日本のソウルフード『お茶漬け』
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もともと『永谷園』は歴史のある『お茶』屋さん
茶宗明神社(ちゃそうみょうじんしゃ)・大神宮社
御祭神は
天照大神:皇祖神のひとつ、太陽の神
豊受媛神:食物・穀物を司る女神
永谷宗円(茶宗明神):「青製煎茶法」を開発・普及させた煎茶の始祖・永谷園で有名な永谷家の先祖
が祀られています。(京都府綴喜郡宇治田原町)
天照大神:皇祖神のひとつ、太陽の神
豊受媛神:食物・穀物を司る女神
永谷宗円(茶宗明神):「青製煎茶法」を開発・普及させた煎茶の始祖・永谷園で有名な永谷家の先祖
が祀られています。(京都府綴喜郡宇治田原町)
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煎茶の製法を発明した永谷宗七郎
永谷園の起源は、江戸時代中期、山城國宇治田原郷字湯屋谷で製茶業を営んでいた永谷宗七郎(後に入道して永谷宗円と名乗る)にさかのぼる。宗七郎は煎茶の製法を発明し、日本茶の歴史に大きな功績を残した人物である。
「もっとおいしいお茶を一般の方にも飲んでもらいたい。そうだ、つくればいいのだ。」
宗七郎は15年もの歳月をかけ、さまざまな研究を重ねた後に今でいう「煎茶」の製法を完成させた。
宗七郎は自ら開発した新製法を独占せず、惜しみなく多くの人に伝授し、青製煎茶は次第に全国の生産地に広がっていった。地元の宇治湯屋谷では「茶宗明神」として祀られている。現在でも茶宗明神には毎年多くの茶業関係者が参拝に訪れている。
(https://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/『永谷園の舞台裏』より引用)
「もっとおいしいお茶を一般の方にも飲んでもらいたい。そうだ、つくればいいのだ。」
宗七郎は15年もの歳月をかけ、さまざまな研究を重ねた後に今でいう「煎茶」の製法を完成させた。
宗七郎は自ら開発した新製法を独占せず、惜しみなく多くの人に伝授し、青製煎茶は次第に全国の生産地に広がっていった。地元の宇治湯屋谷では「茶宗明神」として祀られている。現在でも茶宗明神には毎年多くの茶業関係者が参拝に訪れている。
(https://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/『永谷園の舞台裏』より引用)
青製煎茶
(当時)飲まれていた煎じ茶は、若葉・古葉を残らず摘み取り、灰汁で煮た後、よく絞って粗く揉み、日乾や風乾で仕上げる方法をとっていた。
宗七郎の完成させた製法は、まずその年の新しい葉だけを摘み取り、それを蒸し、その後に指で揉みながらホイロ(乾燥炉)の上で乾燥させ、加熱して酵素の働きを殺すことにより、褐色化が抑えられ、緑色のままの茶葉になったのだ。こうしてできたお茶は、美しい薄緑色をした、芳しい香りとわずかな甘みのあるおいしいお茶だった。特にその色合いがそれまでの煎じ茶に対して印象的であったことから、「青製煎茶」と呼ばれた。(https://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/『永谷園の舞台裏』より引用)
宗七郎の完成させた製法は、まずその年の新しい葉だけを摘み取り、それを蒸し、その後に指で揉みながらホイロ(乾燥炉)の上で乾燥させ、加熱して酵素の働きを殺すことにより、褐色化が抑えられ、緑色のままの茶葉になったのだ。こうしてできたお茶は、美しい薄緑色をした、芳しい香りとわずかな甘みのあるおいしいお茶だった。特にその色合いがそれまでの煎じ茶に対して印象的であったことから、「青製煎茶」と呼ばれた。(https://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/『永谷園の舞台裏』より引用)
永谷園のルーツは緑茶にあり。
永谷宗七郎(宗円)さんのおかげで、私たちはおいしいお茶をいただいているのですね。
なるほど。
おいしいヒット商品を生み出す土壌に、「おいしさ」を大切にする由緒ある家系があるのだと納得がいきました。
永谷宗七郎(宗円)さんのおかげで、私たちはおいしいお茶をいただいているのですね。
なるほど。
おいしいヒット商品を生み出す土壌に、「おいしさ」を大切にする由緒ある家系があるのだと納得がいきました。
「お茶づけ海苔」を作ったきっかけ
それでは話を、『お茶づけ海苔』が誕生する昭和に進めてみましょう。
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1953年に株式会社永谷園本舗を設立した永谷嘉男は、わが国の煎茶の創始者、永谷宗七郎からつながる由緒あるお茶屋の家系である。
彼の父は、9代目「永谷園」の店主を務め、茶業のかたわらさまざまな商品を開発、販売していた。そんな父が開発した中に「海苔茶」というものがあった。これは細かく切った海苔に抹茶や食塩などを加え、お湯を溶いて飲む、いわば海苔を浮かべたお吸いもののようなものであった。戦後、この「海苔茶」に改良を加えたのが「お茶づけ海苔」である。
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ある日、居酒屋で酒を飲んでいた嘉男は、いつものように仕上げにお茶漬けを頼んだ。「おいしいなあ。こんなお茶漬けを家でも食べられたらいいのに」そう思った嘉男の脳裏に、父が作った海苔茶が甦った。
「そうだ。なにもお茶から離れる必要はない。海苔茶をご飯にかけたら、おいしいお茶漬けができるんじゃないか」。
この発想がすべての始まりだった。嘉男は、一気呵成に即席茶漬けの開発に乗り出した。
原料は、塩、砂糖、抹茶、昆布粉、刻み海苔、調味料。それらの種類を吟味し、配合を研究する。基本的な部分は上手くいったが、何か一つ足りなかった。ヒントは京都にあった。もともと京都には、カリカリとした小粒あられが散りばめられた「ぶぶ茶漬け」や、おかきを入れた「かきもち茶漬け」を食べる習慣がある。「あられを入れたら香ばしい風味もプラスできる」そう考えた嘉男は、早速あられを海苔茶づけに取り入れた。このあられを入れるというアイデアは、思わぬ効果もあった。あられに吸湿性があり、海苔が湿気るという問題も解消していたのだ。
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パッケージは歌舞伎の定式幕から
『お茶づけ海苔』のパッケージは、歌舞伎好きだった両親のために、永谷さん自身がデザインされました。また、高札に書かれた「お茶づけ海苔」の江戸文字も、ご自分で書いたそうです。
この鮮やかなパッケージは、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを消費者に与え、長年のヒットの要因のひとつとなりました。
この鮮やかなパッケージは、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを消費者に与え、長年のヒットの要因のひとつとなりました。
昔からある日本の「ファストフード」あるいは「ソウルフード」お茶漬け。
どんな時、召し上がりますか?
時間がない時、食欲がない時、お金がない時。
大いに助かりますね。
お酒を飲んだ後の〆に。小腹がすいた時に。
疲れて何も作りたくない時に。
なんかほっとします。