初の甲子園で見せつけた「怪物」ぶり
高校三年生の春、初めて出場した甲子園で、江川選手は快投を見せつけて勝ち進みます。ベスト4で対戦したのは名門・広島商業。広島商業の選手はバッターボックス内でホームベース寄りに立って、江川選手に内角の球を投げづらくさせるとともに、バットを短く持ち、外角低めの球をカットして、投球数を増やす作戦を取ります。更に広島商業は、8回裏2死1・2塁からダブルスチールを敢行。これが小倉捕手の悪送球を誘い、2塁走者がホームを踏みます。結局「広商野球」の代名詞である「足」でかく乱して、もぎ取ったこの1点が決勝点となったのです。
優勝はならなかったものの、江川選手はこの選抜大会で通算60奪三振を奪い、1930年(昭和5年)の選抜優勝を果たした第一神港商・岸本正治選手の作った54奪三振の従来記録を43年ぶりに塗り替えます。(この大会通算60奪三振は現在も選抜大会記録)。
怪物・江川卓とチームメイトとの関係
少し話は遡ります。江川卓選手は高校1年生からチームの主戦投手として活躍。準々決勝の対烏山戦では、中学を卒業してわずか4か月の投手が、栃木県高校野球史上初の快挙となる完全試合を達成するなど、江川卓選手の名は早くから高校球界で知れ渡っていました。
ただ、地方大会で度々ノーヒットノーランや完全試合を達成するなど、驚異的な投球を見せつけていた「怪物・江川卓」を擁しつつも、作新学園は中々甲子園に出場することができませんでした。
ただ、地方大会で度々ノーヒットノーランや完全試合を達成するなど、驚異的な投球を見せつけていた「怪物・江川卓」を擁しつつも、作新学園は中々甲子園に出場することができませんでした。
打線の援護がなく敗れると、チームメイトや監督の采配に対して批判が起こったり、また打線が爆発して勝利した試合でも、取り上げられるのは江川選手の快投ぶりばかり…。という事が続き、江川選手は次第にチームから浮いた存在になっていったのですが、前述した様に選抜大会での江川選手の大活躍によって、その溝はさらに広がっていきました。
江川卓・高校最後の夏
江川選手が高校三年生夏、栃木大会でこれまで以上に怪物ぶりを発揮した投球を見せつけます。江川選手が登板した5試合のうち、2回戦(対真岡工戦)、3回戦(対氏家戦)、決勝(対宇都宮東戦)の3試合でノーヒットノーランを達成。残りの2試合も相手に1安打ずつしか許しておらず、県予選5試合を通じて打たれたヒットはわずかに2本。70奪三振で失点は0。練習試合を含めると、なんと140回無失点という驚異的な成績で、この年の夏の甲子園出場を決めたのです。
作新学院 × 柳川商
via youtu.be
作新学園の初戦の相手は、柳川商業。0対0で迎えた6回表、柳川商は江川選手から1点を先取します。これで、江川選手が続けていた連続イニング無失点は145回でストップ。しかし、作新学園は7回裏、和田選手のタイムリーで1対1の同点に追い付き、試合はそのまま延長戦に突入します。そして、延長15回裏。作新は和田選手のサヨナラ安打が飛び出し、柳川商に勝利します。ですが、この試合で、一人で15回を投げ切ったことにより、江川選手は次戦に向けて疲労を残すことになりました。
打倒・江川に燃えた銚子商
作新学園の2回戦の対戦相手は、1回戦を延長12回の末、岡山東商を1-0で破った銚子商業に決まります。この銚子商業には「打倒・江川」に燃えるわけがありました。1972年秋の関東大会の準決勝で、銚子商業は作新学園と対戦。江川選手に20奪三振を奪われ、ノーヒットノーランを逃れるのがやっとという、大敗を喫していました。
以降、銚子商業は「打倒・江川」を目指して猛練習を続けます。更にその後、銚子商業は作新学園に練習試合を2度申し込み、両試合とも敗れたものの、江川選手の球に目を慣らしていったのです。当時、日本中の高校が「打倒・江川」を目指していたのですが、銚子商業ほど対策を練り、しかも実際に対戦を繰り返していた高校はなかったと言えるのです。そして、銚子商業は、いよいよ江川選手を倒すべく、2回戦で対戦することになりました。
以降、銚子商業は「打倒・江川」を目指して猛練習を続けます。更にその後、銚子商業は作新学園に練習試合を2度申し込み、両試合とも敗れたものの、江川選手の球に目を慣らしていったのです。当時、日本中の高校が「打倒・江川」を目指していたのですが、銚子商業ほど対策を練り、しかも実際に対戦を繰り返していた高校はなかったと言えるのです。そして、銚子商業は、いよいよ江川選手を倒すべく、2回戦で対戦することになりました。
銚子商vs作新学院
当時の銚子商業の選手が作新学園・江川投手について語っています。
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銚子商業の江川選手対策は、カーブ、ストレート両方とも超高校級の江川選手のカーブを捨て、外角のストレート一本に的を絞ることでした。それでも、江川選手からは中々点を奪えません。7回裏、1アウト2・3塁のビンチにも、江川選手は7番打者をストレートで押してサードフライ。続く打者もストレートで空振り三振に切って取ります。ですが、一方の銚子商業の2年生投手、土屋選手も作新学園に1点も与えず、試合は0対0のまま延長に突入します。そして延長に入る頃、試合の中盤から降り出した雨は強さを増していきました。雨は両軍ともに同条件なのですが、銚子商業の選手たちは、この雨を「恵みの雨」と捉えていました。それは「江川は雨に弱い」という認識が銚子商業の選手達にはあったのです。
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10回の裏、1死1・3塁という大ピンチを迎えた江川選手はスクイズを見抜き、3塁ランナーを封殺。更に2アウト1・2塁という場面で、銚子商業の長谷川選手がライト前ヒットを放ち、サヨナラ・・・と思われたところ、ライトが本塁へ矢のような返球球。捕手の好ブロックもあり、このピンチを凌ぎます。
10回裏の危機をなんとか脱した江川選手でしたが、降りしきる雨と1回戦からの疲労が江川選手に襲い掛かります。延長12回裏、銚子商業は雨と疲労で制球が乱れた江川選手から、四球を絡めて1アウト満塁のチャンスを掴みます。この場面で作新学園の選手たちは江川選手のいるマウンドに集まります。そして江川選手は「次、俺の好きな球を投げていいか?」と仲間に相談します。「そんなことよりちゃんとストライクを投げろよ」と言われる事も覚悟していた江川選手でしたが、野手から帰って来たのは「ここまでこれたのはお前のおかげなんだから、お前の気の済むように投げろ」という声に後押しされ、一番自信のあった直球で勝負したのです。
「実録たかされ」より
※「たかされ」とは江川卓選手の著書「たかが江川・されど江川」に由来