【小錦八十吉】相撲人生を振り返る
小錦元気かな?🤔 pic.twitter.com/7JeFDvnMxW
— GOD凱旋黄七十六連養分漢。 (@GODyellow7_16) November 15, 2021
小錦八十吉の15年間に渡る相撲人生を振り返ってみました。
高砂部屋入門~幕内力士への歩み
・本名:小錦八十吉(こにしき やそきち)
・生年月日:1963年12月30日生(58歳/2021年11月現在)
・米国籍時代の本名:サレバ・ファウリ・アティサノエ(Saleva'a Fuauli Atisano'e)
・出身地:アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市
・身長:184cm
・体重:153kg
・血液型:AB型
・星座:山羊座
・愛称:サリー、コニちゃん、黒船
小錦八十吉が高砂部屋へ入門するきっかけとなったのは、当時、現役力士であった高見山からの紹介でした。
小錦八十吉は、当時の力士であった高見山関とは入門前から親交があり、憧れの力士でもありました。
入門前の小錦八十吉は、小学生の頃から大変優秀で、水泳、陸上、バスケットボールなど高い運動能力を持っている人物でした。
高見山関がホノルルへやってきたとき、相撲部屋への入門を紹介されました。
小錦八十吉は、家系が貧しいことを理由に、反対していた母親を説得して日本へ出国し、高砂部屋へ入門しました。
同年9月場所は東序ノ口32枚目の番付で7勝0敗で優勝を果たしました。
同年11月場所では番付が西序二段56枚目となり、今場所でも7勝0敗で優勝を果たしました。
1983年1月場所の番付は西三段目56枚目へ昇進し、6勝1敗で勝ち越しました。
同年5月場所では幕下へ昇進して以来、同年9月場所までは勝ち越しを続けてきました。
ここまでの戦歴は42勝7敗という成績でした。
1983年11月場所で西十両12枚目に昇進し、1984年3月場所と5月場所で2度の優勝を果たしました。
1984年7月場所にて東前頭11枚目に昇進し、高見山関に続く外国人力士として幕内への入幕を果たしました。
このときの小錦関は身長187cm、体重が210kgでした。
幕内~大関へ昇格、そして引退
同年9月場所では、12勝3敗の好成績で準優勝となり、敢闘賞と殊勲賞の三賞も獲得されました。
9月場所では、11日目に横綱大乃国と14日目に横綱千代の富士と対戦し、ともに押し出しで勝ちを収め、2つの金星を獲得されました。
小錦の体重は200kgを超えていたので、横綱にとっては取り組みが大変だったのではと想像していました。
9月場所の好成績が評価され、11月場所では西関脇1枚目に昇進しましたが、負け越しとなり、1985年1月場所では西前頭筆頭、続く3月場所では西前頭3枚目へと番付が変わっていきました。
3月場所で勝ち越しを決めたため、5月場所では西小結1枚目となり準優勝とともに敢闘賞を獲得されました。
同年9月場所は体調不良のため全休し、続く11月場所では西前頭9枚目で11勝4敗という成績を残しました。
このときの小錦は、身長186cm、体重230kgとなっていました。
1986年1月場所の番付で再び西小結に返り咲き、3月場所では東小結1枚目で12勝3敗、準優勝とともに三賞獲得という成績を残しました。
この頃から大関昇格へ強い意識を持ち始めたのではと思われますが、1987年5月場所では東関脇1枚目で12勝3敗の成績で敢闘賞を獲得しました。
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高見山関が成し遂げられなかった大関昇格を小錦が成し遂げたというわけです。
小錦は大関昇格から約6年間、在位していましたが、怪我や病気などで勝ち越しの成績は残したものの、1993年11月場所では6勝9敗の負け越しとなり、大関から陥落しました。
1994年3月場所の番付は東前頭9枚目で8勝7敗の勝ち越しでしたが、このときの体重が285kgとなり、相撲に取り組んでも足が前に出なくなったと実感されたそうです。
それ以来、大関への昇進を目指していましたが、三役に返り咲くことがなく、1997年11月場所の中13日目に負けたことで、引退することになりました。
千秋楽までの取り組みを願い出ていたそうですが、相撲協会理事長の判断により取り組み相手の不戦勝とされたのだそうです。
このときの相撲協会規則により、今後の取組は難しいと判断されたようです。
小錦関もこの決定には素直に従って引退されました。
これまでの成績は730勝498敗95休でした。
現役引退後は、年寄株「佐ノ山」を取得し、高砂部屋付き親方として後進の指導をされていましたが、タレント業が多忙になり、相撲協会を退職されました。
【小錦八十吉】のいまを追跡!
【FM NACK5「KONISHIKIのLEALEA SATURDAY」出演します!】
— 宮 武弘/miya takehiro_11/10「アウトドアとビール」発売! (@miya_takehiro) March 5, 2021
3/13土,20土、朝6;15~35
ミュージシャンでもある小錦さん @KonishikisWORLD の番組
めちゃめちゃ楽しかったです。感謝!音楽はもちろん、BBQソースをプロデュースしてる小錦さんと、アウトドア話も!ラジコhttps://t.co/o2ygSEn6eKで是非! pic.twitter.com/fJONXZhNLm
印象に残っている活動は、1998年の阪神・淡路大震災で被害に遭われた方への支援活動として、KONISHIKI基金を設立されました。
小錦さんは、被災地を訪問し、被害に遭われた方への支援活動を続けていました。
また、東日本大震災でも被災地を訪れ、炊き出しなどのボランティア活動も実施されました。
子どもたちにとっては、小錦さんが毎年のようにクリスマスになると訪問されるのでとても楽しみしている様子がニュースでも伝えられました。
その他にミュージシャンとしてコンサートを開催したり、数多くのテレビ番組に出演されるなどマルチに活躍されていました。
時折、ご実家へも戻らえているようで、ご本人のツイッターでは、ハワイ州オアフ島で家族を含めて、友人や知人らと楽しく過ごしている様子が投稿されています。
日本国籍に帰化していますので、日本とハワイと生活拠点を変えながら、忙しい日々を過ごされているようです。
ukulele push にほんご 2022/1/20 02:23
小錦がでてくると「コニシキ プッシュ〃」と1984年ころの現役時代いい
いまでは「にほんごであそぼ」でおなじみですね