6月2日に発生した「死んだふり解散」。当時“一票の格差”に対し違憲判決が出ており、その影響から解散を断念したと思われていた中曽根康弘首相が、急遽6月2日に臨時国会を召集。そこで速やかに解散し、衆参同時選挙を断行しました。当時は内閣支持率が高い状態だったこともあり、衆参ともに自民党が圧勝する結果となりました。
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