ジェネレーションギャップ!今の学校では「あだ名」が禁止!?
via pixabay.com
読者の皆さんはこんなニュースを知っているでしょうか?
昔は当たり前だった「あだ名」を学校が禁止したことを、小学生の子供をもつ親がSNSで投稿して賛否両論を巻き起こしたというニュースです。
例えば永吉くんなら、永ちゃんや永きっちゃん。
また苗字が同じ芸能人や有名人をもじって、田中さんならカクウェイなど。
親しみを込めて「あだ名」をつけるのは私たち世代にとっては「当たり前の光景」でした。
しかし、現在は「呼び名」を意図的に変えることは「イジメを助長しかねない」という考え方の元、一部の学校では生徒全員に対して「あだ名禁止」を推進しているようです。
ちなみに生徒同士の呼び方は、「苗字+さん」で統一だとか。
なんとも世知辛い世の中になったものですが、教育方針や生活水準が変化していく中で、私たちにとって「当たり前」な学校風景が昨今どんどん姿を消していっているのです。
今回は、そんなジェネレーションギャップを感じさせる「消えてしまった学校の風物詩」をいくつか紹介していきます。
お子様がすでに成人している方や、まだ学校に進学していない方などは「今の世代の学校」を知るために、この記事が少しでも役立ってくれたら嬉しいです。
昔は当たり前だった「あだ名」を学校が禁止したことを、小学生の子供をもつ親がSNSで投稿して賛否両論を巻き起こしたというニュースです。
例えば永吉くんなら、永ちゃんや永きっちゃん。
また苗字が同じ芸能人や有名人をもじって、田中さんならカクウェイなど。
親しみを込めて「あだ名」をつけるのは私たち世代にとっては「当たり前の光景」でした。
しかし、現在は「呼び名」を意図的に変えることは「イジメを助長しかねない」という考え方の元、一部の学校では生徒全員に対して「あだ名禁止」を推進しているようです。
ちなみに生徒同士の呼び方は、「苗字+さん」で統一だとか。
なんとも世知辛い世の中になったものですが、教育方針や生活水準が変化していく中で、私たちにとって「当たり前」な学校風景が昨今どんどん姿を消していっているのです。
今回は、そんなジェネレーションギャップを感じさせる「消えてしまった学校の風物詩」をいくつか紹介していきます。
お子様がすでに成人している方や、まだ学校に進学していない方などは「今の世代の学校」を知るために、この記事が少しでも役立ってくれたら嬉しいです。
ぎょう虫検査はすでに撤廃されている!
ミドルエッジの読者様なら、誰もが経験したであろう「ぎょう虫検査」。
世代や地域によって、検査シートの形状は若干異なるようですが、お尻にペッタンとシールを貼って剥がしたものを学校へ持っていった思い出は「あるある」ですよね。
世代や地域によって、検査シートの形状は若干異なるようですが、お尻にペッタンとシールを貼って剥がしたものを学校へ持っていった思い出は「あるある」ですよね。
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ところが、実は今の子供たちは「ぎょう虫検査?何それおいしいの?」という状態なのはご存じでしょうか。
結論から言うと、2015年を最後に文部科学省の保険安全法施行規則の改正に伴って、ぎょう虫検査は正式に廃止されています。
つまり、2016年以降に小学生となった子どもたちは「ぎょう虫検査の存在自体を知らない」世代だということになります。
そもそも、日本でぎょう虫検査が行われるようになった背景は、戦後の不衛生な環境が原因で寄生虫がまん延していた状況にあります。
戦後間もないころは、子どもたちの実に6割近くがぎょう虫を寄生させていたと言われており、寄生率の把握や推移をみるために学校で義務化されたのです。
しかし、食品管理・下水処理などの技術が発展するにつれて寄生率は低下の一途をたどり、2013年になると小児児童の寄生虫卵保有率は0.2%にも満たないことが明らかになりました。
簡単に言ってしまえば、ぎょう虫に寄生されている可能性を検査する必要性がほとんど無くなってしまったということですね。
その結果、義務として継続するのはナンセンスとなり「学校からぎょう虫検査が消えた」のです。
結論から言うと、2015年を最後に文部科学省の保険安全法施行規則の改正に伴って、ぎょう虫検査は正式に廃止されています。
つまり、2016年以降に小学生となった子どもたちは「ぎょう虫検査の存在自体を知らない」世代だということになります。
そもそも、日本でぎょう虫検査が行われるようになった背景は、戦後の不衛生な環境が原因で寄生虫がまん延していた状況にあります。
戦後間もないころは、子どもたちの実に6割近くがぎょう虫を寄生させていたと言われており、寄生率の把握や推移をみるために学校で義務化されたのです。
しかし、食品管理・下水処理などの技術が発展するにつれて寄生率は低下の一途をたどり、2013年になると小児児童の寄生虫卵保有率は0.2%にも満たないことが明らかになりました。
簡単に言ってしまえば、ぎょう虫に寄生されている可能性を検査する必要性がほとんど無くなってしまったということですね。
その結果、義務として継続するのはナンセンスとなり「学校からぎょう虫検査が消えた」のです。
短足?足が長い?一喜一憂だった「座高測定」も消えた
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学校で身体測定と言えば、「座高」という検査項目がありましたよね?
