鶴ちゃんのプッツン5
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基本的には生放送であったが、一部の回は事前収録で、最終回も収録放送だった。生放送時には、冒頭に必ず日付と「LIVE FROM NTV」のテロップが入っていたので見分けが付いた。通常は日本テレビ北本館のKスタジオを使用していたが、諸事情でGスタジオを使用した場合もあった。
司会の片岡鶴太郎
土曜夕方に放送されていた番組で、当時日曜昼の『鶴太郎のテレもんじゃ』→『鶴太郎の危険なテレビ』にも出演していた片岡鶴太郎が司会を務めていた。
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1980年代前半、ものまねを得意とするピン芸人としてテレビに出始めた片岡鶴太郎は、『オレたちひょうきん族』で大ブレイク。近藤真彦「マッッッッッッチでぇーす」、近藤正臣「こんどぉーーです」、小森和子「こここここ、こもりの、おばちゃまよぉ~」、具志堅用高「ちょっっっちゅね~」、たこ八郎「た……たこです」、坂上二郎「飛びます、飛びます」、フランソワーズ・モレシャン「ワタシタチノクニデワ~」などなど。当時小中学生だった人は、教室で鶴太郎独特のものまねを真似る友達がきっといたはず。また、『オレたちひょうきん族』ではアツアツのおでんを口に入れられるのがお約束で、そのリアクションは同じ事務所のダチョウ倶楽部に受け継がれ、「リアクション芸」の走りともなった。
1983年フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』、1985年『夕やけニャンニャン』などで見せた若いタレントや客席の一般人のいじり方、生放送で台本にない下ネタの挟みこみが絶妙で、1980年代半ばから90年代初頭にかけて、各局のバラエティーで大活躍。1986年には今で言う“キレる”瞬間を表現した言葉「プッツン」を流行らせてその年の流行語大賞も受賞する。
『鶴ちゃんのプッツン5』は、そんな1986年10月にスタート。上京間もない笑福亭笑瓶もレギュラー出演していた。
最終回では、片岡鶴太郎が「バラエティでのレギュラー司会は最後になるかと思います」と言い残し、事実上その後は俳優業をメインに活動するようになった。
番組レギュラー
・岡本太郎
・チャック・ウィルソン
・おきゃんぴー
・芳本美代子
・石田ひかり
・西田ひかる
・奥山佳恵
・中村綾(ミッチョンズ)
・伊林祐加(ミッチョンズ)
・岡崎ゆきえ(ミッチョンズ)
・笑福亭笑瓶
・渡嘉敷勝男
・塚田恵理子
・プリティ長嶋(片岡馨)
・風見しんご
・山羊智詞
・爆笑問題
・あがりた亜紀(現・揚田亜紀)
・幕末塾
・彦麻呂(幕末塾解散後)
・デンジャラス
・小森のおばちゃま
・小倉淳(当時日本テレビアナウンサー)
・大川興業
・キャロル久末
・クリス・ペプラー
・小林のり一
・久本雅美
・早坂好恵
ほか
なお、番組ではアシスタントをデビューまもないアイドルが務めていました。
・チャック・ウィルソン
・おきゃんぴー
・芳本美代子
・石田ひかり
・西田ひかる
・奥山佳恵
・中村綾(ミッチョンズ)
・伊林祐加(ミッチョンズ)
・岡崎ゆきえ(ミッチョンズ)
・笑福亭笑瓶
・渡嘉敷勝男
・塚田恵理子
・プリティ長嶋(片岡馨)
・風見しんご
・山羊智詞
・爆笑問題
・あがりた亜紀(現・揚田亜紀)
・幕末塾
・彦麻呂(幕末塾解散後)
・デンジャラス
・小森のおばちゃま
・小倉淳(当時日本テレビアナウンサー)
・大川興業
・キャロル久末
・クリス・ペプラー
・小林のり一
・久本雅美
・早坂好恵
ほか
なお、番組ではアシスタントをデビューまもないアイドルが務めていました。
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番組内容
番組には、「PNN(プッツンニュースネットワーク)」というCNNのパロディニュース、3人1組または5人1組のチームが腕相撲で競う勝ち抜き制のトーナメントの「腕柔道選手権」、3人1組の2チームで対戦する山手線ゲーム形式のクイズの「クイズ!大頭脳!!」、大川興業のタレントたちが札幌市時計台を出発し、東京都の日本テレビ社屋を目指していた冬季1クール限定の「南南西に進路をとれ」など色々な企画が展開されました。
1986年10月4日から1992年9月26日まで日本テレビで毎週土曜夕方に6年にわたって生放送された。
なお、ローカルセールス枠の番組であるため、系列局であってもこの番組を放送しない局がいくつか存在した。