~現役バンドを追いかける人、後から知る人~
どこかのコラムで言ったことがあると思うが、私が人生の中で熱く追いかけているのは小2から現在まで含めて布袋寅泰と聖飢魔IIだけ、その両方共が私が知った時にはすでにバンドは解散しそれぞれソロ活動をしている状態だ。
私は現役のバンドにハマったことが今まで1度もないのだ。
なので例えば無名だった推しのバンドが売れていく様や、小さいライブハウスから少しずつ大きな会場になっていく喜びなど味わったことがない。
自分のまわりで知っている人がいなかったのに徐々に知ってるよーという人が増えてきた、という人気の実感も特にない。
私は現役のバンドにハマったことが今まで1度もないのだ。
なので例えば無名だった推しのバンドが売れていく様や、小さいライブハウスから少しずつ大きな会場になっていく喜びなど味わったことがない。
自分のまわりで知っている人がいなかったのに徐々に知ってるよーという人が増えてきた、という人気の実感も特にない。
私は聖飢魔IIに対して重ねた思い出が圧倒的に少ない
知った時にはすでに大人気で、そしてすでに解散していた。
バンドの成長と共に自分も月日と思い出を重ねるというのは私の中では憧れで、夢のような体験なのだ。
そういった意味では私は聖飢魔IIに対して重ねた思い出が圧倒的に少ない、
なんとも寂しい気持ちになるものだ。
バンドの成長と共に自分も月日と思い出を重ねるというのは私の中では憧れで、夢のような体験なのだ。
そういった意味では私は聖飢魔IIに対して重ねた思い出が圧倒的に少ない、
なんとも寂しい気持ちになるものだ。
しかしそれが悪いか、というと私はそうは思わない。
歴史の教科書を読んで織田信長の本能寺の変に立ち会えなかったことを心底悔やむことはないように(聖飢魔IIは歴史の教科書ほど古くはないが)聖飢魔IIの歩んできた道筋を今色々な形で調べて知って、一つの完成された大きな物語をワクワクドキドキ、時には切ない気持ちになりながら読んでいるような気持ちだ。
しかもその物語は後からどんどん新しい話がパワーアップして追加されていく。
歴史の教科書よりは近い過去の話だから手が届きそうで悔やむのかもしれないが、当時の様々な(信者の)心の葛藤と現代で知ってからの寂しさやら後悔やらは種類は違うが心の揺れ幅はもしかしたらどちらも同じなのかもしれない。
歴史の教科書を読んで織田信長の本能寺の変に立ち会えなかったことを心底悔やむことはないように(聖飢魔IIは歴史の教科書ほど古くはないが)聖飢魔IIの歩んできた道筋を今色々な形で調べて知って、一つの完成された大きな物語をワクワクドキドキ、時には切ない気持ちになりながら読んでいるような気持ちだ。
しかもその物語は後からどんどん新しい話がパワーアップして追加されていく。
歴史の教科書よりは近い過去の話だから手が届きそうで悔やむのかもしれないが、当時の様々な(信者の)心の葛藤と現代で知ってからの寂しさやら後悔やらは種類は違うが心の揺れ幅はもしかしたらどちらも同じなのかもしれない。
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10 件
ken 2018/3/6 22:23
こんばんは。僕も初めて好きになったバンドは20年前くらいに
解散してたので本や映像なのでいろいろ知りましたね。
現役のバンドを推してれば、一緒に成長をわかちあえたりしますけどね。
聖飢魔Ⅱの場合は再結成、時々するから新しい物語が増える楽しみはありますよね。