現在、学校の身体測定では「座高」という項目は消えていて、計測されていません。
「座高」が撤廃されたのも割と最近の話で、2014年に座高測定が正式に廃止となっています。
なぜ、座高を測らなくなったのか?
それを説明するには、そもそもなぜ座高を測ったのか?という部分から説明をしなければなりません。
実は、日本で座高を計測していた理由は「徴兵」が大きく関与していました。
座高を計測し、足が短い(下半身が安定している)と判定された人は兵士としての適性が高い、と考えられていたようです。
つまり、健康状態と「座高」の数値には何の因果関係もなかったということです。
私たちは、戦争を二度と行わないと宣言している日本に生まれながら、知らず知らずのうちに「兵士としての適性」を測っていたということになりますね。
もちろん、座高が健康状態を調べる上でなんの役にも立たない訳ですから、現代社会で廃止されたのも納得ですし、むしろもっと早い段階で廃止できた項目だったのかもしれませんね。
現在、学校の身体測定では「座高」という項目は消えていて、計測されていません。
「座高」が撤廃されたのも割と最近の話で、2014年に座高測定が正式に廃止となっています。
なぜ、座高を測らなくなったのか?
それを説明するには、そもそもなぜ座高を測ったのか?という部分から説明をしなければなりません。
実は、日本で座高を計測していた理由は「徴兵」が大きく関与していました。
座高を計測し、足が短い(下半身が安定している)と判定された人は兵士としての適性が高い、と考えられていたようです。
つまり、健康状態と「座高」の数値には何の因果関係もなかったということです。
私たちは、戦争を二度と行わないと宣言している日本に生まれながら、知らず知らずのうちに「兵士としての適性」を測っていたということになりますね。
もちろん、座高が健康状態を調べる上でなんの役にも立たない訳ですから、現代社会で廃止されたのも納得ですし、むしろもっと早い段階で廃止できた項目だったのかもしれませんね。
プール前の風物詩「腰まで浸かる」は死語
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プールに入る前、手を頭に乗せて腰まで浸かって数十秒過ごす「腰洗い槽」を覚えているでしょうか。
実はこの、いかにも学校あるあるで盛り上がりそうな「腰洗い槽」も現在はほとんど存在しません。
理由を聞くと、腰洗い槽をしる世代としてはガッカリするのですが
意味がなかった
というのが、廃止の理由だそうです。
塩素をたっぷりと入れて、匂いと冷たさに耐えながらキャーキャー言いながら浸かっていた腰洗い槽は、シャワーと同程度の効果しか期待できなかったというのですから、悲しいですよね。
ちなみに、学校のプール施設にろ過装置がついたことも「腰洗い槽」が消えた要因の一つになっています。
現在も腰洗い槽が残っている学校もごくわずかですが存在しているようですが、実際に使用している学校はまず無いと言えるため、腰洗い槽も学校から消えた過去の遺物と言えそうです。
実はこの、いかにも学校あるあるで盛り上がりそうな「腰洗い槽」も現在はほとんど存在しません。
理由を聞くと、腰洗い槽をしる世代としてはガッカリするのですが
意味がなかった
というのが、廃止の理由だそうです。
塩素をたっぷりと入れて、匂いと冷たさに耐えながらキャーキャー言いながら浸かっていた腰洗い槽は、シャワーと同程度の効果しか期待できなかったというのですから、悲しいですよね。
ちなみに、学校のプール施設にろ過装置がついたことも「腰洗い槽」が消えた要因の一つになっています。
現在も腰洗い槽が残っている学校もごくわずかですが存在しているようですが、実際に使用している学校はまず無いと言えるため、腰洗い槽も学校から消えた過去の遺物と言えそうです。
まとめ
他にも学校から今は消えてしまった風物詩はあるのですが、今回はここまでとします。
古き良き時代は、それが子どもたちのためになると信じられていた様々な行事や施設が、科学の発展や新たな情報によって消えてしまうのはある意味仕方がないのかもしれません。
無意味だったという事実を知ってしまえば、それを続ける必要はないと頭では理解していても、私たちにとって「あって当たり前」な学校の風景がどんどん消えていくのは物悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
古き良き時代は、それが子どもたちのためになると信じられていた様々な行事や施設が、科学の発展や新たな情報によって消えてしまうのはある意味仕方がないのかもしれません。
無意味だったという事実を知ってしまえば、それを続ける必要はないと頭では理解していても、私たちにとって「あって当たり前」な学校の風景がどんどん消えていくのは物悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。
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