【動画】河合奈保子の楽曲「スマイル・フォー・ミー」(1981年6月1日)アイドル水泳大会より - YouTube
豊かな胸の持ち主の歌手「柏原芳恵」(1980年歌手デビュー)
豊かな胸の持ち主の歌手「柏原芳恵」さん(1980年歌手デビュー)
大阪府大阪市出身。堀越高等学校卒業。1979年秋、日本テレビ系『スター誕生!』に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日、シングル「No.1」でフィリップス・レコードからデビュー。
1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。またレコード大賞・ゴールデン・アイドル賞を受賞して、40万枚近いセールスを記録した。1982年10月1日、シングル「花梨」の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名。
「春なのに」(1983年、TBS系『ザ・ベストテン』で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出した。日本テレビ系『ザ・トップテン』では延べ19曲(『ザ・ベストテン』では14曲)がトップ10内にランキングされ、『NHK紅白歌合戦』に2度出場、『日本レコード大賞』には1981年から1987年まで連続出演していた(1985年から1987年の3年間は、最優秀歌唱賞部門にノミネートされた)。
1980年代後半は歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになる。2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演している。1989年にデビュー以来所属していたゴールデンミュージックプロモーションからソーマオフィスに移籍、1992年に独立する。
1990年代前半にはテレビ以外の仕事に重点を置き、ビデオ映画に主演の他、写真集を出版。以降、歌手の仕事を中心に、ミュージカルや舞台で活動する。ライブやディナーショーなどの歌手活動の他に、ラジオパーソナリティとしても活動、自らが創作したオブジェの個展『魅完成展』なども開催している。
(出典:Wikipedia「柏原芳恵」)
1980年、宮崎美子さんのミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMが話題に
1980年、宮崎美子さんのミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMが話題に
熊本県出身。ホリプロ所属。1991年に宮﨑 淑子(みやざき よしこ、「﨑」の字は山偏に竒)と改名するが、2000年に本名の宮崎美子に戻す。
熊本大学3年生の1979年10月、偶然朝日新聞で見つけた「篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”」の表紙モデルに応募。1980年1月、「週刊朝日」1980年1月25日号の表紙を飾ることになる。
同年、ミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMに出演し、木陰でTシャツとGパンをはにかみながら脱いでビキニ姿になるという内容で、大反響となる。
また、『The・かぼちゃワイン』のヒロイン・朝丘夏実(通称エル)は、このCMに出演していた宮崎がモチーフになったとされている。
このCMで各マスコミ媒体に登場する機会が増え、雑誌やテレビにも出演。後に、ポーラテレビ小説『元気です!』(1980年10月 - 1981年3月)で主演を務め、女優デビューを果たす。
『元気です!』のクランクアップ後はすぐに『2年B組仙八先生』(1981年4月 - 1982年3月、本来9月までの半年放送予定であったが、途中で1年に放送期間を変更)の出演も果たした。
(出典:Wikipedia「宮崎美子」)
【動画】宮崎美子|MINOLTA X-7(ミノルタ CM 30秒)|♪いまのキミはピカピカにひかって(斉藤哲夫)1980年 - YouTube
マチコ先生に対する「ボインタッチ」が人気だったテレビアニメ『まいっちんぐマチコ先生』(1981年10月8日)
テレビアニメ・漫画『まいっちんぐマチコ先生』 「ボインタッチ」するとマチコ先生「まいっちんぐ!」
私立あらま学園の女性教師、麻衣マチコとその生徒達が繰り広げるギャグ漫画。1980年代前半にテレビアニメを中心に人気を博し、「まいっちんぐ!」というセリフが当時ブームとなっていた。1990年代後半からかつてのファンを中心にリバイバルブームとなり、単行本の再版のみならず新作も発表され、さらにはCDドラマ、実写化もされた。
1981年10月8日から1983年10月6日まで毎週木曜日の19時30分から20時までの時間帯(改編期や年末年始はスペシャルなどで変則あり)にテレビ東京ほかで放送された。全95話。1983年7月28日から10月6日までは再放送。
(出典:Wikipedia「まいっちんぐマチコ先生」)
【動画】テレビアニメ「まいっちんぐマチコ先生」 第1話 - YouTube
テレビアニメ「まいっちんぐマチコ先生」第1話無料
自由な校風の私立あらま学園に美人でスポーツ万能の女性教師、麻衣マチコがやってきた。イタズラ好きな生徒たちは、大喜び。毎日、マチコ先生と“スキンシップ”をとりながら、どたばた騒動を繰り広げる。
*放送当時の光の点滅による演出や、素材状況による音ノイズ等が生じる個所がございます。
武田久美子(1982年デビュー)
武田久美子(1982年デビュー)
愛知県名古屋市生まれ。幼少時に東京都北区田端に移住。北区立滝野川第四小学校、堀越中学校(現在は廃校)を経て堀越高等学校卒業。
小学4年生のときに、弟とともにウナコーワのテレビCMに出演(弟は乳児のときにもベビー用品のテレビCMに出演)。中学生時代に東京大学のアイドルコンテストで優勝し「東大生が選んだアイドル」として話題になる。
1982年、映画『ハイティーン・ブギ』にヒロイン役で出演した。その劇中で主演の近藤真彦とのキスシーンがあったことが原因で、近藤の熱狂的なファンから様々な嫌がらせを受け、一時は芸能活動そのものに支障をきたすほどの事態となった。
1983年に「噂になってもいい」で歌手デビュー。ドラマ・映画に多数出演する。1990年代からは主にグラビアや写真集で大胆なヌードを発表し、人気を博す。1999年にアメリカ人男性と結婚し、カリフォルニア州サンディエゴに移住、一女の母であるが、現在離婚調停中である。
へそピアスを開けており、ブログで公開している。
(出典:Wikipedia「武田久美子」)
隠れ巨乳の1980年代アイドル
1985年、深野晴美、南麻衣子、小川菜摘の3人組アイドルの巨乳ユニット『オナッターズ』が深夜番組『グッドモーニング』から生まれた
深野晴美
1984年、マリンピック・ミスシーギャルコンテスト優勝。
1985年、南麻衣子、小川菜摘と共に、3人組アイドルユニット『オナッターズ』で一般に認知された。オナッターズとは深夜番組から生まれた、巨乳ユニットでデビュー曲「恋のバッキン」や「モッコシモコモコ(しゅき しゅき ダーリン)」などエロお笑い路線で売っていたアイドルユニットである。
私生活では趣味の大相撲観戦がきっかけで知り合った元関取の大岳と結婚し滋賀県内で飲食店の女将をしていたが、その後離婚している。
(出典:Wikipedia「深野晴美」)
所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア(2002年(平成14年)10月から2010年(平成22年)9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント)に所属していた。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。
シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。
歌以外にもピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアやアイドル水泳大会に登場していた。
1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子であるkahoは2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューした。
(出典:Wikipedia「河合奈保子」)