1995年、Windows95発売、NTTが「テレホーダイ」開始。
Windows95の登場で、一般家庭にパソコンとインターネットが普及
1995年(平成7年)に華々しく登場した、Windows95
— ちゃあるず (@sawayaka1966) March 3, 2017
これをきっかけにパソコンが一気に普及し、
インターネットの世界が我々の生活を大きく変えました。
あれから早くも22年、
でもたった20年余りで大きく歴史が動いたような気がします。 pic.twitter.com/vcqyOp2Eoc
また、同じ1995年、NTTが「テレホーダイ」サービスを開始。今でこそ通信料金の定額制は当たり前ですが、当時のダイヤルアップ接続は、従量課金制で、インターネットを頻繁に使うと電話代が数万円になっていましたが、深夜限定ながらはじめて定額制料金を導入し、インターネットの普及に拍車をかけました。
1995年には「インターネット」1999年には「iモード」が流行語大賞のトップテン入賞、2000年には「IT革命」が流行語年間大賞を獲得するなど、社会に浸透していきました。
最初に開くのは「Yahoo」「Lycos」「infoseek」
その昔、Yahoo!が検索エンジンとしてブイブイしてた黎明期「Yahoo!カテゴリー」というのがあってね
— まいのこ💛デザインと心理研究 (@CreamyMainoko) June 9, 2017
お金払って審査通ったサイトはカテゴリー別に載せてくれる機能だったんだけど、サイトの数が少ない時代は非常に便利でした#インターネット老人会 pic.twitter.com/qj53RhcbNW
当時はGoogleはまだ存在せず、「Yahoo」「Lycos」「Excite」「infoseek」といった多様な検索サイトがありました。
また、主流だった「Yahoo」では、政府や企業の公式サイトを探すときや信頼できる情報を得たい時は、検索ワードを打ち込むのではなく、「Yahooカテゴリ」を使いました。
図書館のようにカテゴリー、サブカテゴリーを選んで自分でサイトを見つける方式の「Yahooカテゴリ」は、「登録するのに審査が必要なので安全」とされ、当時の個人サイト管理人は「Yahooカテゴリ」の審査に通ることを目標としていました。
現在のように、ホームページを公開して放っておくだけで自動的に検索エンジンに登録される、ロボット型の検索エンジンが当たり前になったのは2000年以降で、当時は検索エンジンは登録制だったのです。
一人一人が自分のホームページを持っていた時代
長文を書く時もブログサービスなどを利用するのが主流ですが、
当時はSNSがないので、一人一人が自分のホームページを持って交流していました。
個人サイト独特の文化
まず、ネットの利用者数が少なかったため、「アクセスカウンター」という、そのホームページの累計閲覧者数を表示する項目をトップページにつけることが多くありました。
アクセスカウンターが10000を突破しました\(°∀° )/ pic.twitter.com/C9rksA6sY2
— 通潤酒造【公式】🍶6/17は"父の日"🍶 (@tuzyunsakagura) April 1, 2018
「キリ番」の訪問者のハンドルネームを掲載する文化がありました。
しかし、その「キリ番」はあくまで申告制で、本人が名乗り出なければわかりません。
たとえば111、333、444番目の訪問者が掲載されているのに222番目の訪問者が掲載されていない
といった事態を防ぐため、キリ番を踏んだら必ず報告するように、「キリ番踏み逃げ禁止」というルールがありました。
ちなみに報告は、「ゲストブック」といわれる簡易掲示板を管理人がホームページに設置しており、そこで行われました。
検索エンジンが未発達だったため友達のホームページやお気に入りのホームページを紹介する「リンク」という項目があり、友達同士で「リンク」に載せ合う「相互リンク」は、今でいう「相互フォロー」のような感覚でした。
個人サイトの主なコンテンツはホームページの管理人が自分の日記や自分の興味のあることに関する感想、考察を書いていく形でした。
ですが、個人サイトの管理人は非常に多くのコンテンツをつくろうと大風呂敷を広げ、たくさんの見出しを作ることが多くありました。
そして、見出しだけ作って中身を作れていないコンテンツには「工事中」と表示していました。どこをクリックしても「工事中」ばかりのホームページ、見た覚えありませんか。
テキストサイトの隆盛
色文字や大文字を巧みに使う、文章中心のシンプルな内容、かつ真面目な考察や知識ではなく、
ギャグやジョークであったり、社会風刺、自分の体験談を盛って話すといったユーモアを主題とした、
今でいうならツイッターでバズるツイートのようなものを長文でやっているようなものです。
「侍魂」「Not found」「探偵ファイル」といったサイトを何度も読み返していた方は多いのではないでしょうか。
なっつかし…
— 天理教布教師 森田 幸文 (@koe_ha_koe) February 13, 2018
ちゆ12歳とか侍魂とか
当時はテキストサイトが全盛だった…
先行者とかね…#侍魂 #ちゆ12歳 #テキストサイト#インターネット老人会 pic.twitter.com/YQpVCLOh5Q
「バーチャルネットアイドル ちゆ12歳」バーチャルYouTuberにhttps://t.co/7LkI2AfwBU
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) February 14, 2018
2000年代初頭、テキストサイトブームをけん引した人気サイトの1つ「バーチャルネットアイドル ちゆ12歳」が2018年、バーチャルYouTuberになって帰ってきた。まさかのYouTuber化に、古参のネットユーザーは騒然。 pic.twitter.com/o10XKaeA3y
「フリーソフト」文化
当時もフリーソフトと言われる文化が盛んで、まだまだ不便だった時代だからこそ
個人開発者たちが作ったフリーソフトをパソコンにたくさん追加するユーザーが多くいました。
また、現在はゲームアプリに高額の課金をする事が珍しくなくなり、ゲームでないアプリでも
広告を消すのに課金が必要、といったビジネスモデルが多く、企業による開発が主流ですが
当時はネット上の決済手段が少なく、アプリに課金をする文化がなかったため
ネット上で公開されるソフトは「フリーソフト」と呼ばれる個人で開発された無料のものが主流でした。一方で、パソコンの使い方を解説した商業雑誌が、こうした無料で公開されているフリーソフトを収録したCDを付録にして販売する例もありました。